ことばの学校 第4回 文体と出来事 宮部みゆき『ぼんぼん彩句』
第4回の講師は小説家の宮内悠介氏であり、特に印象的だったのが文体である。宮内氏は、かつて〇〇の文体でミステリーを書いてみようと試みたことや、宮内氏自身が作品ごとに文体を変えることができる(できてしまう)こと、それゆえに脱線も含めた独自性を備えた文体に憧れることが語られた。
たまたま最近読んだ宮部みゆき『ぼんぼん彩句』は、一つの俳句に一つの短編という形で、俳句と結びついた作品が収められた作品集である。SFやミステリーも含まれているものの、ジャンルものではない家族をめぐる小説が中心である。
感想を述べると、緊張感が維持されている作品と、冗長な作品があった。そして、その区別が文体と出来事の関係に関わるように思えたのである。
1 つながる出来事
本作は、主人公の年齢や性別により、口調や内心の語りの調子を変えて、サスペンスやコメディーの語り口を作り出す。その点では、本作は、作品ごとに文体を変えているということもできる。
他方で、どの作品にも共通するのは、本作の文体(文章)は出来事を語っているということである。これはいわゆる純文学と比較する時、エンタメ作品の書き方の特徴である。何が起こっているかを(5W1H)を明確に書くからこそ、情報を隠したり明かす局面が際立つのである。
ことばの学校でも、描写が少ない問題について触れられていたし、このリアクションペーパーで言及したイヤミスは、何が起こっているかということのみが書かれた小説の代表である。
本作の中には、隠されていた感情やすれ違いが明らかになる短編がいくつかある。そのいずれも、明確な出来事が明らかになることにより、感情が明らかになる構造をとる。
では、出来事を書けば、出来事だけでなくその他のあらゆる要素も書くことができるのだろうか。
本作に収録されている「プレゼント~」という短編では、一人の少年が、突然の来訪者に遭遇する。「プレゼント~」では、背景となる出来事はつながらない(少年と来訪者の関係も含め)ことが明らかになった後、二人が感情をやり取りする展開となる。
(ややネタバレとなるが)「プレゼント~」では、二人の周囲の人物の計らいにより、新たな出来事(ある物の処分など)が次々と結びつき、二人の感情のやり取りをスムーズにする。
「プレゼント~」では、少年のもやもやした感情は、ほとんど出来事の連なりに回収されてしまう。そのため、感情の隔たりや時間的な隔たりが、出来事の因果関係で説明できてしまう(背景となる出来事のつながりは断たれるが、断たれる過程で両者が無関係であるという関係(の不在)が創出される)
「プレゼント~」では少年の心情や行動原理が丁寧に描かれるが、それら文体の調整は、出来事の連なりと説明に吸収されてしまい、結果的に緊張感が失われてしまっている。
2 つながらない出来事
これに対し、出来事の連なりが断たれたままであることにより、緊張感が維持されたのが「薄闇や~」である。
本作では、発見者たる少年は、犯人とも被害者とも遺族ともつながりがない。しかし、少年は物理的に遺族と同じ場所にいる(車に乗る)ことで大きな恐怖を味わう。
「薄闇や~」の文体は、少年のものである(その点で「プレゼント~」と類似する)。そこに、上記文体と相いれない出来事(事件)が衝突し、侵食する。事件や遺族の慟哭は、少年にとって生の出来事であり、理解し、受容できるものではない(あるいは恐怖や脅威としてしか認識できない)。
「薄闇や~」では、出来事が文体を取り込まないからこそ、出来事が生々しさを保ち、フラットな文体であっても、そこに文体の基盤となる登場人物の感情が表出される。
「薄闇や~」では、トカゲ(迷信)を媒介として、因果関係が構築されそうになるものの、遺族の言葉によりその関係は断ち切られる。これも、「薄闇や~」の緊張感を維持している。
どのような文体であっても、ただ出来事を語り、出来事と出来事を因果関係で結ぶのであれば、当該文体は登場人物のキャラクター設定、装飾に過ぎない。他方、出来事が相互に結びつかず、不気味に屹立している場合には、文体は作品世界を構築し、守りながら変化していくというダイナミズムを維持できる。
3 物語と俳句
本作はいずれの作品も俳句から発想されており(あとがき参照)、作品の最後に、もとになった(タイトルになっている)俳句が置かれる。
俳句がどの程度心情を表現できるかについては様々な見解があるだろう。客観的に風景を描くもの、客観的に描くことで心情をほのめかすもの、感情を直接的に読み込むものなど、こうすべきという定まった見方をとることは難しい。
ただいえるのは、俳句というのは、(風景も含めた)出来事を直接描くものであり、かつ、出来事を直接描く場面で最も力を発揮するということである。ここでいう「出来事」には風景や事件だけでなく、そこに伴う心情も含まれる。
俳句に描かれる出来事は、それ自体一つの世界として屹立しており、他の句の出来事と因果関係をもたない(そうであるからこそ季語が機能するわけだが、それについては機会を改める)
本作における個々の短編小説と最後に置かれた俳句の関係は、前者が後者を因果関係を軸に説明するもの、俳句が投げっぱなしであるもの、前者が後者を解題しているものの、両者が結びついていないものなど多様である。
そして、俳句の「文体」は俳句で描かれる出来事が、小説で描かれる出来事と関係を結ばない時、小説の文体と最もよく響き合うように思われるのである。
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