【8月6日】広島人として感じること
この投稿をすることは悩みました。
若者の私が発信してもいい話題なのか。
私の投稿が大きく騒ぎ立てられることはないとは思いますが、
可能であれば静かにご覧になっていただきたいです。
1 広島県民がこの日を知る日
広島県では、小中の義務教育の期間でこの日についてを学びます。
道徳の授業で物語を読んだり、実際に被ばくされた方を学校に招いて講演会を開いたりしています。
私は子供ながらに非常に恐怖を覚え、正直怖くて聞きたくなかったです。
しかし、年齢が上がるにつれ恐怖とは違う、名前の付けられない感情が沸いてくるようになりました。
答えが出ないこの気持ちですが、考え続けなければならないことだと思います。
2 怖いと感じた話① 被爆者の方の話
記憶がさだかではありませんが、おそらく小学生の時に被爆者の方のお話を聞く機会がありました。(実際にお会いしたのか、TVだったのか忘れてしまいました。)
その方は、当時広島市のチンチン電車(路面電車)の倉庫?で働いていたそうです。
当時は人手不足で若い女性でも力仕事をしていたそうです。
仕事場でその瞬間を迎えたと言われていたかと思います。
ものすごい爆風と光線と風で何が起きたのか分からないと言われていました。
その方は無事だったのですが、爆心地近くに行くと皮膚がただれて腕からぶら下げていく人、のどが渇いて川の水を飲んで死んでいく人、そんな人たちが「助けて」と声にならないうめき声で助けを求めてきたそうです。
その時、何が起こったかわからない怖さやただれた人を怖く、気持ち悪く感じたといいます。
その後の話はあまり覚えておりませんが、復興の際にチンチン電車が広島中を駆け回り、当時の人々の復興の希望に見えたとおっしゃっておりました。
3 怖いと感じた話② 道徳の本の物語
実話をもとに再現した物語が道徳の教科書に載っていました。
その本のシーンで、主人公が爆発後の広島で人々を助けに行くシーンがありました。
被爆したのは人々のみならず、動物も被爆しております。
主人公は助けに行く道中、被爆した軍馬に出会います。
そのシーンが怖くて非常に覚えています。
その軍馬は、立つことができず横たわっていました。
人に慣れているのか、助けてほしそうにこちらを見つめてきます。
しかし、その首元は大きくただれ、見つめる馬の瞳と首から流れ出たリンパ液が周りの炎でギラギラと光っています。
近くには黒焦げになった軍人であろう人が横たわっていました。
4 怖いと感じた話③ 社会人になってから
私が社会人になってから、あるつながりで当時たまたま広島から呉に移動していて被爆をも逃れたという方とお話したことがあります。
当時は呉から広島まで20km~30kmも離れているのにキノコ雲が見えたといいます。
呉の町は、何が起こっているのか分からず、広島とも連絡がつかず、様々な噂が飛び交い、パニックになったという話を聞きました。
下記のリンクの話がとても近い話でしたので、ぜひ拝読してみてください。
5 怖いと思った話④ 科学を勉強してから
爆弾の燃料として使用されていた放射性物質「ウラン」「プルトニウム」。
放射線が体を壊すとは聞いたことがありますが、あまり深くは知りませんでした。
放射線にはα線(ヘリウム原子核)β線(電子)γ線(電磁波)があるそうです。
それらが高エネルギーで物質にぶつかると、原子の周りをまわっている電子を吹き飛ばすそうです。
もちろん、物質の性質を決定するのは陽子、中性子、電子の数なので、放射線が当たった体の細胞は壊れてしまいます。
ボロボロになってしまう放射線は本当に怖いと感じましたし、当時の人々は自分の体を構成する物質を変化させられたと思うと怖くてたまりません。
放射線については詳しくありませんので、下記のnoter様の記事が非常に理解しやすいと感じます。
6 まとめ
今も世界のどこかで争いがあると思うとつらいです。
どんな大義名分があればそんなにひどいことができるのか。
生まれ変われるとしたら、本当に平和と呼べる世界に生まれたいです。
世界よ。変わってくれ。
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