新発田重家さんに対して一方的に気まずく感じている話
「新発田重家」の「新発田」を「シバタ」と即読める方は多分地理に強いか、戦国時代が好きか、新潟に縁があるかのどれかなのでしょう。私は最後です。
新発田重家(しばたしげいえ)は戦国時代上杉氏に仕えていた、戦国時代が好きな人の中ではメジャーな武将です。新発田城という城の城主でもありました。信長の野望ではなかなか強い部類に入るのでお世話になっております実際強かったらしいです。上杉謙信の死後、後継問題から真っ二つに上杉陣営が割れた「御館の乱」でも活躍したそう。
けれど、その活躍の割に、戦後与えられた見返りは少ないものでした。
責任を感じたのか、新発田氏を自陣営に引き入れた安田顕元(やすだあきもと)という武将は自害してしまいます。
上杉氏の混乱を、周辺の人々は黙って見守っていた訳ではなかったようです。
以前別の記事で触れた「蘆名盛隆(二階堂盛隆)」なんかもしめしめとばかりにちょっかい出していたようです。
そして結局、新発田重家は反乱を起こします。
「新発田重家の乱」という大きな反乱です。
気の毒な事に結局鎮圧されてしまい、彼はとうとう報われないまま自刃して果ててしまいました。
さて、そろそろ「タイトルどうした」という疑問が出始める頃合いでしょうか。
私の名字は少し珍しいものです。上州小幡氏の子孫に当たる(らしい?)先祖が今の家の養子になり、何代か名乗り続けて今に至ります。
この名字で調べると、ある人々が出てきます。
「新発田重家の乱」の際、沼垂(ぬったり)という町の人々は最初新発田側に味方していました。
しかし途中から新発田側を見切ったのか、上杉側に寝返ります。
これが決定打となったのか、翌年に乱は鎮圧されました。
上杉氏は、リーダーシップを取ったある町人に恩賞を与えます。
その一族は江戸時代も町役人として町政に関わっていたそうです。
はっきりとした繋がりは分かりません。
ただ、以前の記事で触れた私の先祖のお墓と、親戚じゃないのに同じ名字の人々のお墓。
それらのお墓が建つお寺があるのは、まさに沼垂なのです。
単なる推測ですが、今でも新潟近辺でこの名字を名乗っている人の多くは、その町役人の子孫なのではないでしょうか。
小畑(小幡)の家もどうやら庄屋だった(らしい?)ので、もしそうだとすればどちらも役人の家という事になりそう。
養子のやり取りがあるのはごく自然な成り行きかも知れません。
元から遠縁でも驚かないですが、実際どうなのか分からないのがもどかしい。
調べたら何か分かるのだろうか。
最近小説や漫画、アニメでは転生モノというジャンルが流行ってますが、もし新発田重家が転生して私の名前を知ったら鬼の形相浮かべるんだろうな……という意味不明な想像をするくらいには正直本当に気まずいんですよね。
やり方はまずかったのかも知れないけど、元々の原因が気の毒過ぎる。信長の野望では丸々反乱の事実がカットされているけど正直ほっとしている自分がいる
マニアな方なら「お前の名字は○○だな?」と見当が付いたかも知れませんが、一応出さないで頂けると助かります。
先祖調べをしていると、びっくり通り越してドン引きレベルで、ご先祖様の事も名乗っている名字の事も何も知らずに生きていたんだなと思い知らされるばかりです。
昔から歴史という分野は好きなので、ライト歴史オタクとしては自分の家のルーツ、なかなか面白いんですけどね!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?