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「家宝の本~祖父の生き様~」

我が家にはたいした財産はない
父はよく私たち兄弟へ何も残せるものはないと言っていた

そんな我が家でも唯一の家宝といえるものがある

あれはたしか大学生の時だった

祖父が亡くなり父が実家へ帰り、
祖父の兄から一冊の本をもらってきた

それが我が家の家宝なのである

もちろん祖父が書いた本でも
祖父の兄が書いた本でもない

世界的ピアニストの自著伝だ

名をリリークラウスという

ただ我が家の家系は音感というものは全くなく、
祖父の兄も誰もクラシックは聞かない

リリーフランキーなら知ってるが、
リリークラウスは聞いたことがない

なのに、祖父の兄はその本を大事に大事に保管していたらしい

そこで私の父も初めて知ったそうなのだが、
戦時中の祖父の行動がその著書に描かれているのだ

祖父は第二次大戦過において選択に迫られていた

日本兵として戦争に行くか、
教師になって子どもたちを守るか、
警察になるか

祖父は警察になることを決め猛勉強の末、警察官になった

当時は教師でも戦争に駆り出されることがあり、
戦争に行きたくない祖父は警察を目指したと言っていたそう

当時の日本は台湾を占領し整備をしており、
祖父はその台湾のどこかの警察署長になった

現在の日本でいう警察署長とは比べ物にならない権力を持っていたそう
簡単に言うと一国の王様で、
村とは言えど広大な土地、人の裁量は全て警察署長の手にあったらしい

ただ、戦争に行きたくないといった理由で警察官になった祖父

権力も名誉も興味もなく村人と農業をしたり、
鉄道や建設現場に行っては一緒に汗を流していた

そんな統治方法をしていたので本国(日本)からは度々注意の書簡が届いていたらしい
しかし、人手不足で交代されないのはは分かっていたので無視していた

そんな心優しい祖父と祖母は台湾で出会った
祖母は学校で日本語教師をしていたらしい

2人は台湾で結ばれたのだ

そんな折、
日本軍の侵攻はインドネシアまで進み、
台湾駐在の長かった祖父は一時的にジャワへ赴任した

そのジャワでも祖父は台湾時代と変わらず、
村人とともに汗を流す統治をしていた

そんなとき、
捕虜施設を視察していたときのこと

施設の中に明らかにアジア人ではない女性がいた
どこがで見たような...

そうだ!
あの新聞で見かけた人だ。

そう。
クラシックには興味が無いが新聞は隅から隅まで読む祖父は、
当時、ピアニストとして世界ツアーをしていたリリークラウスに気づいたのだ

祖父はなぜ世界的スターがこんなところに?

と本人に聞くと、
運悪くリリーは巡業中に捕虜として捕まってしまったと言っていた

いくら警察署長といっても戦争最前線の
捕虜収容所から勝手に出すことはできない

他の捕虜も同じく丁重に対応するよう祖父は収容所の方たちに言ったそう

別の日にまたリリーの様子を見に来た祖父は
衰弱はしていないが明らかに元気が無いリリーが心配になった

そりゃそうだろう
異国の地で捕虜にされたのだから

そこで祖父はリリーに尋ねた
「リリー、何かやりたことや欲しいものはあるかい?」

リリーは答えた。
「ピアノが弾きたい、それだけでいいです」

祖父は困った
さすがに武器と食料はあるけどピアノはない

そこから祖父は村人にピアノを持っていないか聞いて回った
すると何日かしたあと、ピアノを貸してもいいという村人に出会った

オンボロで倉庫に何年も放置されていたものだった

祖父はすぐにそのピアノを収容所に持って行った
そして調律のできるものを探し当て準備した

しかし、もう一つ問題がある
収容所の看守長は捕虜にそんなことをさせてくれるはずがない
話を通せば必ず本国に確認を入れる(許可されるはずもない)

なので、祖父は村人や懇意にしている看守達と作戦を練った
ピアノをバラバラにし、夜中に忍び込み中で組み立てるという作戦を

収容所のど真ん中にピアノを運び入れ組み立てていた

「リリー、ピアノ持ってきたよ」
祖父は祖父の兄にその時のリリーの晴れやかな笑顔を忘れられないと言っていたそうだ

恐らく演奏が始まればすぐに看守長と看守が飛び込んでくるだろう

リリーに一曲弾かせてやりたい
そう祖父は考えた

そこで祖父が取った行動は、
収容所の扉をチェーンでがんじがらめにして外から入れないようにしたのだ

リリーの演奏が始まる

「静寂から美しい音色が響き渡り静寂の夜に溶けていった...」
祖父はそんな表現をしていたらしい

演奏がおわりチェーンを外した後は創造通り
祖父は取調室に監禁され本国に連絡された

村人や協力してくれた看守たちのお陰で捕虜はお咎めなしだったそう

祖父は責任を取らされ台湾に戻った(左遷された)
所長では無くなったが元々駐在していた台湾の村に戻れたらしい

戻ってからも祖父はリリーの安否を気遣っていたそう

ただ、戻って間もなく終戦となる
台湾駐在の日本人は帰国せよとの命令が下った

そこでは多くの日本人が殺されたらしい
祖父が駐在した村の現警察署長も真っ先に

台湾中の日本人警察官が命からがら帰国の途についたそう
祖父は村人と親しくしていたので、自分たちが日本人の見方をしていると危険なのに
小舟で川を経由して港へと連れて行ってくれたそう

船が出発し数日後、日本へ着工する間際
持って入れるお金は1人千円までと通達がされた

警察署長時代に高給取りだった祖父は大金持ちだったそう
しかし、一緒に船に乗り合わせた人々にお金は配ったらしい

帰国してからは私の父と叔父を育て農業をしながら生活していたとのことだ

あー、
その時のお金があれば我が家は大金持ちだったのかもしれない笑
祖母は祖父と異国の地で出会ったが、半ば駆け落ちだったらしい

祖母の家柄は地域を代表する一家だったらしく、
祖父の警察官という身分では本来結婚できなかったらしい

ことごとく金運のない一家...

ただ、父から聞いた祖父の生き様は感動した
綺麗ごとのように「お金より大切なもの」を教えられた気がした

リリーの本は実家に大切に保管されている
長々と書いたが、本には数行でしかその当時の様子は記されていない笑

ただ、〇〇という警察官に救われた
ピアノをどこからか持ってきてくれた
祖父が幼い女の子と手をつないでいた(祖母の妹)
絶望の中、すごく感謝している

といった内容が記されている


我が家にはたいした財産は無い
親が子に残せるものはたいして無い

しかし、

「人としての在り方」

はしっかりと残っている。

祖父が遺してくれた「想い」
私もしっかりと息子たちに紡いでいこうと思う

まずは私が誇れる背中を見せていかなくては

祖父が父にしてきたように

父が私にしてきたように〆

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