世羅町のワイン問題から見る国産ワインの歴史と今後
週末、上記のようなニュースが飛び込んできた。ちょうど、前回の記事で「特産品開発の失敗」について書いたところだったのでびっくりした。
まあ、この議会では相当に議員同士の中の悪さもあるみたいなので、辞職勧告までになったのだろうが。とはいえ、世羅町のワインはどうなのかという疑問は残る。これが宣伝効果になって売れたらいいのかもしれないが。
この世羅ワイナリーの経営がどうだったかというのを、木下斉氏が的確に分析している。リンク記事は有料なので長くその内容を紹介することは避けるが、要するに経営的にも厳しい状況であったとされる。なお、兵庫県伊丹の小西酒造が支援していたとは知らなかった。その昔この会社主催の新年剣道稽古会に参加させていただき、『模範試合』まで出場した記憶がよみがえる(当時、阪急百貨店と小西酒造さんは会社だけでなく元会長同士が武道を支援していたのもありいろいろ仲良かったのだが、書くと長くなるので省く)。そういえばその稽古会に参加した時は私は阪急百貨店のワイン売り場担当であった。
① 国産ワインとぶどうの歴史
ワインを語るのであれば、武道、もといブドウ栽培のことから話を始める必要がある。もともと日本にヨーロッパタイプのぶどうが栽培されるようになるのは明治政府になってから出、山梨県で苦心の末会社が設立されたが、本格生産まではまだまだであった。フランス留学から帰った人の情報を基に新潟県で様々なぶどう苗木が試され、交配で生まれたのがマスカットベリーAだ。しかし、これが成功というレベルに達するのも昭和の初期までかかっている。それだけワイン栽培には多くの失敗とそこから学んだ人たちの歴史がある。
戦後サントリーの取り組みによりヨーロッパ系品種の栽培もだんだんと軌道に乗る。そして昭和中期以後、各地にワイナリー設立の取り組みが広がった。前出の山梨はその地にふさわしい甲州ブドウが確立され、新潟、ブドウ栽培では歴史のある大阪、長野などでワインの製造も始まる。しかし、それでも多くのワイナリーは日本特有の気候に悩まされながら、その地なりのぶどう栽培に取り組んできた。1964年、現在の登美の丘ワイナリーのワインが国際コンクールで金賞を受賞する。ここから少しずつ日本のワインは世界でも評価されるようにもなる。
ワインの市場は、全世界であってその地域の一部だけではない。それは、日本で多くの方がワインに取り組んだ歴史がそれを伝えてくれる。NHK朝ドラの「マッサン」で紹介されたウイスキーもそうだが、「世界において日本のワインを広めていく」ことが多くの人がい抱いた夢であった。
② 世羅ワイナリーの取り組みとワイン市場の変化
では、この世羅ワイナリーはどうだったか。おそらく、多くのワインに関わる人と同じように、醸造している人やブドウ生産者は世界に広げていきたいに違いないと思っている。しかし、やり方がついていっていない。そもそもの事業の作り方がおかしい。これは現場の責任ではなく、ディレクターの責任である。
(1)行政主導のおもいつきでどうにかなるものではない
先ほど多くの人の取り組みの歴史があったことを紹介したが、ワインの醸造の技術もそうだし、ブドウ栽培もすぐにできるものではない。できたとしても数年はかかる。木下氏の指摘にもあるように、この事業は第3セクターである。公共事業の一つとして大きな土地を取得し、ワイナリーを設立、ワインの醸造を開始した。しかし、はっきり言ってこの計画自体が甘いと感じる。そもそも、世羅地域で昔からワイン用のブドウが栽培されていたという事実はない。ブドウ農家はあったが、それは生食用のブドウであり、ワイン用ではない。そこに新しくワイン用のブドウを作っていくとなると、数年かかる。その数年というのを行政が負担するといえば聞こえはいいが、そもそもそこでワイン用のブドウが成長するかどうかを考えていたとは思えない。おそらく、「だろう」という程度である。ここでワインの生産をしてワイナリーができればお客が来る「だろう」、数年すればワインが売れて利益が出る「だろう」程度である。この見通しの甘さが行政主体だと出てしまう。ワインの歴史を知っている民間企業であれば、こんなに無謀なことはしないし、するとしたら相当の覚悟をもって行う。
(2)現代ワインはどんどん進化している
一方、開業からわずかで素晴らしいワインを作るワイナリーも出てきた。石川県のハイディワイナリーなどであるが、ここにはしっかりと勉強した経営者、そしてスタッフが、優れた醸造家を呼び寄せ、また最新鋭の技術設備を導入したり、ワイン栽培に必要な土壌化を徹底的に調べ上げたうえで事業を開始している。そして、最初から世界に打って出るワインづくりを目指している。世羅ワイナリーは地域活性化のため「人が来てくれる観光名所」を目指していたが、そもそもワイナリーで観光名所というのも聞こえはいいが、それとてある程度いいワインを作ることが先決である。観光名所としてワイナリーを作る事業もあるが、そもそも観光だけで成り立つ事業だったのか。ワインの事業を核としてしっかりと売り出す計画であったのか。小西酒造の販路は日本酒とベルギービールに関しては強いが、ワインに関してどこまで見込んでいたのか。今となっては不明であるが、10数年前の段階から国産ワインがそれなりに注目されていた中で世羅ワイナリーのワインは東京や大阪の主な酒販店で見ることはほとんどなかった。
一方、世界でもハイディワイナリーのように新進気鋭のワイナリーが世界各地に生まれている。一昨年インド産のワインを飲んで驚いた。そこそこの値段で品質が高い。3000円クラスで戦おうと思うと、世界中に競合相手がいる。ちなみに、ロシアなどの富豪がその資金でいろいろな場所でワイナリーオーナーになることが多い(インドだけでなく東ヨーロッパ、アジアなどに広がっている)。ヨーロッパではワイナリーオーナーになることはビジネスマンの夢でもあるようだ。かくいう私もワインの輸入業を行っているが、かつてサッカーイタリア代表として名をはせ、現在では監督となったピルロ氏のワイナリーのものを輸入している(在庫わずかなので買ってください)。
つまり、ワインの市場はどんどん広がっている。しかし、生産設備の増強や醸造家の指導強化などの方策を打たなければ世羅ワイナリーの評価は高まっていかない。もちろんぶどう栽培もそうである。
世羅ワインがまずいかといったらそうではないと思う。ただ、世界中のワインがあふれ、世界中の人たちがワインに対して味を知ってしまっている中で「人にすすめられる」ワインであるのだろうか。「世羅町産のブドウだけで」作るということ自体があまり特長にはならない。ネットで見ても、ハイディワイナリーのワインと世羅のワインを、今回のニュースの前情報なしに比較しても、世羅のワインを買いたいと思う人は少ないだろう。世羅だけでなく、国内のまだまだ多くのワイナリーがそのレベルと思っている。そのブドウそのものに人を引き付けられる力が必要なのだ。その取り組みをもっと強化しない限り、井の中の蛙といわれてしまうことに対して反論することは難しいであろう。なにより、売り上げがその根拠である。
現在福岡県岡垣町でもワイナリーの設立が進んでいる。しかしここは元々レストラン事業が好調な会社が、ドイツワイナリーとも提携しており、自社でブドウ園も昔から経営している(レストランとしての販路もある)。また、ワインで稼ぐだけではなく素晴らしいグランピング計画がある。国内でワイナリーをするという動きはまだまだこれからもあると思われるが、これからはブドウ栽培の技術を確立したところとの提携か、ワインは呼び「水」としてグランピングや観光で稼ぐか、ある程度はっきりした経営戦略が必要だと考える。前者は相当の投資を必要とするので、覚悟を持った取り組みが必要だ。世界はもっと大きな投資の下にワイナリーの経営が行われているのだから。
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