そのまんま 11.19 午後
構成も何も気にせずに、今思っていることをただ綴っていく。そのまんま。
浅い知識が先に進んでいる
社会問題への興味、どうしてその問題が起こったのか、影響はなんなのか。人の流れは、経済は。このような要素を必ず気にして、理解するように社会問題と向き合っている。
しかし、理解できているが解決策の方向性が違ったり、「今小論文で論じてほしいこととはずれているよね」ということが頻出している。安直な、ありきたりな解決策を出すことが一番むずかしい。
自分の案は他の人にはないユニークさがあるらしいが、必ずどこかに注意を払えていない。一時的な経済利益であったり、「循環型」で持続可能な経済活動に着目していなかったり。
採点者によってはバチッとはまってくれるが、題材によっては「あれ?」となってしまうこともあり、あまりにも博打ならしい。自分が思った解決策は、ひとりでに走り過ぎなのかもしれない。
自分には物事をすごく近くにみてしまう癖がある。もう少し視点を広くみて、人間の活動がプラスされることで、何が起こるのか経済全体で見ることが必要である。
自分の知識ゆえに固定概念が生まれてしまっている。柔らかかった頃の自分を思い出せない。深く物事を知らないほうが良かったのだろうか。
小論文の捉え方を間違えている気がしてきた。小論文は自分の知識を活かすところではなく、そこで出された新しいグラフや評論の情報をその場で活かすところである。少なくとも私が受ける推薦はそんな感じである。
このままだと、本番満足して受けきれない気がする。今のままだと誰にも勝てない。75人に勝てない。
自分は何がしたい?
そもそも自助具から建築を目指した理由って何なのだろう。そのまま言えば、「自助具を家づくりや街づくりに落とし込んだらおもしろそう」から始まった。
誰もが「諦めない」世界を自助具で創りたい。その形を家に落とし込んだらどうなるのだろう。本当に好奇心と実際に見てきた家からきている。
老人ホームや介護施設に訪問させていただいた経験から、施設の構造の機能美を見てきた。それと同時に「色のない世界」も見てきた。ご飯が食べにくい、声が出ないから話す元気もない、毎日同じ曲を、体操をして過ごす。
老人ホームに通われている方の実際の声で、ずっと心に残っている言葉がある。
人によって、話したくても話せない人、話すことにそこまで興味がないから話さない人、たくさんいる。どうしても施設となると、ひとまとまりにせざるを得ない。
できなくなったことは諦めるしかない。人との関わりも体力がなくなってきて、自然としなくなる。でもさみしさはどこかに存在している。
そんな「色のない」世界を建築と自助具の融合で「色のある」世界、諦めない世界にしてみたい。衝動的にそう思った。
いろんな世界を見たい、絶対見てやる
早く受かって、とにかく自分の研究を進めたい。とにかく自分の知見を大学とともに広げたい。できないことはたくさんある。だから大学で学ぶ。いろんな世界をもっと見たい。自分のこの目で、耳で、肌で感じたい。
早く寝る
最近は寝不足な気がするので、思ったより早く行動して早く寝ます。
おやすみなさい。