7/21の星の落とし物「みんな生まれさせられて役を演じてる」
ああ人間は生まれてくるのではなくて生まれさせられるのだ。自分の意思ではないんだ
吉野弘の「I was born」
あまりに有名で、でも私も本当に本当に大好きな詩だ。
実際の文体はこうだ。
「I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は
生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね」
この詩を引用しつつ書かれた為末さんの記事の中で「なぜ自ら死んではならないのか」ということに対し、為末さんはこうおっしゃっている。
「私は自死を選んではならない理由は、自分は完全には自分のものではないからだと考えている」
「本当の意味で全てから切り離され自由な意思を持った個人というのは存在し得ないのではないか。だから自分で自分の死を選ぶことが禁じられるのではないか。」
私が為末さんの言葉を読んで、共感するところがあるのは
そのように書かれておきながらも
「このようなアイデアはとても息苦しく、全体主義のような押し付けがましさを感じる」
という観点もちゃんと書いてくださるからだ。
世界は様々な側面でそれぞれの色を持っている。
だから
「時に人は完全な個人であり自由であるというよりも、あなたは全体の一部であり、一人ではないと言われた方が救われる時がある」
個人の自由は尊重されたほうがいいに決まってるし、自分もそうありたい。
でも、一方で、私は全体の一部であり、私は全体そのものであり、私はあなたでもある、という目線も常に持っていたいと私は思っている(できてないが(*´з`))
為末さんは最後にこうしめている。
「人生には時々出ては消えながら、ずっと折り合っていく類の問いがある。最後まで結局よくわからんなあと言いながら。」
「みんな役を演じているだけなんだよ。」
昨日、私も自分の中で「問い続けていく」と書いたけれど、
なんとなく重い感じがして、書いた後にちょっとしんどくなってしまったのだけれど、
「よくわからんなぁ」
って、こんな感じで考えていこうと思う。
今、蜜蜜片腕子という役をゆらゆらと全うしていこう。
亡くなられた彼はもうちょっとしたらあの世で「地上での僕はよくわからんかったなぁ」ってその時の役のことを思うかもしれない。
そして、お姉ちゃんは今すでにもう「地上でのあの役である私はこれでよかったんだ」って思っていることを、私は知っている。