私と人志①「引きと寄りの視点」

松本人志の引きの視点

ナイツの塙が最初に松本人志から衝撃を受けたのは、漫才ではなくクイズ番組に出演するダウンタウンを見た時だったという。

私と松本人志のファーストコンタクトがいつだったのか正確には覚えていないが、最初にはっきりと衝撃を受けたのはやはりクイズ番組だった。

番組は恐らく『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』(1988~1996、日本テレビ)だったと思う。私は小学生だったはずだ。この番組とダウンタウンと言えば、浜田が若手にも関わらず大御所芸能人相手に乱暴狼藉を働いたことが伝説化しているが(そして恐らくダウンタウンが東京で強烈なインパクトを残した最初期の出来事だった)、私が心底びっくりしたのはそこではない。

番組内に「何をつくってるんでしょーか?」という人気クイズがあった。ある製品が出来上がっていく過程をVTRで見せて、「冷蔵庫!」などと早押しで答えるクイズだ。

なかなか正解が出ず出演者が白熱する中、ダウンタウンチームの回答ボタンが光った。そのとき松本がボソリと「残り10秒」と言ったのだ。皆が真剣に正解を探っている中で、松本一人がVTR内に表示されている残り時間に着目し、わざわざ回答ボタンを押してそれをつぶやきボケてみせた。

幼い私は笑うとかなんとか以前に、皆が同じ方を向いている時にまったく違うものを見ている人間がいるということに衝撃を受けた。「なんなんだ、この人!」。

何十年後かに知ったことだが、私と同じ1980年生まれの千鳥大悟もこの瞬間を見て芸人になることを決めたという。多少話を盛っているとしても、それまでの価値観を大きく揺るがす瞬間であったことは良く分かる。今でこそ芸人がクイズ番組で真剣に答えるのは野暮、という風潮があるが、問題を大喜利のお題と捉えボケてみせる人を少なくとも私はその時初めて見た。

昔、新聞に載っていた何かの評論が印象に残っている。正確には覚えていないが、「日本の笑いは視点を引くことで進化してきた」という趣旨であった。

例えば“大きい人”を表現するのに「竹馬乗ってるのか!」あたりから始まったものが、「この人は2階から家に入る」のようになり、「ゴルフでカップインしたボールを取ろうとしたらグリーンが持ち上がった」と進化していく。

そんな中「この人、大き過ぎて人工衛星ひまわりに映った」という表現をしたのが松本人志なのである、とその記事の執筆者は主張していた。

正確な引用ではないのだが、私はこの主張に大きく頷いた。端的に松本人志の笑いや発想の革新性を説明するとすれば、「それまでのどの芸人よりも視点を引いてみせた」ことに尽きると思う。

クイズ番組に出演していても「クイズ番組で行われていること」に、ヒーロー戦隊を題材にしても「ヒーロー戦隊で行われていること」に注目してみせる。つまり、1980年前後に生まれた若者達が初めて触れる、そしてやや難解だが理解できるレベルの「メタ構造を意識した笑い」であった。

「松本人志って本当に凄いな」と感じた瞬間は幾度もあったが、その多くにこの「引きの視点」があったように思う。

松本人志の寄りの視点

しかし、松本人志に衝撃を受けたのは引きの視点だけではない。

素人が自分の発明品をプレゼンする『発明将軍ダウンタウン』という番組があった。普段はMCの松本がプレゼンする側で登場する回があったのだが、壇上に上がるなり「兵庫県からやってきました、松本です。靴紐の先についてる透明のパイプを作る仕事をしてます」と自己紹介した。私は思わず玄関に走り、自分の靴紐を確認した。確かに先端に短いパイプがついていた。「松ちゃんってこんな所見てるんだ!」。

これは先ほどまでの話とは全く逆で、「物事を極端に寄りの視点で捉える」という能力である。つまり松本人志の芸人としての才能をより丁寧に説明するとすれば「それまでのどの芸人よりも視点を引いてみせた」ではなく、「物事を捉えるカメラのワイドとズームの性能が異常に優れていた」ということになる。

同じく素人が自分の考えをプレゼンする『ダウンタウン7』という番組の最終回でも、プレゼンターを松本が務めた。私はこの時のプレゼンが、松本人志がテレビで見せた笑いの瞬間最大風速だったのではないか?と思っている。プレゼン内容は「野球中継はおかしい!」という『ごっつええ感じ』打ち切りの余波を思わせる内容だったが、10分ほどの短い時間の中で自由自在に引きと寄りの視点で野球という対象を捉え、しかもピントがブレることは一度もなかったのである。

せっかく自分の意見に賛同してくれた宮崎哲弥を「ちょっと何言ってるか分からないんですけど」と雑に扱ったり、やりたい放題。「こちらのフリップをご覧下さい」と言って、フリップに貼られたシールを剝がす展開が凄かった。シールの下には何も書かれておらず、「まあ、何もないんですけど。このめくるのをやってみたかっただけで」と一言。文章で説明しても面白さが伝わらないと思うが、大竹まことがひっくり返って笑っていたのを覚えている。

松本人志からの影響

「さむい」「ハードルを上げる」など、松本発で世間に浸透したと言われる単語や表現は幾つもある。

しかし個人的にはこの「ある対象を等倍ではなく極端に寄ったり引いたりして見ることで、対象の抱える矛盾やおかしみを捉える」という手法こそ、私が松本人志から受けた最大の影響だったと思う。

実際、頭脳も運動も人並みほどだった中学生の私が、松本の猿真似で物事を引いたり寄ったりして発言すると大人相手でも有効打を与えることができた。この得も言われぬ快感によって、私は松本信者になっていった。

等倍の視点

そこから30代に入る直前まで、私にとって松本人志はあまりにも大きな存在であった。出演番組はすべて録画、放送室は毎回録音、書籍は当然すべて購入、映画を撮るようになればインタビュー記事は全部切り抜いて保管した。最も、あの頃はそういった松本信者はそんなに珍しい存在でもなかったとは思うが。

それほど心酔していた彼に対して、ある時期からズレを感じるようになった。多分それは結婚して子供が生まれてすぐ、妻の母が亡くなってしまった頃からだったと思う。

私は親族の死を経験したことがなかったので、絶望の淵に叩き落された妻に対して、どんな言葉を掛けたら良いのか分からなくなってしまった。そこからは子供が保育園に入れなくて右往左往したり、仕事のトラブルに見舞われたりして、それまで避けてきたような人生の荒波が次々に襲い掛かってきた。

そんな時、あの「引きと寄りの視点」はまったく通用しなかった。起きている事態に対して「等倍の視点」で根気強く対処していくしかない類の問題だったのである。遅すぎた幼年期の終わりが、遂に私にも訪れたのだ。

ちょうどその頃、深夜に『ワイドナショー』が始まった。そこでの松本は社会問題に対し、相変わらず自由自在な引きと寄りの視点でコメントしてみせていた。今から振り返ると『放送室』の後期にも感じていた違和感が、そこで一気に確信に変わるのを感じた。

「松ちゃん、社会問題って引いたり寄ったりしないで、まずは等倍で見るべきものなんじゃないかな?」

好きだからこそ見ない

そこから現在までの10年くらい、私はあれほど好きだった松本やダウンタウンの関わる番組や制作物に触れるのをやめてしまった。

それは松本嫌いの人達が言う「つまらなくなった」「いや、元々面白いと思ったことがない」という理由とはまったく違う。今でも偶然彼の番組を目にすると、驚異的に発想力やトークのスピードが衰えていない。日本の芸能史を振り返ってみても、これほど長くピーク時の才能を維持し続けている芸人は他にいないとすら思う。私はあまりに大きな影響を与えてくれた彼のことを嫌いになりたくなくて、触れないという選択をしたのだ。

今年視聴した水道橋博士・吉田豪・大島育宙の配信で「ダウンタウンの笑いの手法の直接的影響下にある芸人は誰?」という話題が出た。意外なことに「この芸人!」という明確な答えが出ないまま別の話題に移ってしまった。

勿論芸人の成り上がり的モデルケースとして、現在活躍している芸人でダウンタウンの影響下にない者の方が少ないとは思う。だが松本が変えたのは「芸人の笑いの取り方」のような狭い枠組みではなく、日本人のコミュニケーションのあり方そのものだったのではないか?

松本人志の登場は多くの同時代の若者に「視点さえ変えれば、日常の些細な出来事の中にも笑いの可能性が隠されていることを気づかせた」とも言えるし、「起きている問題そのものに向き合わず、僅かな綻びの方に注目して揚げ足を取る冷笑的態度を蔓延らせてしまった」とも言える。

恐らく私は彼の才能を普通の人より大きく評価しているし、彼の悪影響を普通の人より大きく危惧している。

何しろ普通は話題に上らないような資料を未だに沢山所持しているので、語りたいことは膨大にある。

・『大日本人』幻のもう一つのエンディングと『頭頭』
・みうらじゅん、松本人志。二人の邂逅と笑いの手法の違い
・カンヌでの外国人記者からの質問etc

次回があるかもわからないが、今日はこの辺で。

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