幼児期よりももっと前のお話(娘と息子の生まれた日)
中学校の家庭科では幼児の生活と家族について扱います。今日は、それよりももっとの前の、誕生の日のお話を私(夫)の視点でお伝えします。
現在我が家は長女3歳、長男2ヶ月の家族構成です。
長女は里帰り出産でした。群馬県高崎市。現在居住している愛知県豊橋市からだと、東京駅まで新幹線で行き、そこから上越新幹線に乗り換えて高崎駅まで行く必要があります。自宅からだと最速でも3時間ほどかかります。
長女が生まれる前日。まだその兆しは見られず、夕方の連絡でも「まだそうだね」という会話をしました。しかし、私はそわそわ。いつでも出発できるように、いつもリビングにスーツケースを準備して、そこから生活用品を出し入れして過ごしていました。いつ呼ばれても準備万端!そんな状況でした。
19時ごろでしょうか。「お腹が張っている気がする」と言われ、さらにそわそわしたのを覚えています。
21時。高崎まで向かえる最終電車にぎりぎりで乗られる時間帯にもう一度妻に連絡をしました。「お腹が痛むけれど、初めてだしこれが陣痛かどうかわからない」結局、相談のうえ、明日の朝まで待ってから高崎に向けて出発することにしました。
夜中の2時。着信があり、飛び起きました。破水です。妻はすぐに病院に向かい、待機する部屋に入りました。私も始発に間に合うように準備をしました。一刻でも早く新幹線に飛び乗りたい。そんな時間が続きました。
翌朝はずいぶん余裕を持って起きました。渥美線に乗り、豊橋駅の新幹線のシャッターが開くのを待ちました。シャッターが開いてからチケットを買い、新幹線に飛び乗る。そのために列の一番前でどきどきしながら待っていました。
無事、新幹線に乗ってからのこと。私の気持ちはいっぱいいっぱい。妻の無事、娘の無事をひたすらに祈り続けました。自分が立ち会えるかは二の次。とにかく無事であってほしい。その思いでいっぱいでした。
品川駅を過ぎ、東京駅にもうすぐ着く頃に、妻の父から連絡がありました。無事、出産したとの知らせです。
ほっとした。それがいちばんの気持ちでした。立ち会い出産の願いは叶いませんでしたが、無事に生まれてくれたことの喜びは、何にも代え難いものでした。
出産から数時間が経った頃、ついに面会を果たすことができました。娘は妻の胸に抱かれていました。二人とも疲れでへとへと。まさに命懸けの経験をしたばかりの二人に、精一杯の感謝の気持ちを贈りました。
個人差はあると思いますが、長女は生まれてくるまでの疲れで、初めは小さな声でしか泣くことができませんでした。それでも、伝わってくる息遣いに感動をし、その愛らしさに胸がいっぱいになりました。
長男は居住地である、愛知県豊橋市で生まれました。長期休みではなかったため、いつでも周りの先生方にフォローしていただける準備を整えて、その日を迎えました。
妻も2回目の出産ということで、今日明日には生まれるかもしれないという予感があったようです。私自身、教室に連絡が来たらすぐに自習にさせていただくということで、子どもたちとも話をすすめていました。
連絡は突然やってきました。教室の子どもたちもそわそわ。それでも、教室の電話が鳴った瞬間に「おおー!!!!!」と拍手をしてくれました。私はただ一言。「あとは任せた!みんな、行ってくるね!」
本当に頼りになる子たちです。その一言で全てをわかって送り出してくれました。
病院にはあっという間につきました。妻はすでにベッドの上。待機室で心電図のような陣痛のモニターをつけていました。
「長期戦になりそうだから、今は寝ていて」なんて、言ってもくれました。長女の出産は時間がかかったため、立ち会う私のことも気遣ってくれていました。
一方私はそわそわ。この針の動きは何だろう。この数値は何だろう。センサーが外れた!看護師さんを呼ばなければ!全てのことにあたふたしていました。
病院に着いて40分ほどでしょうか。テニスボールを使った腰のマッサージにも少し慣れて、自分も妻のアドバイスの通りに寝て備えようとした頃に、突然のそのときはやってきました。
「もう生まれるかもしれない!ナースコールを押して!」
予想よりもはるかに早い時間でした。しかし、流石の妻。最初の出産の感覚を覚えていたのか、的確なタイミングで看護師さんをお呼びすることができました。
その後、荷物を整えて分娩室に直行。
私は呼ばれるまで室内の壁の向こう側で待機をしていました。
今回の出産は、ソフロロジー法という自然な呼吸を心がけた分娩の方法を選択しました。なるべく体はリラックス。音楽と映像に合わせていきみを逃す。そういう方法です。
妻も私もびっくりするほどのスピード出産でした。ソフロロジーの呼吸も毎晩練習していた成果が出て、「とても上手な出産をした」そんな感覚さえ伝わってくるほどでした。
頭が出て、回転するように生まれ出て、初めての呼吸として「泣く」。その過程の神秘さは、今でも鮮明に覚えています。
二人目の子にして初めての立ち会い出産。感動や涙はなかなか言葉に表せません。妻や生まれてきた長男への感謝の思いは尽きません。
先に述べた通り、教科書では幼児期からの成長を扱います。そのため、出産の日を迎えるまでの過程についても触れられることはありません。「街で見かけた妊婦さんの安全を守りたい」「自分もいつか妊婦になったり、夫として支える立場になったりするかもしれない。そういうときに最善を尽くしたい」そういう思いを生徒がもてるようにすることはとても大切なことだと考えます。
家庭科のほそ道。今日はこの辺りで失礼します。妻の妊娠中のお話や、新生児期のお話など、まだまだ話は続きます。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
追伸
今回の出産では、妻は3歳になる娘を育てながらの妊娠生活を送りました。経験と知識はあるものの、また別の大変さを担ってもらっていました。このブログを妻が見るかどうかはわからないですが、ここにありったけの感謝の思いを載せます。有難う。