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そのまんま 2024.11.13 午後

 構成も何も考えずに、思ったことを綴っていく。そんなnote。
言ってることが捻じれてる?それもまた一興。

褒められるのが苦手なのかもしれない

 普段人の表情を見る癖があるからか、お世辞が言われるのも言うのも苦手だ。というか褒められることが苦手なのかもしれない。どういう顔をすればいいのか分からなくなってくるし、そもそも他人のほめ言葉を信用していないのかもしれない。

 大切な人からのほめ言葉は、高校生になってようやく信じることができてきた…というか何回も言ってくれるしすごい訴えてくるので信じることができるようになってきた。

 ある程度長く関係がある友達からのほめ言葉も、くすぐったいけど信用できるようになってきた。

 人から褒めてもらえるのは、本当にありがたいことだから良い反応をしなきゃと思って、わからなくなってしまうのだろうか。それとも相手は自分のだめなところを知らないから、だめなところを見たらどう思ってしまうのだろうと考えるから、ほめ言葉が信じられないのだろうか。

 高校生くらいになって、ほめ言葉に対して「ありがとう」と言えるようになったけど、昔は「え、本当に?」しか言葉が続かなかった。本当に、照れるとは違う意味で、ほめ言葉が苦手だった。今でも、少し苦手である。

苦手、ゆえに

 言われるのが苦手だからか、言うのも苦手である。最も、お世辞はものすごく苦手である。本心しか言えない。相手は同情を求めて今、その話題を振っていること。めちゃくちゃ理解しているんだけど、ほめる前に次への解決策みたいなことを話してしまう。

 厳密には話してはいない。頭に浮かんでいるけれど、今これは求められていないから、結果的に「ほへぇ…」みたいな反応になる。だからか、某部活時代のときには、お世辞が言えないと生きていけない世界だったので、先輩にめちゃくちゃ嫌われていた。

 お世辞が言えないと生きていけない世界もあるけれど、お世辞が言えないということは、ほめ言葉はすべて本心からであり、私の大切な友達の一人は最初からその長所に気づいてくれていた。

 自分では気づいていなかったけど、某部活で友達を褒めたときに「君はお世辞が言えないってわかってるから、今褒めてくれたのは本心なんだよね。だからすごい心に響く」と言われて、気づいた。

 別に悪い事ばかりではないんだなって。

普段、私はそんなに人のこと褒めてないんだと気づいた

 逆に、私って今までそんなに人のこと褒めてないんだと思った。褒められる経験があまりないし、褒められたとしても身近な友達のほめ言葉や少し関係がある人からのほめ言葉しか、心から信用できないから、自分は「人のほめ方を知らないんだ」と思った。

 知らないっていうか、へたくそ。人のほめ方がへたくそなんだ。

と思ったので、今日はふとすごいなと思ったときに友達を褒めて過ごした。褒める内容に責任を持つ必要はないし、何なら自分がそうだと思えばそうなのだから、褒めた内容が違うということはないんだよな。

 それから、大切な人と過ごすときは、かわいいをめちゃ言うことにした。言えてるかわからないけれど、かわいいと言うとにこにこするのでもっとかわいいですってなるよね。ほっぺをむぎゅってするよね。

キュートアグレッシブ。

褒めるはたのしい

 褒めるはたのしい。人を少しずつ褒めながら、人のほめ方を模索しようと思う。本心のまま出ているので、人によれば「えそんなところ褒める?」みたいな変な褒め方するときもある。

 それを大切な友達にすると、めちゃくちゃ喜んでくれるんだけども、あんまり関わりのない一軍女子とかにすると、変な空気になるのでしないようにしている。私から関わりにいくことは滅多にないので、まあいいんですけど。一回やらかしたことがあるので、二度とやりたくない。

 褒めるは楽しいけど、時と場合がある。これが大切。
いつの日か、自分が褒められるという事象を心から信じることができるのでしょうか。





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はら みゆい
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