7/9の滴り「優しい?からのラベル剥がし」(7/10追記あり)

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ずーっとずーーーっとふんわりやんわりと「????」って思っていたけれど
深堀するのも面倒だし(知性の欠損ですからね)
考えても答えは出そうもないし(知性の以下略)
なので「????」のままに放置していた事があって。

それは
「いい人」「優しい人」ってなんだ???ということだ。

あえて今こうして文章にしようとするということは
いよいよそれを真剣に考えて、仮定かもしれないが結論めいたことを見つけたかのようだが、
そんなことはない。
相変わらず考えることは放棄である(ちせ以下略)

そうではなくて、今、絶賛私の記事に登場する人である星読みのyujiさんの有料記事を過去のものを含めてランダムに読んでいたときに
「よくわからないこと」というタイトルで感情の質と仕訳について書かれていた中で
「優しい」について書かれていたから
ちょっと嬉しくなって記事にしてるだけです、はい(ミーハー)



”理解ができないし、なんならわたしはもっていないとちょっと自信ありげに宣言すら出来てしまえそうなことに
”優しい”なる状態がある。
優しいとはなんだ?


と書かれた文章の内容は
まさに私が普段なぜ「?????」となっているのかが
しっかり文章化されていて
もう、「そうそうそう、そうなんですよ!そこ、わかんないですよね!!」
と叫びたくなってしまった(笑)

有料記事なので引用は控えますが

「親切・優しい・愛・慈愛・常識・礼儀」の境目ってどこだ?とか(笑)
そのあたりの評価がごっちゃになって「優しい」「いい人」みたいな事で
ひとくくりにされているみたいだけど・・・・
そこにこだわってしまう自分としては
どうしても「や、私、別に優しくもいい人でもないですわ」と思ってしまう。

「考えていくともはや言葉に弄ばれている」気がしてきて(笑)
「言葉とか感情とか心の動きとか」結局、わけわからんなってくるので
もういいや、となるんだけど('ω')

考えすぎーって思われるのはわかっているし、
人それぞれの感じ方考え方が違うからそこを深堀する意味はないとは思いつつ。
でも、ひとつやっぱり自分で絶対的にわかっていることは

こういったラベルみたいなものはあんまり意味ないなーってことだ。
優しいとか冷たいとか、いい人とか悪い人とか、大人っぽいとか子供っぽいとか、誇り高いとか低いとか、プライドがあるとかないとか、
頭いいとか悪いとか、常識良識があるとかないとか、
他にもいろいろあるけど、そんなの、
ほっんとーに心から
どおおおおおおおおおおおおおでもいいことだなって思う。

(どおでもよくないと思う人を否定しているわけじゃないよ。
人それぞれの価値観の問題だから)
(そしてもちろん褒められたラベルはものすごく嬉しい)

私も「あの人はコドモだよねぇ」「すっっごい優しい人!」とか言ったりするけど
そういう言葉は
あくまでそう思ったその人"だけ"の感覚だし、ほんの一側面を見ただけの
めちゃめちゃふんわりしたものであるという自覚がある。
そして私自身が言われる側になった時は
嬉しい言葉なら「ありがとー」、そうじゃなかったら「そういう風に捉えることもあるのかぁ」とどちらにせよ重く考えることはないんだね。


だったら今まで自分につけられたラベルも
自分が勝手につけたラベルもはがしちゃいたいな(ガンバル)
※でも褒められたラベルは逆にどんどんくっつけていこう。意味がわからなくてもいいから。

って、yujiさんの記事の内容とはズレたハナシになっちゃった(;'∀')
「優しいがわからない」以外のところは
私の記事の内容とyujiさんがブログで書かれている内容は
全く異なった類の話です、あしからずっっ!


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