泣いていた町、燃えつづけた森
いつかは終わってしまう。この命も、この世界も。
今まさに世界が終わりに向かっているのか、それともわたしたちの想像を越えるような未来が待っているのか。一体どこへ向かっているんだろうか。
そう思えば思うほど、ただ歌っていられる喜びを日々噛み締めています。
ようやく秋めいてきた旅の空。
9月、少しずつ復旧復興へと進んでいた能登の町が、豪雨災害によってまたひどく傷ついてしまいました。
地元の人たちも、支援活動を続ける仲間たちも、さすがに心が折れていると聞いています。また降り出しに戻ってしまったと。むしろもっと酷い状況になってしまったと。
今はツアーをしながら出来ることは限られているけれど、わたしもまた必ず行こうと心に決めています。もちろん、支援を必要としているのは能登半島だけではなく、この夏は山形の水害も。
日本中で、世界中で、同時多発的に災害が起きていて、これまで以上に多くの支援者を必要としています。
今すぐ争いをやめて、支え合えたならいいのに。
ゆかりさんが送ってくれた輪島からのメッセージ。
そして、アマゾンの熱帯森林保護活動を続ける南研子さんたちからもメッセージを受け取りました。
今年の8月22日からアマゾンの熱帯林が燃え続けています。森の生きものがたくさん死んでしまったと聞きました…。日本ではほとんど報道されていません。
火災の発生は密猟者の火の不始末が原因と言われていますが、近年の大規模開発による森林破壊で、森全体の乾燥化が急激に進み、大きな火災へと燃え広がりました。
商業価値のある木材の伐採、家畜用の大豆栽培のための大規模農業開発、鉱山開発、水力発電所の建設など、、原因は多岐にわたります。
この大火災はわたしたちに無関係ではなく、日本でもアマゾンの大豆や地下資源を輸入しています。
地球の酸素の3分の1を作り出す「地球の肺」とも言われているアマゾンの森。森林の消失が進めば、貯蔵されていた二酸化炭素は大気中に放出され、気候変動は悪化し、自然災害もますます増えてしまいます。
近年の日本の夏の暑さや水害の多さを思えば、わたしたちの生活環境にも大きく影響していることが想像できます。
アマゾンの森を守ることは、地球上の生命を守ること。
森林消失の危機感を抱きながらも、研子さんたちがこれまで体験してきた数々のエピソードや、アマゾンの生き物たちやインディオたちの「あるがまま」の暮らしっぷりを知れば知るほど、未知への好奇心や希望が湧いてきます。
「生きることに余裕なんてない!」
アマゾンの森では、電気も水道もガスもない自給自足のくらし。畑の作物を育て、川魚や動物を狩り、収穫がなければ当然その日は食べることはできません。野生の動物が生息する大自然のなかではいつも危険が隣り合わせなので、用を足すにもヒョウやヘビに襲われるかもしれません。そんな過酷な環境だからか、インディオたちはそれぞれの役割のなかで支え合い、生き生きとしているのだそう。
また、彼らの言葉はとてもシンプルで、たくさんの言葉を待つ日本人同士に比べて、少ない言葉だけで不思議と通じ合い、いじめや心の病もなく、自ら命を絶つ人もいないと言います。
知れば知るほど、驚きで満ちています。
文明社会を生きるわたしたちに、インディオたちは何を語りかけているのか。
わたしたちに出来ることは、まずは耳を傾けること。知ること。問いかけてみること。
アマゾンの写真はRFJのHPやSNSから拝借させてもらっています。