紙一重な心と自分
お久しぶりです。堅焼きです。
●NOTEは投稿していませんでしたが、ひと月毎に書く月記と、心の中に残った喜怒哀楽を書き留めるメモはちょくちょく書いてました。それをNOTEに載せるのもいいな〜と思ったのですが、なんせ身内ネタや個人情報丸わかりのものばかりだったので…今回はその中でも整理してまとめたいものを書きたいな〜と思います。
●私の地元は友達Aの隣の家の庭から野生の鹿が出てきたり、友達Bの庭にキジが3羽いたりするようなまあまあの田舎でした。学校のクラスも30人以下で3クラス編成。コンビニはなく、自然を利用した公園があるようなのびのびした場所で他学校との交流は少ないが近所付きあいは多かったのを覚えています。
●父親が近所のパパ友とソフトボールをしていたので、毎週のように誰かの家で飲み会をしていました。幼い私にとっては夜更かしして悪いことをしているような感覚で楽しかったのですが、あそこの家の人は飲み会の会場として1回も使わせてくれない、女は飯を運ぶのが当たり前、あそこの家はなんで子供を作らないのか、こういう失礼極まりない話を酒のつまみにしていた大人の言動を思い出すとゾワッとします。私の父親は近所仲間に陰口を言われないよう、家に酔っぱらいを入れたくない母親を説得して数回うちを飲み会場として使ったことがありましたが、母親の顔は笑顔の裏でピキピキと怒りの音が鳴っていました。ポテチを貪り食った小学生と幼稚園児が手も拭かずに壁を触りながら階段を駆け上がったり、うるさいおっちゃんの下ネタ、塩焼きそばを作れば「焼きそばはタレだろ〜」と言われたり、よく耐えたな〜と思いました。私のために耐えてくれたのかな。嫌だっただろうな。小学校1から4年の間で起こったことです。意外と覚えているもんなんですよね。
●小中学校では男女の壁や恋バナ、隣の町のヤンキー学生の話、先生の恋愛事情など、色んな噂話が飛び交っていました。だって田舎はそれくらいしかすることないもん。自然の中でのびのび遊ぶけれど、そういう黒い不確かなものって喋りたくなっちゃうし仕入れたくなっちゃうんだよね。特に小中学生は。なんでも知りたい時期。話のタネを持っていれば人気になる。
●噂話何度も聞いたが話したことない人、クラスがウケるくだりやノリ、同じ当たり前が染み付いた田舎小中学生の6年間、私はそれに対して何も疑問に思わないまま中学校を卒業しました。
●その当たり前が最初に壊れたのは高校一年生のとき。男女共にまあまあ友達がいた私は高校でも同じように友達が出来ると思っていました。 しかし私は1年生の頃、ある男友達(今は友達として認識してないけど、あの時は男友達だとおもってた)「ブス」「死ね」「きもい」「くさい」を数え切れないほど言われました。決して相手はいじめとして言っている訳ではなく、それを言われたあとの私の反応が面白くてやっていました。相手が9年間積み上げてきた面白い「くだり」。それを「当たり前」としてきたのです。私は自分の顔がTWICEの一員になれるような顔ではないと自覚していますが、それなりに自分では満足していたので言われた時もちろん悲しい気持ちになりました。が、1年共に過ごすとそれが私のなかで面白いくだりとして認定し始めるのです。住めば都。苦笑いも段々と自然と笑えるようになってくるのです。高校の3年間は周りの子と悪口や噂話、汚い言葉を並べながら生活していました。その頃から汚い言葉遣いをしている自覚はありましたが、それほど汚くない、私はセーフだと思う自分がいました。ストーリーズに女友達が抱き合って猿みたいに騒いでる動画に「交尾すんな」とコメントをつけて載せてましたがどこがセーフだよ完全にアウトだよ。他にもいろいろ載せてたな〜………今振り返ると恐ろしいし恥ずかしいしで、あの頃からずっと友達でいてくれる現友達には感謝でいっぱいです。大好き、ハグしよ、ほら、来て‼️(逃げて)
●そんなこんなの高校生活で負の感情が多い人格が出来上がってきた頃、私は大学受験がありました。AO入試という方法だったので9月には合格通知が貰えました。入学する4月までに学科の人との交流を深める目的でスクーリングが行われ、私はそこで2度目の当たり前が壊れました。
●同学科で学んでいく全国各地から来た同級生と話していくうちに、人を外見で判断しない人、すぐ怒らない人、暴言を吐かない人、汚い言葉を面白いと思わない人ばかりで、、、ほんっっっっとうに当たり前のことなのに、シンプルに、感動しました。ここの大学(学部)を選んでよかったと心から思いました。ここが私の居場所になるんだ、なんて居心地がいいんだとスクーリングをしてから「一日でも早く大学に入学したい」という気持ちが大きくなりました
。そして私の高校当初に感じていた暴言を吐かれた時の悲しさ、憤り、親への申し訳なさ、自己肯定感が下がっていく感覚、これがマジョリティなのかという恐怖が正常なものだったのか、不安にならなくてよかったんだ、と安堵したのを覚えています。
●入学後は学生寮で生活をしました。学生寮といっても寮母がいないのでシェアハウスのようなもので、22人が自炊や家事をしながら共同生活をするという感じでした。ここで3回目の自分の中の当たり前が壊れました。
●学生寮には私の通う大学の学生だけでなく、近くの学生なら誰でも入れる寮だったので様々な人がいました。
●学生寮に入る数日前、入居者とオーナーの間で説明会をしたのですが、そこで私は説明会の中で空気の読めない子や服装があまりオシャレじゃない子、喋り方がオタクぽい早口な子、と色メガネをかけながら仲良く出来る子と仲良くできない子を頭の中で分けていました。今思うと本当に酷いことしているなと思うのですが、小中高の「当たり前」を持って寮に来たことで、スクーリングでいい人とめぐりあえたと言えどなかなか根本は治っていませんでした。
●しかし寮で過ごすうちに、全員が全員のことを知ろうとし、仲良くしようとコミュニケーションを取っているのを見ました。私はそれを見て、一応寮だし我慢してやってるのかな?とか最低なことを考えていましたが、段々とそれが本当に相手に興味を持って接していることを知りました。そしてその仲良くなっていく過程を見ているだけで、私がどれだけ強い色メガネをかけて人間を見ていたのかということに気づきました。それに気づいてから、自分の好きが広がり生きやすいな〜と感じています。本当に、申し訳ない、あのころのみんな。あと今も仲良くしてくれてありがとう。そして今年から寮長に任命してくれた先輩、受け入れてくれたみんな、本当にありがとう…ハグしよ、来て‼️ほら‼️
●自分が嫌だと思っていることって案外同族嫌悪なことが多いな〜と常々思います。ここ数年は嫌いなもの、人が割と少なくストレスフリーに生きている私ですが、嫌だな、と思った時は自分を見つめ直す機会だなと思って色々考えるようにしています。
●でも普段ストレスフリーだからか、大きなショックや嫌なこと、モヤモヤしたことがあったとき、考えるとかなり心にダメージを食らう人間だと去年気づきました。慣れない。ストレスを感じたからといって怒るのも無理。泣くことしか出来ない。これは多分私のエネルギーのタンクが少ない&脳みそが鈍感なせい。そのくせに慣れていないので心は繊細ほにゃほにゃ。
●大体の嫌なことや理解できないことは
「まあ、色んな人種おるしな…」
「死ぬまで関わるわけじゃないしな…」
「こんな思考回路になるんだ、面白いな…」「死にはしない」
で何とかなります。
……じゃない??
●だって高校に人を傷つけていいと思ってるような性格悪いヤツらが固まっててそれが当たり前だと思ってたのに大学入ったら全然違うし十人十色でみんな個性の塊なんだもん!!!!!
ひとりひとりが一生懸命生きて20年使いまくった脳みそをわかったような気になったり、あんたこれは違うでしょ!って自分の価値観をすぐ押し付けて否定するのはおこがましすぎると思うんだよな〜〜(※これも個人の感想です)
●友達から「堅焼きは敵でも味方でもなく話を聞いてくれる」と言われ、その場にいる友達が共感していたし、私も共感した。てかそうするようにしてたから言われてちょっと嬉しかった。わかる。私は何にも贔屓したくない。良くも悪くも、人に期待しすぎていないんだよね。私の意見ひとつで変わるような性格や価値観を持っているだろう、といい意味で期待していない。そういう人間ひとりひとり考えてることが違うっていうのが面白いから、ありのままの、私抜きの個の話が聞きたいんだと思う。
●まあこんな綺麗事言ってますけど、全然私はInstagramで承認欲求が出たり、出ている人を見るとウッ…て一瞬なったり、悪口言う人やすぐ怒る人、責任転嫁する人は苦手なのでふつ〜に少なからずストレスはある^^ただ考え方を変えてストレスフリーになるために気にしない訓練をしている途中なのです、、頑張るぞ〜。
●人それぞれだしな〜マインドで言うと私がブランド物とかに興味が無いのもそれ。例えば黒靴=マーチン履いてる子多いけどなんでマーチンが多いのか疑問に思ったりする。あれ、なんでだろうね、いや、可愛いのはわかるんだけど、他にも素敵なブランドいっぱいあるのにな〜とか不思議になる。
ブランドって人気だからこそ有名ブランドになっただろうから一定の信頼感はあるけれど、ブランド名だけでものや人、音楽も全部判断したくない、結構難しいけど最近はそれが出来ている気がする。人は人だって思うことが強くなってきてるから。物や音楽も誰かの脳みそで考えた創作物だから。
●人は人、と思いながら軽〜く私のペースで人と関わっていると、最初に書いていたコミュニティの狭さを感じることがある。これは良い悪いあると思いますが私はコミュニティを多く持ちたい派なので狭い人の話を聞くのが少し苦手。小中高偏見だらけだったやつがこんなこと言うのおもろいよな〜。何言ってんだよって笑いたきゃ笑ってくれ!!!!!
●でも本当に、帰省して地元に就職したり地元の学校通ってる子と話すと何も変わっていなくてびっっっっっくりする。これは寮の子も言ってた。私だけじゃなくてみんな大なり小なりあると思う。両親に対しても、家族に対しても、友達に対しても。ふとした時に感じる。
●身内から結婚して子供ができる人生こそ幸せだからそうなって欲しいと願われたり、小学校の時先輩だったあの人が浮気してたとか、私の元彼は今○○で働いてるんだって〜とか、あの人今年浪人するらしいよとか、あの人堅焼きのこと知ってるんだって〜とか、あの子の彼氏に今度会うんだ〜とか。
●へえ〜
●ど〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜でもい〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!時間の無駄すぎでは???????私と話してるんだから私とあなたの話をしようよ!!!!人から聞いた人の話ほどどうでもいいものは無いし私への価値観の押しつけは受け付けていないんだ!すまんな!お帰りくだせぇ!!!!
●ってなるから苦手なのよね
●やめたバイト先とかってたまに行くといつ来ても変わらないな〜とか思うけどああいう感じ。あの頃から何も変わらない、閉じ込められて時が止まって、当たり前のようにそれが染み付いちゃってる感じ。店ならわかるけど個の人間が変わらないの怖い。
●なんで長々とこんな話をしているのかと言うと、私も最近コミュニティが狭いところにいるな〜と感じる日々が続いているのです。
●今年で3年目になる学生寮と大学生活、よく行くお店、よく喋る仲間、変わらない交友関係、最近ここに刺激が欲しい、ないと私はここで人格が固まっていく音を感じるのです。それが怖い、というのが最近の悩み。
●どこか出かけたり、本を読んで知見を広げたり、人にインタビューをしたり。色々な手を使って繭を割って自由に飛び立ちたいな〜〜と思いました。
●NOTEに書くとスッキリしますね。独り言をつらつらと書いちゃったけど、NOTEだからいいよね、語りかけてるけど、敬語だけど、でも独り言、NOTEだからいいよね。うん。
明日はギャラリーのお手伝いだから沢山働くぞ〜。
また、なにか整理したい時にここに来ます。
それでは失礼します。