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【きくこと】第15回 学習環境デザイナー/エスノグラファー/新渡戸文化学園 VIVISTOP NITOBEクルー/東京造形大学非常勤講師 山内佑輔

山内佑輔
実社会と学びを繋ぐ授業をデザイン。ワークショップの手法をもちいて、子どもたちのクリエイティビティを育む環境をつくりだす。 学校内では様々なアーティストや専門家、企業と連携した授業を実践。2020年4月から新渡戸文化学園へ移り、VIVITA株式会社と連携しVIVISTOP NITOBEを開設。「教室や教科、学年などの枠をなくし、教師も生徒も共につくり、共に学ぶ」を掲げ、新しい学びのあり方を模索したり、放課後の子どもたちの活動を拡張中。 学校外ではTechnology×Creative×Artをキーワードに各地でワークショップやイベントを展開。キッズワークショップアワード優秀賞を受賞。出張図工室プロジェクト「山と水の図工室」の活動では東京新聞教育賞を受賞。その他にも、地域と連動した創造型プロジェクトに複数携わる。二児の父。

廣木:第15回ですね、「図書館について語るときに、我々の語ること」始まります。私は図書館総合研究所の廣木といいます、よろしくお願いします。

染谷:株式会社ひらくの染谷です。よろしくお願いします。

廣木:本日来ていただいているのは、どなたですか?

山内:はい。自己紹介するのがすごく難しくなっちゃって、嘘じゃなく、簡単に言うと教員なんです。新渡戸文化学園っていう学校の中の、一応先生をやっているんですけど。
先生っていうと多分誰しもが思い浮かぶ職業なので、ああいう職業かと思い浮かぶと思うんですけど、そういう思い浮かぶ一連をやってないっていう変な人で。授業も持ってないし、クラスも見てないし、職員会議出ないし、生徒指導しないし。
じゃあ何やってるのかっていうと、学校の中に、まさにこういう超研みたいな空間を作って、生徒がいつでも来れるように、ここで何か相談を受けたら「それどうやって作れるかな」とか一緒に考えたり、他の先生がこういう場で授業してもらうために、先生たちと一緒に授業を考えたり。
またこういう場を、土曜日は地域に開いていて、私立の学校なんですけどね、生徒・児童じゃない子どもが入学してなくても使えるっていう仕組みを今作っていて、その場を「VIVISTOP」と呼んで運営をしている、そんなちょっと変わった仕事をメインでやってます。
ちょっと長い自己紹介になりましたが、山内です。

廣木:山内先生です。よろしくお願いします。教員でありVIVISTOP NITOBEのチーフクルー?

山内:そうですねクルーと呼んでいるので。はい。そこの責任者みたいな感じです。

廣木:VIVISTOPっていうのは何かっていうのは、ちょっと説明したいですね。

山内:ちょっと補足しますね。VIVISTOPはそこがオリジナルで、そこにあるだけじゃなくて、実はVIVITAっていうコミュニティがありまして。2017年に千葉県の柏の葉のT-SITEの中にできた「VIVISTOP柏の葉」っていうのがスタートです。
カリキュラムがなくて、先生もいないみたいな。子どもたちがやりたいと思ったことを、とにかく限界なくやるんだ!みたいなところがコンセプトで。
そこに共感したいろんな人が海外で立ち上げたり、日本では博多にあったり金沢にあったり。
フランチャイズみたいな展開じゃないので、「どこもかしこも全部同じ環境」とは真逆で、全然違うんですね。
そのコンセプトとしては、何か子どもたちに教える場ではなく、「一緒に考えて一緒に作ろうよ。」ということを強く打ち出したような展開になっているので、「ワークショップをずっとやっている」というよりかは、何か本当に、その場に来てから何か始める、何かが生まれるっていうことをすごく大切にしている場になっています。

染谷:2018年(編集注:2017年)に柏の葉があり、新渡戸は何年なんですか?

山内:NITOBEは2020年にできました。

染谷:山内先生はそこから?

山内:そうですね。それまで実は僕公立の小学校の教員で、一緒に作らない?っていう話を受けて。学校のなかだし。あ、(VIVISTOPは)全部学校のなかじゃないんですよ。商業施設の中にあったり、金沢は自治体がやってるので。
なので、学校という文脈の中で呼んでもらえて、作りましょうということで作りました。

染谷:2020年の前までは普通のというか、先生をやられていて。

山内:はい。東京都内で図工の先生をやってました。

廣木:それ誰に声かけられたんですか、先生をしてて。

山内:二つあって、1つはVIVITAの方、僕図工の先生やりながら週末はワークショップを一緒に作ってて、いろんな企業や団体さんと作ってた中でVIVITAもその一つだったんですね。なんでそういう話があるんだけどどう?っていうのと、あと新渡戸文化学園って今、改革をすごく頑張っている学校で、ちょうど2020年が改革0年度だったんですよね。その改革の発起人になる先生と出会っちゃって、

「え、君VIVITAに繋がりあるの、ちょっと話聞かして」みたいな双方から出会って、もうこれはそういう運命だなと思って参画しました。

染谷:それはすごいですね。

山内:そのVIVITAの創業者立ち上げ人はいろんなところの投資をされている、孫 泰蔵さんという方ですね。ちょうど昨年出た孫 泰蔵さんの書籍で、「冒険の書」という本が割と教育書としてはベストセラーになったような本なんですけど、それがそのままVIVITAの説明であり、VIVISTOPの説明書だって本人も語る通り、書ではそういうこと書かれてないんですけど、ほぼそういうことになっています。
どういう思想でやっているのかとか、未来がこうなったらいいと思っているとか。その辺はそこ(冒険の書)に書かれている。
普通の企業とちょっと違うのは、まず計画があって、それ通りに実行してビジネスモデルを作っていくというよりかは、一旦まず手動かせよと。計画するなっていうことを常々言われていて。
それが社員のマインドセットでもあるし、場に対して子どもたちへのアプローチも同時にそうなっているっていうところが非常に特徴的なコミュニティ。
もう会社じゃなくなってNPOになったので。コミュニティという言い方をあえてしてるんですけど。

染谷:目標設定せずにまずは手を動かしてみるっていうのは子どもたちに対してもそういうふうにやっていく。でもそれを…そうか。ゴールを決めてないっていうことですか。

山内:そうですね、作りながらやんわりゴールみたいなのが見えてくるんですよね。でも当然なかにはうまくいかないことや失敗があって、そこをまあ頑張ればそれをゴールにするけど、そこさえも伸ばしてもいいんじゃない?みたいな、もちろん途中で変わることも、作っていく中で、違うことが目的になったりゴールになったりもする。そこを全て許容していくっていうところは僕も子どもたちと一緒につくるプロジェクトではあるかもしれないですね。

廣木:VIVISTOPってお金を取らないじゃないですか、子どもたちから。だからそういうところもあるんですかね?お金取っちゃうとなんか明確な何かを出さないといけない。

山内:そうですね。そこすごく結構肝なとこだなと感じてて。要はやっぱり子どもに対するものって、その先に親がいて、そこがお金を出すので親が子どもに対して価値があるから行かせたりするわけですよね。
そこでお金をもらうっていうことはどうしてもこの今の世の中「アウトプットで対価」みたいなことを感じてしまうんですよね。そうすると、いついつまでにこれを作ったからお金払った価値があったみたいになっちゃうんですけど、僕らは提供しませんよ、そういう約束しませんよ、なので教育じゃないのかもなって思うぐらい。
なので、むしろそのお母さんお父さんも、「いや、作りたいなら一緒に入っていきましょうよ」っていうような形で決して子どもたちだけのための場所というよりかは、多世代が共創しながら、手を動かしながらコミュニケーションを取れて、「なんかこんなもの生まれたね」っていうのを味わえる場所なんじゃないかなと僕は思ってるんです。

染谷:その最中とかプロセスが大事っていうことですよね。

山内:そうですね。

染谷:面白いですね。いきなり何かいいお話を聞いている感じが。

山内:土曜日は新渡戸の中高生は授業があるので、そのまま放課後扱いで中高生もいるし、地域からも入るし、お父さんお母さんも来るし、企業の視察とかも入るし、とかなんか本当にカオスな空間が面白くてやってますね。

染谷:そのときはイベント的なというかワークショップ的なことではなく、もう自由に機材を使ってくださいとかどうぞご自由にみたいな感じで?

山内:そうですね、やっぱり子どもの中から湧き上がってくるプロジェクトみたいのが起きることが少なくはなくて、何でやんわり何かイベントっぽくなってるときもあるんですよね。
それはでも、僕らがそれに対して募集してその日一日終わるというかは、継続してきたプロジェクトの例えばお披露目の会だったりとか。
なんかそれがすごく盛り上がってるときは何か、複数集団が同時多発的にいっぱいやってるっていうシーンもあったりしますね。

染谷:何かが起こりかけてるときにそこに火を、薪を入れてバーッと盛り上げていったりとか、風を当てたりとか。

山内:そうですね。

染谷:何かアウトプット至上ではなくて、プロセスが大切とか、ノリでやっていくみたいなところって、特に大人になると、とか、仕事の面になるとなかなかそれが適用しづらいじゃないですか。
子どものときにそういう経験をしたときに、そういう子たちが大きくなってくると、なんか現実とのギャップみたいなところは卒業生で感じるとかはあったりするんですか。

山内:そうですね、でも今大学ちょうど1年生になってくれた子たちが、使ってくれた第1期生かなと思っていて。でもすごく思うのはやっぱり学校生活を送ると、どうしたって計画して何かすることをずっとトレーニングされていくので、VIVISTOPに出会ったからとて、ドラスティックに何かマインドが全部そう変わるっていうことはやっぱないなとは思いますね。

染谷:なるほどなるほど。

山内:でもそういう考え方もあるし、むしろその小学生ときまでぐらいってそっちのが多分得意なはず。
それはふさがれるものではなくて、あってよくて、現にそういうことを回しながらなんか生きてる楽しい大人がいるっていう「希望」みたいのは持ってくれればいいかなとは思っていますね。
今年嬉しいのが、4月からその卒業生がアルバイトで来てくれていて、その子はすぐクルーとして馴染むんですよね。それは使ってくれているから、いちいち研修的にマインドを伝えなくても、もうわかっている。
これは多分自分の学習空間の原風景にそういう空間があるっていうことが、多分この先その子のいろんな学習ってずっと続いていくじゃないですか。一つ大きな原体験になっているのであれば、それはすごく嬉しいし、そういう人をこれからも輩出できるんであれば、僕は価値があるんじゃないかと思いますね。

廣木:そういう人ってすごい価値があると思うんですけど、特別な人だと思います?
なんていうんだろう、誰でも入れば順応して、そのクリエイトとか創造とかできる感じなのか、できる人とできない人っているんだなとかそういうのってのはありますか?

山内:なんかできるできないっていうか向き不向きはある気がしますね。やっぱり計画立ててしっかりビジョンを決めてからいける人っていうのはいなくちゃ困ると思うし、でもなんか世の中全部そっちの方が頭が良い人で、もてはやされたりするじゃないすか。

廣木:うん。

山内:行き当たりばったりとか、なんかアートっていうカテゴリーって、どこかわけわかんないものとか、特殊な人みたいに見えてしまうんだけども、同列に価値があって向き不向きっていう意味ではこっちのほうが私は向いてて、手探りでやっていくことにも価値がちゃんとあるっていうような、受け皿であったり、価値をちゃんと「あるよ」って言ってあげたいっていう感じですかね。そういった意味では向き不向きの世界で、うん、あるなしとかじゃないかなとは思ってます。

染谷:今うちの子どもが小学校一年生になったんですけど、幼稚園までは森の幼稚園というか自然保育で、毎日違う公園に行って、そのときのことで遊ぶみたいなやつなんですよ、園舎もなくてみたいな。
だからなんかアドリブ感がすごくて、今日雨降ってるからここにしようとか、今の季節は梅が取れるからどこどこ公園へ行こうみたいな感じでやってて、でも小学校に入ると急になんか「前ならえ」の世界になるみたいな感じで、結構そこの園に通ってた子どもたちは小学校に入ると苦労するみたいに言われてて、でもなんか割とうちの子はなんか順応してたりして。
さっき先生がおっしゃった並列で自分の中にその部分もあれば、何て言うのかな、違う世界も馴染めるっていうか、どっちも作れるんだなって感じます。

山内:そうですね、なんかまだまだ本当に世の中はそうやって計画して…っていうところを、どうしてもトレーニングされるので、そこはもう受け入れて、でもそれが面白い、それが楽っていう人はそれで良かったと思うし、そのときに、でもね、苦しまないで両利きになったり、いや、そっちの方がいいなと思えたり、そういうことっていいなと思うんですよね。
うちの息子もすごく面白いと思ってたんすよ。ずっと。今中三なんですけど、中学生になると、より一層面白くなくなって(笑)面白くないって言っちゃいけないんですけど、すごく型にはまっていく。
ちょっと本の話題に寄せると、小学校5年生のときに吉祥寺の一棚本屋さんをやってたんすよ。店長やってて。

染谷:えーすごい。

山内:そのときは本当手探りでワーワーやってたのが、今何か目標がないとモチベーションが上がらないとかそういうことを言い出して。受験勉強とかね、思いっきりそういう今フェーズにあるのでしょうがないんですけど、「変わるよな~」とも思ったり。

染谷:すごい。ブックマンションのところですか。

山内:そうです。

染谷:自分の箱を持って。

山内:そうなんです。

染谷:すごいそれは。

山内:なんか当時オーナーの中西さんがまだ子ども店長いないから、今やったらバズるぞみたいなこと大人でけしかけて(笑)バズるとバズるぞとか言ってたら、「やる」って言ってくれて。そのプロセスは本当面白かったですね。

廣木:息子さんに会ったことあるんですけど、あのー、非常に変わってますよ。

山内:(笑)ここにも来たことあるんですよ。中学生になって、割と思春期なので父のやるイベントにちょっと強制的に「来れば?」って言ったら行くって言って。居酒屋で打ち上げしたんですけど、速攻〆頼んでましたね。

廣木:お茶漬け?

山内:一品目からお茶漬け。

廣木:もう帰るのかな?(笑)

染谷:居酒屋に行くこと自体がね、なかなか経験がないから。(笑)

山内:でも本当そういう変な人で続けてほしいなと父としては思っています。

染谷:なんかその最中を楽しむとか、プロセスを、何て言うのかな、ゴールはあまり定めすぎずに行くみたいなものって、ビジネス領域だけで見ると結構しんどいけど、ウェルビーイング的な文脈でいうと、「今ここ」みたいな世界に繋がるじゃないですか。
なんか、それがもっと普通に当たり前に感じられるようになるといいなって感じはしますよね。
何か仕事をしているとどうしてもその枠にとらわれちゃって、日々の生活もそっちの目盛りが強くなっちゃう感じがありますよね。

山内:そう、なので大人にとっては取り戻す感覚がすごくあって、そういうのをやっぱりナチュラルにやってる子ども達からあーそうかっていうのを教えてもらうっていう感じでもないんですよね。
それこそ泰蔵さんはアンラーンっていう言葉を使ったりするんですけど。すごくしっくりくるところがあって。
自分自身がサウナじゃないすけどね、整う、ああでもな…すごく疲れるときもあるので、整えるということでもないんですけど(笑)でも本当にいい学びの空間だなと大人にとっては思いますね。

染谷:今ちょうどすごい売れている新書で、なぜ働いていると本が読めなくなるのかっていうのがあって。

山内:はい

染谷:それは忙しい人が本は全然手に取れなくなるという。著者は元々リクルートで働いてて、本がずっと好きだったんだけど全然読めなくなり、今は研究家みたいになってるみたいな女性の方なんですよ。
その本には明治時代から、大正、昭和、平成で、どう読書遍歴と社会環境が変わってきたかを追っていて、忙しくて本を読めないのは今だけじゃなかったみたいなことを言っていて。
みんなやっぱりすごい目の前のことにワーッとなったりとか、仕事仕事!みたいになって余暇時間がないとか、知りたいこととか情報はとれるんだけど、ノイズとか知識を取れないみたいな、それはもうずっと変わらないんだ、構造として。みたいなことを言っていて。

山内:そうなんすね。

染谷:VIVISTOPで提供する体験とか時間が多分それをちょっと一瞬和らげる何かバリアがあるというか。そこに行けば一旦余白が生まれるというか、目の前のことだけじゃないっていう。ことになるっていう感じなのかなって。

山内:そうですね。なんか、少ないですけど本も置いていて。嬉しかったのが、今僕がいるVIVISTOP NITOBEってつくることを決して来場者に背負わせない場所ですねって言ってくれた人がいて。
それこそお喋りしててもいいし、本読んでてもいいんですよ。そういうお父さんお母さんもいたり子どもも本読んだりして。そこからインスピレーションを受けて手が動いたりとか、止まるから一旦本に帰ってみたりとか、それぞれの行為が別に分断されてるわけじゃなくて、本当に全部同じことで、読書時間は余暇時間じゃないし、そういうのってもうちょっと混じってていいのになとも思いましたね。

染谷:いいですね。

廣木:結構大人も来るんですか。

山内:大人も今ありがたいことに来てくれていて、といってもその地域の子がこれるよっていう日は予約制にしてるんですね。15~20人ぐらいを定員にしてるんですけど、そのうち半数ぐらいがお父さんお母さんと一緒に来てくれるんですよ。

最初に言ってるのが保護者の皆さんに「見守り・監督」である立場であれば来なくていいです。でもあなた自身が作りたくなっちゃったり、ここにいたいなと思ったら喜んで受け入れるので来てくださいっていうと、本当にいろんな親子間が見られて。
入ってからずっと親子で一緒に作って、幸せそうに親子で帰ってくる人、入口から「じゃあ」って別れて(いく親子)、途中までやってんだけど、子どもがうっとうしがって「もういいからいいから!」とか言って、しぶしぶ端っこで別々のことをする親子。
僕自身もあっ!て思ったのが、子どもと一緒に来るじゃないですかその環境に。小学校4年生以上を受け入れるという、ボーダーがちょっと大きいので(子どもの年齢)、子どもはだんだん親と居たくなくなるんですね。
3教室分あって割と広い空間なので、子ども自身は親と離れたと思っているので、好きなことやってるんですけど、親は(子が)見えてるから一緒に行ってると思ってるんですね。それぞれが満足度が、違うんだけど満たされていて、それは最近やっててすごく感じますね。

染谷:それはいいですね。同じ環境にいて、お互いがそういう感じ方をそれぞれしてるっていう感じはいいですよね。

山内:遠くで我が子がその場で出会った子となんかやってるのを見て親が「そういうふうに立ち回るんだ」と言ってたりとか。それが面白いっていう親もいたり。でもずっと観察してたら怪しいから、その方も手仕事しながらちょっと子どもを気にしてるみたいな、そういう関係は面白いですね

染谷:そんな同じ環境にいるんだけど、めいめいの感じがあるっていうのはすごい僕もいいなと思いますね。結構僕らが本がある場所では、視線が直接交差しないような席次にしてたりして。

山内:はいはい。

染谷:1人で読んでるんだけど、何となく同じ空間に何人かいるみたいな。みんなそれぞれ本を読んでるのをちょっと目配せする感じがすごい好きだなっていう感じで。今のお話と繋がるなと。

山内:確かに。ですよね。僕もう一つ、実は本のある場所と今ちょっと関係があって、地元が杉並区…あ、嘘つきました武蔵野市です住所は(笑)。
杉並区に僕の知り合いで本に関わるお仕事をされているご夫婦がいて。そのご夫婦が、要はそんなに仕事をされているから本だらけなんですよ。
今までトランクルームに、ガンって詰め込んでた本を、地域のボロアパートが1件空いたからそこに全部本を敷き詰めて定期的に開いてくれてるんです。
たまにそこのお店番じゃないけど、まあ売れなかったり、公式に貸し借りできないので、あくまで開いてるってだけなんですけど。そうすると割とVIVISTOPと同じようなことが起きて。
偶然、本について背表紙だけで気になって会話が始まったり、誰かが読んでるのを気になって違う本を選んでみたり。
つくるっていうことと、本を読むっていうことがなんか全然別だと思ってたんですけど、さっきVIVISTOPでも本を読んでる人がいたみたいに、何か影響し合ったりとかお互いいていいんだってなったりとか、居心地のよさを作ったりとか、なんか最近ちょっと近しい雰囲気を今感じている最中で。
そこにオーナーがたまに来るわけじゃないですか。すごく語りだすんですよね、「この本を読んでくれてるんですか!」とか言って。それもなんか関係ないんだけど、横耳立てて「へえー」とか聞いて面白かったりとか。
なのでやっぱり本ある空間、僕も好きだなって。

染谷:影響し合うとか作用し合うみたいな感じはやっぱりなんか、ありますよね。それが良い作用をもたらすのは何によってなされるんですかね?

山内:なんですかね。でもなんか、これちょっとまた話飛んじゃいますけど、僕ももう40代なので、まだまだスマホがないときに電車も乗ったりしたことは当然あって。
するとまだまだみんな本読んでたじゃないですか。その目の前の人が読んでる本の情報っていうのがわかったり、何か表紙で気になったりとか、でも今全部スマホになっちゃうともう何してるかわからないですよね。
その辺は何してるかわかる。ていうそこの僕は安心感というか居心地の良さはあるんじゃないかなと話聞いて思いましたね。
VIVISTOPにまた話を寄せて思い出すと、これ動画もあるんでしたっけ?所作でわかりますか?
こうして(パソコンを開いている動作)作業をしてると、誰も寄ってこないんですよ。多分山内は仕事しているって思ってるんですよね。でもタブレットだったり、パソコン閉じて絵描いたりしていると、ねえねえ、って寄ってくる。

染谷:なるほど。

染谷:なんか、パーソナルな、パソコンもまさにパーソナルコンピュータだからパーソナル空間を作っちゃうんですけど、本はやっぱなんかこう(立てた状態に)なってても、こっち側(背表紙)に情報があるから多分なんか閉じてはない。

染谷:なるほど、そうかもしれないですね。

廣木:カバーつけちゃうと?

山内:駄目ですねカバーは、あ、でもカバーはあのカバーかわいいなとかあるかもしれない、決してマイナスだけではないかもしれないです。

廣木:昔の人、明治以前の人って、本は声出して音読が普通だった。

山内:へえおもしろい、そうなんですか!

廣木:そうすると、表紙もくそも読んでたらもうみんながわかるっていう。

山内:今やったら変な人ですね(笑)

廣木:いや変な人ですよ。

染谷:他人でも、何をしてるかわかっていると安全の度合いが多分変わるんでしょうね。

山内:そうですね。あと電車ってシチュエーションはさておき、同空間、意図して行った同空間でやっていることが見えていれば、話しかける機会にすごくなるんですね。
何もやってないで話しかけるのは難しいですけど、何の本読んでるんですかとかその本気になってたんですよねとか、何作ってるんですかとか、やっぱりその取っ掛かりがすごく増えてありがたい。

染谷:意図して行った同空間っていうところで言うと、意図の強さと弱さみたいなところがあるじゃないですか。

山内:はい。

染谷:例えば僕らはホテルとか入場料をいただいて入る本屋とか経営しているけど、それって意図して行く強さがすごい強いと思うんです。
けど、例えば図書館とか結構パブリックな場所だと、まあ電車ぐらい乗り合わせた感ではないですけど、図書館にいる人、っていうぐらいの意図って結構弱いなって感じですけどその辺は結構何か影響しそう?

山内:でもそうですね、あるかもしれないですね。確かに図書館にいるからとて、今みたいな話ですぐ話しかけはできないですよね。でも図書館の中の例えば、今学校でも流行ってるラーニングコモンズとか、ある程度コミュニケーションというところを考えられた空間、図書館の中に空間があれば、ちょっとまた違うかもって思いましたね。

染谷:VIVISTOPにちょっと話を戻すと、授業として使う、全員行かなきゃいけないときと、勝手に来ていいよってときでは、使われ方の賑やかさとか作用のしあいは全然違いますか?

山内:全然違いますね、やっぱりそれは雰囲気も多分生徒のモチベーションも先生としても違いますね。やっぱり「授業」だなって思います。

染谷:行っても全然あんまり乗ってこない子もいるみたいな感じ?

山内:そう。ただ空間としての面白さがあって、それを利用しようとして、先生もその場所を選ぶので、ある程度、通常のいわゆる教室でやるところとは違う作用が生まれたりしますね。
ただ、こういう話をしてVIVISTOP見たいですっていう方を案内するときに授業を見せることはしないですね。それはまあ授業なので。
それよりもやっぱり放課後であったり土曜日であったり、いろんな人が雑多にいるっていう方を見せたいなとは思ってはいます。

染谷:それは、先生は例えば理科の先生である国語の先生であれ、うまく授業と掛け合わせられそうだと思ったら使うみたいな感じ?

山内:そうなんですそうなんです。なので一応雰囲気的に工房っぽいし、もの作りの空間なんですけど、国語の授業で使ってくれたり英語の授業で使ってくれたりするんですよ。それはありがたいですよね。

廣木:本当に機器とか何も使わないで、国語の授業をそこで?

染谷:あ、そういうことですか。会場として使う。

山内:そうなんですよ、何かアイディアが出てくる発想が異なるって先生は言ってたりとか。あと、1個だけ授業やってても特徴的なのが、広いので、片方で小学校の授業やってて、片方で中学校の授業やってるっていう、同空間で同時でやってるシチュエーションがたまに起こるんですよね。
そうするとやっぱりノイズとして例えば金づちで釘をゴンゴンゴンゴン打っている横で、国語の授業をするのが案外心地いいとか、そういうことを言ってくれる生徒もいたりして。

染谷:面白いですね。

山内:なので、完全な講義型の授業ってのはまずもって向いてないんですけど、少し思考したりとかブレストしたりとか、相手と話したりとか、アイディアを何か生もうっていう空間については非常にいいねって言ってくれるような場所になってますね。

廣木:前に西千葉工作室の西山さんにも出てもらって、

山内:そうなんですか、それ見なきゃ。

廣木:いろいろお話を聞いて。あの方は西千葉工作室っていう場所で、同じ、似てるようなところもあるとは思うんですけど、もうちょっと機器を使ってとか道具を使ってクリエイトしたりとか、いろいろ生活で困ってることを解決したりとか、そういう目的って結構、強いっていうかあるなって思って、すごいいいお話だったんですよ。
で、なんか山内先生の話を聞いてるとVIVISTOPっていうのは何かいわゆるファブスペースとか、そういう工作室とかっていうことでもなくて、そういうものもある、本当にコミュニティの場っていうか何かやっぱり公共的な空間っていうか、そういう感じなんだろうなっていう気がしたんですけど。そういうことなんですかね?

山内:そう言っていただけるのはすごく嬉しいですね。ぱっと見、3Dプリンターとかレーザーカッターとか、ファブスペースとしてのやっぱり見え方が目立っちゃうので。
そういう「ものづくり空間」ですねって捉えられる方が少なくはないんですけども、本質的には僕は廣木さんがおっしゃっていただいたものでありたい、と思っていて。
さっき言ったのがやっぱりいろんなものが取っ掛かりに過ぎないんですよね。そのまま予期しない出会いが生まれて、違う展開が出てきちゃった!っていうところに僕は一番その瞬間に携われるのが嬉しい。
その先にそのプロジェクトが失敗しようがプロダクトとしてぐちゃぐちゃになろうが「あ、それいい!やろう!」っていうのが気兼ねなく生まれてほしいなとは思っています。

廣木:きっかけがいっぱい転がっている、そういう空間ってことですね。

山内:そうですね。

廣木:だからまあ本当は会員制とかじゃなくて、開かれていて自然に来て、ある人は3Dプリンターかもしれないけど、ある人は全く関係ない、なにか鉛筆1本かもしれないしとか、そういう自分の中の何かを、それをきっかけにして、出すっていうか、まあ出さなくてもいいんでしょうけど。

山内:それなんか思い出しました。学校なので、保護者向けの時間も月1で作っていて、保護者の皆さんは最初「自分は作らなければいけない」と思って来たんですって。
作れる人か作りたい人かが来て、「私今日これ作りに来ました」って人だちだったんですけど、僕が「いいんですよそんな作らなくて」とか言ったら、「いいんですか?」みたいのが、4ヶ月ぐらいやってやっとわかってきてくれて。
最近さすがにお酒は持ってこないんすけどお菓子とジュース持ってきて座談会になってますね。「うちの息子がさ~」とか言う。(笑)その後ろでお母さん一生懸命なんかやすっているとか人もいるんですけど。作ったり話したりっていう、本当、やっと伝わってきて。
それはやっぱり最初はみんな「つくる」を背負っちゃうんですけど、ときほぐしていく時間は必要かもしれないし、そういう人が多ければ多いほど、「あ、ここ作らなくていいんだ」っていうのも違う過ごし方をする人によって、見せられるのかもしれないですね。

廣木:なるほど。

染谷:つくるを背負うというか、「なになにせねばならない」みたいなところから離れるのは、場の提供だけじゃなくて、山内先生みたいな、そこにいる人の醸すなんか、こう、あるんじゃないですか?

山内:あると思います。

染谷:ということで言うと、ただ場を設定するだけではきっとそれは生まれないですよね。

山内:そうなんですよ、そこが僕すごく肝だなと思ってて。やっぱりVIVISTOPもいろんな方に見に来ていただいて、この場があったらいいですねって。みんなそうやって視察くる方って、箱を作れる人なんですよね。でもみんなその「人が必要」ということに気づくと、どうしようねって。

染谷:そうなりますよね。だから人を増やすしかないって、その、できる人というか居れる人を増やすしかない。

山内:でも細々ですけど先ほど前半で原風景って話をしたんですけど、こういう場が原風景になってる人は、きっとそういうところで立ち回れる素養がもう植わっていると僕は信じたい。なので少しずつですけど、VIVISTOPを経験した人がそういう環境にいれる人っていうふうに繋がっていくといいなと思ってますね。

廣木:なんかここ(超研)は一応あそこの壁に書いてあるんですけど、「図書館は想像の始発駅」って掲げて、図書館で得られた知識とかっていうのは、今までは自分に向き合って読書する空間だったけど、そこで得た知識をもっと何かアウトプットっていうか、創造にそのまま使えるっていうか、そういう実験がこの場でできないかなっていうのもあって作ってきたんですよね。
実際の図書館にも…、あ、ちょっと、あんま図書館話しちゃいけないルールがあるんですけど(笑)

染谷:いやいや大丈夫です(笑)

廣木:今ファブスペースとか増えてって、西山さんが来てくださったときにもそういう話をして、やっぱり場所だけいつもつくるから、あんまり流行らないっていうか、それをだからどう回すかっていうか、やっぱ人が重要だよねっていう話があって、図書館ともの作りっていうか親和性がすごい高いはずなのになかなかうまく融合しないなっていうことに対しての、ある意味、じゃあこうしたらいいんじゃないか?っていう一つの実験場なんですよ。
今、割と計画してるもの(図書館)とかもそういうものが多くて、山内先生にもいろいろ教えてもらったりしてるんですけど、つくるを背負いすぎたかなと思って…、今山内先生の話を聞いて。
もっと自然な場で作っても作らなくても当然いいし、きっかけとしてあるし、それを触らなくてもいいしみたいな、何かそういう感じが今してきて、痛く反省してるところ(笑)

山内:この間教員仲間で話していて、これは僕も大きな発見だったんですけど、違う学校でレーザーカッターを導入した際に、置く場所によって稼働率が全然違ったって。
人の動線が多いとこに置いた方が、ずっとそれこそ工房ぽいとこに置いていたんですって。それよりも人通りが多いところの方が、みんな使いだす。
なので、これから図書館と「つくる」を本当に融合していったら素敵だなと思うときに、「つくる部屋」っていうのにこだわってしまわないで、やっぱりどうにか「つくる」を図書館の中に溶かしていくような、そういう仕組みっていうのは必要なのかもしれないなと最近強く思ってますね。

染谷:本当ですね。

廣木:なんか意味をやっぱりね、ずっと求めすぎていたような気がして。なぜ作らないといけないとか…。だからなんか今開放された気分で。

山内:やった。(笑)

染谷:確かにそうですよね、意味づけはね…したくなりますよね。

山内:そう。「つくる」って結果やっぱ何かできてしまうので、そのアウトプットをどうしたって意識しちゃうんですよね。
子どももわりと、僕図画工作のやっぱ授業してて、高学年ぐらいになるとそういうのが、成長段階でもうしょうがないんでしょうね、どうなるってわかってくる。
だから、うまいとかへたとか得意とか苦手とか出てきちゃって、そこをいかに、いやいや、プロセスプロセスっていうことをずっと僕は言い続けて、今でもそういう仕事をしてるんですけど。
もう少しそこが大人も許容できて、完成品なんかどうでもよくない?みたいな(笑)、そういう大人が…、もう少し周りで励ましていったりとか笑ってくれれば。どうしたって成長してくとそうなっちゃうので、少し和らげてあげる。だといいなと思っていますね。

廣木:そろそろお時間はもう30分はとっくに過ぎていて…(笑)

染谷:いやあ面白い。何かそういうのをVIVISTOPをやっていったりとか、先生の教員の歴史の中で、これは参考にしたぞみたいな理論みたいなものもあったりするんですか?
例えば今の話を聞いてると、フローの考え方っていうか、やってるうちにそのときに一番興奮するみたいな、チクセントミハイ先生のフロー理論っていう方がちょっとだけ読んだんですけど、今やってる最中みたいのがすごい当てはまるなって感じたんですけど。

山内:そうですね僕もVIVITAのさっき言った社風を感じたのか、元からそうなのかわかんないですけど、あんまりこういう理論を参考にしてこういう場を作りたいっていうのがなくて。やってきた上で、誰かに説明するときにもっともらしく言いたいからどっかの理論と紐付けるみたいな感じですね(笑)

染谷:なるほどなるほど。

山内:今は一番エフェクチュエーションっていう経営学の中での起業家の意思決定理論っていうのが一般化されたり、最近流行ってんのかな?言われていて、それがすごくマッチしてるなと思います。

染谷:そうなんですか。

山内:そうするとさっきの意味関係ないとか言ってたんですけど、ほら、つくるって意味ないって言われたけど、起業家と同じようなトレーニングしてるんだぜみたいなことがあるとなんか救われる人がいるんじゃないかと思うんですね、意味あるじゃん!みたいな。

染谷:確かにそうやって後付けで組み合わせたりできる感じはありますよね。

廣木:今日お話聞いたように、やっぱり「つくる」を背負い過ぎないっていうのはすごいその通りだなと思ったんですけど、図書館でやっぱりファブスペースとかを作りますよ、ってなったときに、なぜそれを図書館に入れなくちゃいけないんですかっていう説明がやっぱり求められるわけですよね。
その理屈としての、さっき僕が言ったその知識を手に入れるっていうのと、創造によるアウトプットっていう循環みたいなのっていうのは、これは理屈は通ってると思うんですけど、例え機械やツールがあったとして、全ての人が創造を担えるわけじゃないじゃないですか。
そうすると、それって結局何か特別な人のものになっちゃうんじゃないか?っていう感じがしていて、公共施設、図書館っていうのは全ての人にひらいてるわけですよね。
で、そういう何か創造するものっていうのは、今図書館つくればもちろんひらいているわけだけども、その中で、じゃあそれを使って何かできる人、っていうのは結構ハードルがあるんじゃないかっていう気がしてるんですよ。っていうのをちょっと聞こうかなと思ったんですけど、今日の話で別にそれは使っても使わなくてもいいっていう話なので。

山内:(笑)

廣木:なんですけど、僕としては何か例えば3Dプリンターとかって、今まで全くそう創造に興味がなかった人とかが使えるツール、今まで自分ではつくれなかったものが突然つくれるようになる。っていう便利なツールの一つと思ってて。
なんだけど、結局その鉛筆と同じだなと思って。鉛筆と紙があれば絵を描く人は絵を描くし、文章を書ける人は文章書くけど、書けない人もいるじゃないですか。そうすると無意味な道具、ってなっちゃうのと同じで、なんて言ったらいいんでしょうねその…。結局、そこにたどり着かない人はたどり着かないっていうか。
それが例えば子どもの頃からそういう環境にいると、日本全国民が大人になったときに何かを生み出せるようになるのかとか。というわけじゃ当然ないんでしょうけどっていう…なんか最近いろいろちょっとずっとぐるぐるその考えが頭ん中回っちゃってて。

山内:僕廣木さんと出会ってその図書館憲章というなかでの表現の自由を担保する場所であるというところにすごくロマンを感じて。
やっぱり本って一般的には多分言語の集合体というか、言葉でやり取りをせざるを得ないので、その表現というのは結局自分が喋る言葉であったりとか文字であったりとか、まず文章であったりするっていうときに、でも表現ってそれだけじゃないよねっていうところの手段であれば、より広い人を受けいれられる、本を読んで何かインスピレーションを受けた。
これをどうにか表したいけど言葉でもできない、文字にも書けない、でも何か粘土ならこういう感じって言えるとか、そういう選択肢みたいなところに図書館もセットできるんであれば、やっぱつくるっていう機能はすごくあって自然なんだって思わせてくれたんですよね。そういう思想が、そうだよねって思う人が増えればいいなと思ってますね。

染谷:廣木さんが計画されている図書館…すいません長くなっちゃいますけど、行政側が何でそれを入れるのって言う理由の答えに、つくることはこういういいことがありますと。
それが行政が受け入れたとして、じゃあ稼働率が…とか、KPIを設定して…みたいになると何か今の話と全くずれちゃうじゃないですか。そこの二枚舌でいきたいところではあるけど、設定されたKPIとかにどう答えるのかみたいなジレンマが、次は生まれちゃいそうだなみたいなのは、ちょっと思いましたね。

山内:そっちの理論はそっちで構築したいっすね。

染谷:そうなんですよね。だからそこも答えつつ、いてもいいよとか、やりたかったらやればが、どう担保できるかみたいな、そこのどっちにも(対応できる理論の構築の必要が)あるなっていう感じはすごいしましたけどね。

廣木:でも本当はやっぱりVIVISTOPみたいな形態っていうのは、お金も取らないわけですし、公共施設っていうか本当に図書館とかひらかれた場と一緒になってると一番美しいんだろうなっていう気はしますけどね。今ももちろん美しいですけど。じゃあこんな感じでよろしいでしょうか?

廣木:ありがとうございます。山内先生でした。

染谷:ありがとうございました。

2024年6月13日(木)収録