あえてさせないこと。

あえて「させない」と決めたこと。


水泳を習わせること。

これはね、うちの子の肌が弱いから塩素が嫌だったの。

今はほかの消毒方法のプールもあるけれど、

あえて習わせていません。

 

夫も私も水泳習っていて、

結構泳げるけど、大人になって役に立ったかな?

体力づくりにはいいだろうけれど、

喘息への効果はありませんでした。

 

それから、

塾に通わせること。

夫も私も通っていた派だったのだけど、

効率的な勉強時間かというと疑問。

費用対効果は消して高くないと思っていて、

これは、今後もできるだけしないようにと思っています。

 

英語を習わせることも避けていたけれど、

もう必修化だし、状況が状況だし、英語は方向転換しました。


わが家は、習い事に時間と費用を割いていません。

あえてさせていないことは習い事全般と言えるかもしれません。


家の中であえてさせていないことと言えば、

テレビを見ること。

時にビデオやユーチューブ、テレビも見ますが、

そもそもテレビを所有していませんし、

毎日ルーティンに見ることはありません。


最近は、テレビ見せずに、早く寝せることをしている家庭は結構いるようです。

パソコンはオンライン化の影響で解禁しましたが、

解禁になると途端に(メキメキ)上達というかはまってしまいました。

なので、液晶画面を見せない、というジャンルではむしろさせているに傾いてしまっています。

 

それから、わが家は学校から帰ってあえておやつを出しません。

学校のある平日は基本的におやつはなしです。

おやつをつまむにしても夕食後(主に母がですね)。

学校から帰宅して17時には夕食です。

 


あとは、

マインド的になりますが、

人と同じことをあえてさせようとしてきていません。

 

同じものを食べさせようとか

同じものをさせようとか

同じものを着せようとか

無意識に同じであろうとすることの反対をいっています。

 

習い事も

食事も

生活リズムも

着るものも

生活環境も

人と同じで安心しないんです。

 

自分セレクトのほうが安心します。

 

なので、

「あえてさせていないこと」が周りよりは多いかもしれません。

 

何かをさせるってことはそのほかの時間を奪うこと。

夫も私も 「暇」こそ人生のゆとりで醍醐味と思っている節があります。

つまり惰眠をむさぼるのが好きってことですが、

習い事のような何かをすると決められている時間や

テレビをなんとなく見るような主体性のない時間を持つことへ

多少の疑問があるんです。

習熟とか、鍛練的にはいいと思います。

それから、無駄な移動時間とか拘束時間とかも日常のルーティンに入るのが好きではありません。

 

子どもには、勉強するより寝なさいと言う母です。

自分のエネルギーを養う時間が、必要な人間も多いはずだと身をもって知っているからです。

あえて「させない」、

「しない」ことで人生を豊かにする方法を子どもには伝えたいです。