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「椎葉さん」と「那須さん」 椎葉村の名字が語る、村最大のロマン
先日、宮崎のローカルバラエティ番組「よかばん!!」でも取り上げられたという“椎葉村の謎”を、みなさんはご存知でしょうか。
椎葉村に足を踏み入れると必ず出会ってしまう、ある謎。それは、「椎葉村は『椎葉さん』であふれている」という事実です。
実に村民の約30%が「椎葉」さん。次いで第2位は「那須」さんで、村民の約20%にあたります。
職場でもご近所でも同じ名字があまりに多いので、椎葉村では日頃から互いを下の名前で呼び合うのがあたりまえ。同姓同名なんていうこともよくあって、その時は集落名や職場、お父さんの名前などを引っ付けて「農協の〇〇さん」とか、「ヒロシさんとこの〇〇くん」といった具合に説明したりします。
「椎葉」と「那須」の名を聞いてピンときた方は、かなりの歴史通かもしれません。
実はこの2つの名字は、遥か昔、1185年の壇ノ浦の戦いにさかのぼる平家と源氏が関係していると言われています。
椎葉村は、平家落人伝説の残る地です。壇ノ浦の戦いに敗れて散り散りに各地へ逃げ隠れた平家の残党の一部が、九州山地の奥地・椎葉まで辿り着き、住み着いたとされています。
しかし、戦に勝ってもなお平家残党追討の手をゆるめなかった源頼朝の命により、数年後、那須大八郎が椎葉に派遣されました。
そこで大八郎が目にしたのは、栄華を極めたかつての姿からはかけ離れた平家の姿でした。細々と貧しく農耕に汗して暮らすその様子に胸を痛めた大八郎は、「平家残党は追討した」と幕府に偽の報告をした上、平家の守り神である厳島神社の分社を建てるなどして彼らと村に残ることを選んだのです。
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やがて大八郎は、平清盛の末裔である鶴富姫と恋に落ち、姫は子を宿しました。そんな最中、幕府から大八郎に鎌倉へ戻るよう命が下されます。敵の子孫である鶴富姫を連れてはいけない大八郎は、後ろ髪を引かれる思いで村を去る際こう言い残しています。
「生まれた子が男なら、我が故郷下野(しもつけ)の国へ、女ならこの地で育てよ。」
鶴富姫は女の子を産み、椎葉で育て上げました。そして、大八郎への思いを胸に、後に娘婿をとって「那須」姓を名乗らせたのです。
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そんな歴史の中で、そのまま椎葉に住み着いた源氏の末裔は「那須」姓を好んで選び、平家の末裔と、戦の前から村にいた住人は「椎葉」という地名から姓をとる者が多かったと言われています。
これが、「椎葉さん」と「那須さん」の謎の全貌です。姓として今なお残るのは、二人の恋の証。実は、とってもロマンティックな村なのです。
そんな二人の悲恋物語を題材とした村の一大イベントが「椎葉平家まつり」。人口2400人の椎葉村に約2万人の観光客が訪れるというだけあって、平家と源氏方それぞれが衣装をまとった行列は豪華絢爛、とても見応えのあるお祭りです。
2022年は新型コロナウイルスの影響に加えて台風被害もあり、残念ながら中止となりましたが、来年以降に開催される際にはぜひ訪れていただきたいです。
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執筆・中川薫(https://note.com/kaoru_nakagawa/)