何があってもそこにいるってわかったの

絶賛、自分の動画をアップする活動実施中。
壺天範侍、再来週ライブしまーす。


★★★

キモいと思ってくれて全然いいんですけれど、
スピっ子だからってのもあるけれど、
もう、なんか、子供の頃から当たり前のように
神さまや仏さまって存在するって思っていたし
(具体的にどういうというのはわからないけれどただただ概念として在ると思ってた)
目に見えない存在というものを信じる信じないとかじゃなくて
空気と同じ感覚でいるって「知っていた」という感じです。

それで、長い間、朝晩毎日
神さま、仏さま、ご先祖さま、守護霊さま、亡くなった姉、
私を守ってくださっているであろう万物(星や妖精、天使、などなど)、自分自身の魂(ソースみたいなもの)にご挨拶をする習慣がつきました。
何かあったときには助けて!とお願いするし、愚痴をこぼす時もあるし(あかんやつ)、何より感謝の言葉は都度都度伝えるようにしています。

でもわたくし、別に視える人じゃありません(笑)
スピリチュアルなお仕事をされている方々のように見えない存在の声を聞くこともできません。
なので、やっぱり時々、存在を疑うということではなくて「わたくしの事、認識してくれているのかなぁ」「メッセージを具体的に聴きたいなぁ」なんて、
俗っぽいことを思うことがあります(人間だもの~)。

*
昨年、出雲に行った時のことです。
わたくしは手を合わせて「神さま・仏さま・ご先祖さま・自分自身の魂からの声をしっかり感じ受け取りたいです」と伝えたんです。
そしたらですね、その後すぐに引いたおみくじに「眼に見えざれども、吾人の一挙一動を知る者三あり 曰く神、曰く祖先、曰く良心」と書かれていたんです。
涙出ましたね~。
やっぱりちゃんとわたくしの声は届いているし、こうやって伝えてくださっているんだと確信しましたよ。

その後、ちょっとずつ色々あって(←はしょりすぎ)
わたくしは今はもう完全にその存在と共に生きているし、いつだって見ていてくださっているし、声を届けてくださっているってわかっています。
別に願いをなんでも叶えてくれるとか、試練を与えるとか、答えをくれるとか、そういうんでもないのですが、(いや、そういうときもあると思うけど)、なんか、もっと、大きな感じがして、だからわたくし自身は常に自由に選択できるし(当たり前)その責任も負わなければいけなくて(当たり前)、でもそれは実はお導きでもあったりもするし、という感覚です。

ああ、全然具体的じゃないですね。
具体的に成り立ってるもんじゃないと思うんです、そういう存在って。
それで、それぞれの役割なんかもおありな感じだし、それぞれの性質もあって、具体的でなくたって証明できなくたって、わたくしはそれぞれのエネルギーを感じることでとても安心して自由に生きていけるなぁって、最近心から思います。

悩みも苦しみも悲しみもつらさもフツーーーーーにありますけど!
そんなの当たり前すぎることなのです。
それでも、なのです。
それを今、ものすごいものすごいものすっっごい実感してしまったので
思わず書いてしまいましたよ、なことでした。

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赤裸々な告白とかではありません。

齢50を過ぎた女が自分の愚かさと間違いとまあいっかをつぶやく日記

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