自己顕示欲・承認欲求のこと(大学時代)
高校まで「嫌われる人間」として生きていた私ですが、
大学に入って、周りにほぼ誰も私のことを知っている人が
いなくなった状態で、
ようやく「人が怖い」という状態から脱します。
「やっとつらい日々が終わった、ここから私は生まれ変わるんだ!」
という気持ちだったのかもしれません。
たくさん服を買っておしゃれを始めたり、
メイクを始めたり、
できるだけ積極的に人に話しかけにいったり・・・
内心とてもドキドキしていたものの、
大学のクラスの子たちはみんないい子ばかりで、
友達もたくさんできました。
本当にありがたいことです。
そんななかで、ムクムクとわいてきたのが、
「自己顕示欲」
「承認欲求」
・・・と、今は思えるものです。
自分には価値があるんだ、
自分はこんなにすごいんだ、
自分の価値を認めてほしい、
自分はすごいと言ってほしい、
人に必要とされたい、
認められたい、
誰からも好かれていたい
今思うと、子供時代の劣等感の裏返しなんでしょうね。
変にプライドも高くなっていた気がします。
全て、自信がない、自分を否定していることの裏返しです。
自分で自分に自信が持てないから、人からの承認を求めてしまう。
自分では価値を認められないから、人から「すごい」といってほしい。
だって、自分は、「すごい」んだから!
周りの人とは違うんだから!
本当の自分の底(潜在意識?)では自分を否定し続けているけど、
それを認めてしまうと自分が生きていけなくなる。
だから、自己防衛的な感じで、顕在意識で必死に「自分はすごい、だから生きる価値がある」と思い込もうとしていたのかもしれません。
でも結局はそれを自分で完結できないのが悲しいところ。
無意識に、人から褒めてもらうことを渇望していました。
すごいと思ってほしくて、いろんな場所でリーダーをやってみたり、
「おしゃれだね!」と言ってほしくて、たくさん服を買って毎日違う服を着ていたり、
無意識に、友達と話している間に自分の自慢がもれてしまったり・・・
必死に自分を保とうとしていたんだなあ、
と、昔を思い出しながら、これを書きながら思いました。
よく頑張ってきたじゃないか、自分。
でも当時は、とにかく、人に認められたくて必死でした。
特に、恋愛でそれが顕著だったかも。
大学に入ったときは、まだはっきりと「彼氏」といえる存在がいなかったので、それはもう憧れがすごかったです。
(高校の時に、ひとりだけ付き合った?ような人がいましたが、ほぼデートもしなかったし彼は私のことを本当に好きではなかったようなので、彼氏と言えたのかは謎です)
大学に入ってすぐ、
「この人いいかも。この人もいいかも。あれ、結構話しかけてくる。え、もしかして私のこと・・・好き???え、どうしようかなー、でも私そんなに好みじゃないしな・・・」
という今思うとはた迷惑でしかない妄想?をめちゃくちゃしていた気がします・・・・恥ずかしい。
とにかく、彼氏がほしかった。
私を特別扱いしてくれる人、私を好きになってくれる人がほしかった。
もはや、誰でもいいような状況。
かといって誰彼構わず関係を持つようなこともできず、
結局2回生になってから初めての「ちゃんとした彼氏」ができました。
そりゃもう幸せでした。
しかも相手は、わりと周りからイケメンと言われる部類の人。
そんな人がなぜ私を好きになってくれたのか不明ですが、ともかく半年ほど付き合いました。
今思うとすごく感じるのが、その時の自分は、たとえ彼氏であっても、
「試し行動」がすごかったな、ということです。
※試し行動・・・主に子どもに多いようなのですが、
相手がどこまで自分を受け入れてくれるかを試す行為。わざと相手を困らせることをして、どこまで許してくれるか試します。
会いたいのに「別にどっちでもいい」と言って、相手が「俺は会いたいから会おうよ」という言葉を引き出そうとしてみたり、
相手の目の前で他の男の子と仲良く話して嫉妬させようとしてみたり・・・
相手が自分のことで辛くなったり悲しんだりするのを見たかったというのもあるかもしれません。
それだけ自分が相手に対して影響力があるということだから。
結局、そうやって相手を振り回して疲れさせてしまって、最終的には振られました。
そりゃそうだよね。
大学時代は、恋愛絡みの思い出が多いなあ。
それでも、高校までよりは少し成長できたのか、友達も仲良しの先輩も後輩もいて、楽しい時期でした。
彼氏がいたのはその半年間だけだったので、それ以外は、ずーーーーっと、「誰か私を好きになってくれないかな」と、虚無感を抱えてもいましたが。
こうやって冷静に振り返ってみると、
子ども時代の経験って、ずっと影響を残すんですね。
心理学を学んでみたくなりました。