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そのまんま 11.27 午後

 構成も何も考えずに、今思っていることをただ綴っていく。そのまんま。

小論文演習をやればやるほど不安にしかならない

 小論文は過去問を解き終わって、今は他の大学の似たような小論を解いている。もう解けば解くほどわからなくなっていく。自分の言いたいことばかりになっていないか。自分の考えを「論理的に」述べることができているか。

最近は論理的な考え方が適当になっている。適当というか詰めが甘い。例えば、経済・社会・科学・制度の4つの観点から「森の保全」について述べるとき。社会的な要素を忘れ、経済を回すことばかり考えてしまっていた。

この4つの観点は問題文に書かれているのではなく、本文にかかれている。「本文に書かれた筆者の主張を踏まえ」なので、この4つの視点をうまく組み合わせることが必要不可欠である。

自分の回答はいつもどこかの視点が欠けている。とくに社会的な視点が欠けている気がする。人々の消費行動の変化や地域の税収、エコ意識など、社会的な行動の変化に疎い。というかそもそも社会的ってなんだ。

社会的な見方・考え方社会的事象の意味や意義、特色や相互の関連を考えたり、社会にみられる課題を把握して、その解決に向けて社会への関わり方を選択・判断したりする際の視点や方法(考え方)のこと。

学びの場.com

社会ってなんだ。

規模が大きすぎていまいち捉えきれていない気がする。

複数の人びとが持続的に一つの共同空間に集まっている状態,またはその集まっている人びと自身,ないし彼らのあいだの結びつきを社会という。

コトバンク

社会学では「人と人との関係が組織化、制度化されたもの」を指すらしい。今ふと考えてみると、人間は自然と集団を形成し、集団から外れないように生きているなと思った。

不思議ないきものだ。

英語の授業

そういえば、いまやっている英語の授業もそんな感じの話だな。「集団から
外れることは、すなわち死刑宣告である」。人間は集団から外れることを極端に恐れる生き物…というお話。

自分と考えが合う人はすぐに話しをするが、全く合わない人とは「滑り台」のようにちょっと合わない人から徐々に話をしていき、最終的に全く合わない人と話すという段階を踏む必要がある。

私は「興味のあるないで決めない」生き方をするように心がけている。意見が合う合わないもそうである。確かに意見が合わない人の話を聞くと「むっ」とすることもあるが、それも自分の経験の一部になると思うと、世界が広がるしいいかなと思う。

逆に聞かないほうが怖く思える。ずっと自分の世界だけなら、ずっと安全かもしれないが、外の広大な世界を知ることはない。私は死ぬまでにできるだけたくさんの世界を知って、自分の世界を広げたい。

大学にもし受かったら

 受かったらまっさきに大学の教授全員の研究を一人一人聞いて回りたい。自分にやれることはまだはっきりしていない。だからこそ、たくさん知りたい。興味しかない。大学のホームページや今までやった研究、地域との取り組みは、実際に教授の口から聞いていない。

教授の研究への熱すぎる想いと深すぎる内容をすぐに聞きに行きたい。そして自分の自助具の研究を早く再開したい。自分が一年研究を止めている間も技術は進化し続けている。それが楽しい。

自分も早くその波に戻りたい。もっとたくさんの方の意見を聞いて、今もありつづける悩みを解決したい。誰もが「諦めない」生活を叶えたい。

正直、不安ばかり

 先の見えない不安が襲いかかる。皆さんから応援と励ましのコメントをたくさんいただく。本当にありがたいです。自分を信じるしかない。

でもどうしても、「今まで負け続けた」経験が脳裏をよぎる。アンサンブルコンテストで、3チーム同率一位で全国に行けなかったときのこと。英検準一級に落ちたときのこと。今まで参加してきたプレゼン大会で、名前を呼ばれなかったこと。

思い出してもしょうがないのに、落ちた思い出ばかりが胸にたまり続けている。こんなこと考えても、本当にしょうがない。

気持ちを切り替えるのも、一つの才能である。

明日は神社に行って、気持ちを切り替えてこようと思う。


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はら みゆい
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