国宝建築専修寺と、豪商の町松阪に行く 三重旅行その2
2023年10月 専修寺に行く
専修寺は、宿をとった津駅からほど近く、JR紀勢本線でひと駅行った、一身田駅から徒歩5分程度の場所にあります。調べたところ、浄土真宗高田派の総本山という由緒あるお寺で、2017年には、御影堂と如来堂が国宝に指定されたとありました。真宗高田派がなんなのか、申し訳ないことにわたしは何も知りませんが、ネットで見るとなかなかに立派なお寺です。津駅から近いですし、ちょうどいいので行ってみることにしました。
一身田駅で降りてすぐ、町並みマップがありました。
こう見ると、毛無川の水を引き込んでお堀にして、専修寺を中心とした町だったろうことが伺えます。
駅から本当に近くて、すぐにお寺の唐門です。門から見えるは、国宝のひとつ、如来堂です。
ちなみにこの唐門もすごくて、
かなり立派な彫刻をされています。
こちらはもうひとつの国宝、御影堂です。御影堂のほうが如来堂よりも建物的には大きくて、観光三重によれば、「現存する江戸時代の寺院建築としては全国で5本の指に入る大きさ」で、その大きさは「長野県の善光寺よりも大きい」というので、相当に立派です。
屋根の支えや梁の支えも、美しく彫刻されています。手前の柱、梁を支える位置にあるこの狛犬(?)、唐獅子(?)でしょうか、なかなかに迫力があってよいなと思います。
こちらは、御影堂から通天橋(御影堂と如来堂をつなぐ通路)に接続する辺り、だったと思いますが、見ていただきたいのは右の建物(御影堂)の側面、規則的に竜がにゅっと頭を出しているのがわかりますでしょうか。こんなたくさん竜がいたら、竜のありがたみはどうなんだと思ってしまいましたが、ずいぶんと凝った作りをしています。
御影堂の内部です。でーんっと広い空間を、木目の麗しい柱が支えています。金の使われ方も豪華ですが、それよりも目を引いたのが、
この彫刻です。彩色美しく、複雑に立体化されています。
竜も鳳凰も迫力ありますが、
この丸みを帯びている孔雀(と、もう一羽はなんでしょうか)も愛らしい。
山門。こちらもまた大変立派。
そんな感じで30分ほど滞在して、次に向かいます。
同日 松阪に行く
松阪といえば松阪牛くらいしか知らなかったのですが、江戸時代には木綿を売って財をなした豪商が多くいた町だったとか。歌川広重が日本橋本町を描いた「東都大伝馬街繁栄図」でも四店舗、松阪の木綿問屋のお店が描かれているそうです。
現在でも松阪の町には当時の豪商の屋敷が残っているのですが、そのなかのひとつ、旧長谷川治郎兵衛家に行くことにしました。
松阪駅から松阪城に行く通り道に、旧長谷川治郎兵衛家はあります。豪商の家なので、家自体もちろん大きく立派なのですが、掛け軸や屏風などといった美術工芸品も見ることができます。
きっと10月だったからこの掛け軸、この人形なのでしょう。色づく紅葉だけ朱で描かれ、赤がよりいっそう引き立っています。そんな秋の森のなか、鹿が鳴いているイメージでしょうか。鹿がとってもかわいらしい。
おそらく、大正座敷広間から表庭の方向を写したもの、だと思われます。紅葉屏風は江戸時代狩野派の絵師・吉田元陳によるものだとか。
逆に、表庭のほうから大正座敷広間方面を撮った、と思いますが、そうすると
こうなります。このときは10月で、1月の今この記事を書いているのはまったくの偶然なのですが、年明け最初の記事にふさわしい、なんともめでたい光景です。
これが表庭で、その先は「貴人口」と呼ばれる門らしく、貴人をもてなすのにこの門からお通ししたとありました。当時この屏風を飾っていたかはわかりませんが、偉い人が来て最初に見る光景がこの部屋のものになるでしょうから、きっと同様の吉兆な屏風で飾ったのでしょう。
ちなみにこの屏風は「富士旭日図屏風」というタイトルで、明治の巨匠・川端玉章の作品でした。
また蔵には蒔絵をはじめとした美術品も飾られてたり、
回遊式の庭園があったり
というお屋敷で、滞在時間はだいたい40分くらいでした。
そのあとまた別の豪商宅に行って比較でもすれば面白かったなあと今になって思うのですが、天候が怪しかったこともあり、松阪城とその周辺を少し散策して、その日の観光を終えたのでした。