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【第十三回】【IBDPコア・EE】過小評価も過大評価もせず〜八千字をしっかり活かす構成〜(歴史EE)

新年あけましておめでとうございます。去年は色々なことがある一年でしたが、これまでの人生の中ではまぁまぁ頑張った方なんじゃないでしょうか。今年もその次の年ももっと成長できる、そんな自分であり続けたいなと思います。さて、前回は少し脇道に逸れてEEの取り組みについて書きましたが、今回は歴史のEEについてです。自分はEEの取り組み方(スケジュールなど)に関しては失敗した点が多くあったと思いますが、実際のアプローチの面では成功したところも多いと思います。そこで、今回は自分のEEについて分析しつつ、歴史でEEを取り組むときに留意するべきことを述べたいと思います。

また、今回のブログはいつも目標にしている2000字を大きく超えることになると思いますが、どうかご容赦ください。

【1.私のEEのテーマにおける成功と失敗】
私の課題論文は、第二次世界大戦中の日本占領下のビルマ(1941〜1945)を取り上げるものでした。自分のRQは、
「太平洋戦争下の1943年から1944年にかけての日本軍占領下のビルマでは『実験的な独立が成立していた。』という主張がどの程度妥当であるか」を検討するものでした。

私のEEの内容はそこまで重要ではありません。特に、ビルマがやりやすかったテーマだとも私は考えません。一方、問いの立て方やアプローチはかなり良い感触があったと感じていますし、これを読んでいる方も参考にできるのではないでしょうか。

まず、評価できるのは、問いそのものが歴史家コミュニティの議論に完全に組み込まれている点です。日本占領期のビルマをどのように捉えるのかというのは歴史家の中でも現在進行形で議論が進んでいる部分です。「独立」ビルマ政府を対日協力者とみなすか、それともあらゆる側面で日本軍の干渉を緩和しようとしていたかとみなすかで、全く異なる結論が導出されます。私のEEは、歴史家の議論そのものが問いからすでに滲み出ているということで、史料の読み込みの深さを暗黙のうちにExaminerに示せた気がします。

さらに、私のテーマを見てもらってもわかるように、取り上げる範囲をかなり限定したのは成功への近道だったと考えています。八千字という文字数は20ページ以上にもなりがちな歴史学の論文に比べて非常に限られています。多くの場合、論文のテーマは広すぎることはあれども狭すぎるということはほとんどありません(史料がないという限界に直面しない限り)。自分の論を正当化しながら書き進めていくということを考えたときに、ある特定の主張が妥当であるか、妥当ではないかという議論に暫定的な結論を下したり、歴史の非常に限られた一側面に関して結論を下すことくらいしか与えられたスペースではできません。思う以上に自分が語れることはない、そう考える必要があります。

私の場合では
 1. 1943.5~1944.8という厳しい時期の縛り(つまりこの時期の外のことは自動的に扱わないこととなる)
 2. ビルマの中でも「バ・モウ政府の意思決定の余地」という限定的な要素に着目していた。
という二つの制限を設けていたために、最初から最後まで自分の論文が一つのテーマを貫徹することができたと感じています。
時代を狭めることの利点は、「議論」をより行い、通史的なアプローチを避けるという点です。どういうことか。時代範囲が広い探究というのは得てして説明が長くなりがちであり、「X年にこういう出来事が起きた、Y年にこういう出来事が起きた」という歴史的な出来事をなぞるだけの論文になりがちだからです。もちろん、テーマの性質によって許容される時代の範囲は異なります。歴史学の中にも全体史的なアプローチをとり、長期的な視野から歴史を考察する学問的な手法もあります。ただ、私の個人的な意見としては、IBの課題論文という範囲においてみれば、時代の範囲はなるべく狭くとることの方がより成功しやすいと思います。
要するに、八千字で正当化できる主張の範囲は広くないということに対して自覚的になるということです。

また、これは評価にどの程度影響したのかは分かりませんが、私はテーマがニッチなものであったことというのも暗に影響を与えていると思います。ビルマ史というマイナーなテーマを取り上げることで、自分のリサーチ力を示すこともできましたし、オリジナリティ(=自分の思考力?)を醸し出せたように思えます。ただ、ルーブリックの中にテーマがどの程度一般的かという項目はありませんし、奇を衒ったテーマが良い評価を得られるほど甘くはないはずです。しかし、ユニークなテーマを選択するということは必然的に自分で考えることを強制されるために、より優れたEEに仕上がりやすいということはあると思います。

一方、限界としては、「実験的な独立」という状態についての考察が甘かったと感じています。RQに入れるほど重要な用語でありながら、私のEEの本文では「実験的な独立」とそうでない状態をうまく区別することなく、この言い回しをしている二次史料の世界観をそのまま踏襲していた(つまり自分で解釈することがなかった)ことは改善点の一つでした。ただ、後述するように私のEEではこの主張の妥当性の論じ方についての道筋を丁寧に示したため、これは大きな問題としてみなされなかったのだと思います。

【2. EEの構成における成功と失敗】
自分のEEの構成としては以下のようになっていました。
1. 時代背景(440文字)
2. 序論(2000文字)
3. ビルマ政府の軍事・外交政策(800文字)
4. ビルマ政府の経済政策(1500文字)
5. ビルマ政府の内政政策(2400文字)
6. 結論(791文字)

自分の構成がどの歴史の課題論文でも最適なものとは思いませんが、少なくとも私の問いに答える上ではかなり有効なものだったかなとは思います。どういう意図でそれぞれの部分と大まかな文字数を決定したか説明させて下さい。

【3. それぞれの構成で書いた内容】
1. 時代背景(440字)
前提として、時代背景は必須ではありません。なぜなら課題論文は知識ではなく、議論やその質によって評価されるため、議論に統合されない知識は無意味だからです。しかし、私は特にニッチなテーマである場合、時代背景を軽く述べるのが良いと考えています。このような選択をした理由は二つあります。
a. 試験官と自分との間の大幅な知識のギャップを埋める。
→ビルマ史は非常にニッチな分野なので、読み手に自分の論文をわかりやすく理解してもらうには知識のギャップをある程度埋める努力がなくてはならないと思います。言い換えれば、採点官への気遣いといってもいいと思うこのような配慮は、特に日本人の採点官に響きやすいと思います。
b. 文字数の節約
→自分のテーマがニッチということは、必然的に議論を展開していく中で歴史についてある程度補足説明をしなければならないことを意味します。私はこの補足説明をなるたけ最小限にとどめるため、必要な最低限の情報をこの時代背景の部分に最初にまとめてしまうというアプローチを取りました。

2.序論(2000文字)
8000字の中で序論が2000字です。かなり多いと思われるでしょうが、私のRQに答えるのには必要な2000字でもありました。私はこの序論が課題論文の中で最も重要なセクションだと考えます。ここの部分で問いに対する道筋を明晰な形で示すことで、本論を簡潔にすることができるからです。
私が行ったことは、
a. 「実験的な独立」を主張している歴史家の主張の根拠を分解し、どこが争点となっているのかを明らかにする。
→歴史家もただビルマが「実験的な独立」を享受していたと放言しているのではなく、必ずそこには根拠があります。私はこの歴史家の主張を解体し、ビルマ政府に「限定的ながらも意思決定の余地があった」という主張が争点(議論の余地がある根拠)となっていることを突き止め、「バ・モウ政府の意思決定の余地」というふうに自分が本論で議論することを非常にピンポイントに焦点化しました。こうすることで、論文全体に統一感が生まれ、一つの流れを作ることに成功したと思います。
b. 方法のアウトラインを立てる(+正当化する)
→私のEEのテーマは今のミャンマーの状況を見てもらえばわかる通り、大きな制限がありました。一次資料は軍事政権の下で散逸し、数は限定的ですし、そもそもミャンマー自体が歴史研究をできるほど開かれた国になっていません。そこで、私は二次史料や日本軍の一次史料を活用するしかありませんでした。私のEEではこれを逆手に取り、日本軍のビルマ統治方針(「ビルマ統治要綱」)に掲げられた理想とビルマの実際の状況を比較するというアプローチをとっていました。
c. 先行研究についての言及
これは直接的にエッセイに関係しないため、軽く述べるにとどめたのですが、RQに関する既存の歴史家の見解について共有し、その後、それぞれの史料の価値と限界(OPCVL)についても言及しました。

この序論が私のエッセイではかなり肝となっていて、うまく既存の議論の中に自分のエッセイを位置付けながら道筋を示せていると思います。限界としては、区分が挙げられるかもしれません。本文をもっと狭く(例えば内政と経済だけに絞る)ことでさらに焦点化されたエッセイが書けたかもしれません。
3/4/5. ビルマ政府の軍事・外交(800文字)、経済(1500文字)、内政(2400文字)における政策
本文に関しては、均等に3等分するのではなく、議論がよりできるところ、結論がすぐ出てしまうところで文字数に差をつけました。例えば、軍事と外交は日本軍が支配をする上で厳しい統制を引くことは容易に想像が付きますし、議論できることも少ないので、文字数を抑えました。一方、内政に関してはより議論の余地があったため、多めに文字数を取りました。このように文字数の調整をすることは、EEで完全に許容されます。
本論の部分では、基本的に賛成の意見→反論→再反駁という流れに徹しました。また、この時の論点は全て「バ・モウ政府はOOにおいて意思決定を行う余地があったか」という問いに集約しています。

6.結論
結論では、これまでの三つの観点(軍事・外交、経済、内政)をまとめ、議論に対して最終的な答えを出しただけにとどめました。ここは少し反省なのですが、議論を統合する「結論」というよりもただ本論をまとめただけになってしまったのは少し残念に思っています。ただ、再び歴史家の議論に立ち返り、「意思決定の余地」をうまく「実験的な独立」に接続することができたのは評価できるように思います。

【4. 全体としてみて】
私の課題論文は序論を含め、構成と議論の道筋、そして問いの範囲の設定にかなりの工夫を凝らしていることがわかるかと思います。これが課題論文で成功することができた大きなコツだと考えます。自分は結果的に2週間で論文を書き上げたためになって、今になって振り返れば穴や不十分な部分もありますが、それでも基本的な構造ができていることが採点官からは評価されたように感じます。

それでは長くなりましたが、今回はEEの構成について語ってみました。EEは色々な道筋があるのが特徴だと思うので、ある特定のパターンに固執しすぎず、自分の焦点化されたRQに対して直接、そして洞察力があるやり方で答えられるように構成をアレンジするのが一番良いと思います。では、またの機会に!次回からは違う科目に話を移していきたいと思います。


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