『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』
本作が70年代の映画を再現しているとすれば、それは何のためなのだろうか。映像や音声のノイズだけでなく、誇張表現も含めて「あの頃」の映画を再現しているのはなぜなのか。
監督のアレクサンダー・ペインが、当時の映画が好きだから、かもしれない。あるいは、当時の映画が客観的に素晴らしい(作品が多い)からという理由かもしれない。
でも、最も大きな理由は70年代の映画を再現する、いや、再現することを超えて、70年代の映画を2020年代に作ることができるかやってみたい、問うてみたいからではないだろうか。
映像と音声、演技を再現すれば、当時の演技を再現したことになるのか。例えば、本作では、ベトナム戦争を背景に、本作の舞台となるバートン校に子どもを通わせる富裕層と貧困層で徴兵において格差が生じていることが強調される。このような分断は事実であり、よく知られているものだが、当時の映画がこの点を現代からみたのと同程度に明確に、あるいは強調して描いていたかは議論のあるところだろう。つまり、現代の価値観が随所に入り込むことになる。
しかし、それこそが人間が70年代の映画を再現することの意味かもしれない。この先生成AIが70年代の映画をストーリーも含めて再現できたとして、そこでスクリーンに現れるのは、単なる70年代の映像であり、映画にとって「当時」とは、同時代性とは、といった問いをスキップしたものにならざるをえない。
そのように考えると、本作の価値はかつての映画を再現できていない点にあるのかもしれない。本作の登場人物たちが、手探りでクリスマスや新年を作り上げていくように、時に誤った代替品を用いることが、「当時」への近道なのだろう。
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