玩物喪志と言う。ものに囲まれ、ものに溺れるあまり本来の志を失う事を言う。私なども、はらぺこあおむしグッズに始まり、書画骨董の類、洋画、更紗生地、着物、果ては時代ものの石灯籠の数基を蒐集するに及び、ある日通帳残高を確認したらば、手元不如意とも言うべき事態に陥り、これに慌てて蒐集品を散逸させると言う、徒労と呼ぶよりは出来の悪い喜劇のような事を幾度重ねたろうか。 元より、ありとあらゆるものは、その文化的価値が高ければ高いほど一時の預かりに過ぎなくなる。所有しているからと自侭が許さ
好きあった、あれほどまでに愛しあった二人に夕闇が迫る。穏やかな風があえかに甘く香り、いたずらに頬をくすぐり、鳥はさえずり、花々が咲き乱れ、煌めく陽光のもとの麗らかな平穏がとこしえに続いていくのだと、この二人のみならず誰しもが信じて疑わなかった午後。 そう、そしてエデンの園はじつに不確かなもので築き上げられていたのだと二人は唐突に気付く。 人の最も確かで、最も不確かなもの、それは愛だ。 自らに何をもたらしてくれるかで量る愛より、あの人に何ができるかを思考思索する愛、自らの地位
ああ、愛宕山が赤いから、明日は雨かもな 京都の私にとって愛宕山は常に夕焼けの山で、その彩りで祖母はよく翌日の天気を占った。 幼い日々と言うものは、明日と言うものが天気に左右される事が少ない。晴れなら晴れで、曇りならば曇りで、また雨なら雨で、それぞれに楽しみは多かった。 幼い私にとっては、明日の天気がどうあれ、楽しい一日が待っている事に違いはない、それよりも、今、愛宕山を赤く赤く染め抜いている夕焼けが何よりの関心事であったし、また夕焼けの赤や橙や桜色や紫の絢爛と、雲の形を