江戸琳派が大好きだ 「琳派展24 抱一に捧ぐ ー花開く雨華庵の絵師たちー」@細見美術館を見る。

2025年1月
細見美術館で琳派展を見る。

 日本美術を見始めたころ、琳派はあまり好きではありませんでした。きれいはきれい、なのだけど、それ以上がないというか、いかにも「教科書的」な硬い感じを受けていたのです。

 それがいつの頃からか惹かれるようになったのですが、その一因は間違いなく細見美術館にあります。細見美術館は若冲や琳派のコレクションに優れ、それをもとにした企画展を多く行っていますが、若冲目当て、あるいは、ほかの江戸の画家目当てで行った細見美術館の展覧会で琳派の作品を多く目にするようになり、なんとなく、その良さに惹かれるようになっていきました。

 そんな細見美術館の琳派展ですから、これは逃してはならないと、期待に胸を高鳴らせて足を運んだのでした。

 タイトル、「抱一に捧ぐ」の抱一はもちろん江戸琳派の祖・酒井抱一のことですが、では副題にある「雨華庵」(うげあん)とはなんなのか。わたしはこの展示のパンフ、あるいはサイトを見るまで知りませんでしたが、説明によれば、抱一が文化6年(1809)から死ぬまで過ごした、江戸は根岸の百姓家のことだとか。そこは抱一の生活の場であるとともに、晩年の作品制作の場であり、弟子たちを指導する場でもあったそうです。そんな雨華庵は、抱一の死後も弟子たちに継承され、抱一や後継者たち自身も「雨華庵」と称したそうです。

 この展覧会では、抱一とその弟子たち、雨華庵継承者たちの作品が主に時代順に展示されていて、江戸琳派好きにはたまらない展示となっています。また、抱一はともかく、雨華庵四代目・酒井道一や五代目・酒井抱祝など、まとまった作品数で紹介されることは少ないであろう者たちの作品もいくつも見ることができます。

 ちなみに本展覧会は雨華庵五代目の酒井抱祝で終わっていますが、たまたま日本画教室を調べてあたった「江戸琳派継承会」(アドレスがugeanだ!)によれば、2016年に雨華庵七世が継承されていたり、建物としては1865年に消失してしまった雨華庵の再建を目標に活動していたりと、その歴史が閉じたわけではなく、現代でも引き継がれているようです。

 以下、人物ごとの作品の感想など。

酒井抱一(1761-1828)

 展示は江戸琳派の祖・酒井抱一の展示から始まります。

 抱一の作品ではなんといっても「白蓮図」(絹本墨画淡彩/掛軸/一幅)でしょう。画面中段から上段にかけて、大きな白い蓮の花が一輪咲いていて、そのバックにはさらに大きい蓮の葉が一枚描かれています。蓮の葉の影のなか、白い花がよく映えます。茎はまっすぐと伸びていて、下段には蓮の葉が2枚と、蓮のつぼみがひとつ。濃い葉脈からは力強さを感じます。静寂のなか、すっと立ち上がる蓮の花に、とても凛としたものを感じる作品です。

 また、「後赤壁図」(絹本墨画/掛軸/一幅)もすごいです。画面中央左寄りにさっと縦に筆で太い線を走らせそそり立つ壁面とし、画面下段には小さい舟を、画面中段やや上には鷺でしょうか、上空を飛ぶ鳥を配します。小さい舟があることで画面が河となり、縦一筆が壁面となる面白さを思います。

酒井鶯蒲(おうほ)(1808-1841)

 雨華庵二代目・酒井鶯蒲の作品では、「筑波山之図」(絹本着色/掛軸/一幅)が印象に残りました。全景の水辺には小鳥の群が飛んで、中景には陸地がかすみます。かすみは画面の奥に続いて景色を隠し、その奥に碧濃い筑波山がそびえます。筑波山の山際からはかすかに茜に色づく空があります。筑波山の濃い碧が存在感を放ちます。

池田孤邨(1803-1868)

 池田孤邨は、抱一の弟子、なので鶯蒲とは兄弟弟子にあたるでしょう。「四季草花流水図屏風」(紙本金地着色/屏風/二曲一隻)が面白いです。解説を読めば、「風炉先屏風」という形なのでしょうか。縦が極端に短く、横長の屏風です。屏風の左側では、画面の縁に沿うように大きくカーブする川が流れます。その画面の左上には、川に隔てられながら土筆が生え、春の花が咲いています。画面中央ではカーブしてきた川の手前で燕子花がピンと背を伸ばし咲いています。その燕子花の上では藤の花が風に揺れ、揺れた先はもう秋で、色づく秋の草葉と触れ合わんばかり。その右側では冬の花が茂っています。

 画面の縁に沿うように流れる川とともに、大きく余白をとる左の画面と、草花茂る右の画面との対比、中央で揺れる藤の花と、花の先で季節をバトンタッチする赤く色づく葉が楽しい画面構成です。

山本素堂(生没年不詳)

 山本素堂も抱一の弟子で、「朱楓図屏風」(紙本銀地着色/屏風/六曲一隻)は第一展示室の取りを飾り、またこの展示室でもっとも印象的な作品だと思われます。銀地の中央、楓の古木が幹をうねらせながら、やや左に傾いて画面上部に伸びています。楓の下には、緑の土坡が丸く盛り上がり、その右にはやはり丸みを帯びた銀地の土坡が、その奥にはまたも緑の土坡が丸くあり、さらに奥をおだやかな曲線を描く川が流れます。この曲線、丸みで構成された画面のなか、古木の楓は窮屈そうに枝を左右に伸ばしていて、その枝先には幾何学的な葉が色づいています。葉の色は明るい黄色から深い赤まで様々で、この葉の形、色の重なりが、見ていてとても楽しいです。

 話は少しそれますが、この楓の葉の幾何学的な印象は、以前見た石崎光瑤の「紅楓」を思わせます。あのときは、「琳派というよりも近代的」との印象を抱いたのですが、素堂は光瑤の最初の師・山本光一の父にあたる人物です。とすると光瑤のあの楓は、近代というよりもやはり琳派に源流があって、むしろ先祖帰りしたとも言えてしまうのでしょうか。

山本光一(1843?-1905?)

 といったところで山本光一です。先述したように素堂の子であり、雨華庵三代目・酒井鶯一の弟子とあるので、雨華庵的には第四世代にあたるのでしょうか。展示の順序は多少飛ぶのですが、光一で特に気に入った作品をまとめましょう。

「春坡(しゅんぱ)土筆図屏風」(紙本着色/屏風/八曲一隻)は、金箔を散らしてかすみ立った春の野の、緩やかに盛り上がった土坡に土筆がまっすぐに背を伸ばしている景色が描かれています。丘の曲線、明るく、抑えめな緑、かすむ金箔。明るくて、穏やかな春ののどかさを思います。

「四季花鳥景物画巻」(紙本墨画淡彩/巻物/一巻)は絵手本のような小品がいくつも描かれている巻物ですが、大作品とは違った伸びやかさが魅力の作品群です。淡彩の朝顔の蔓の曲線の筆遣い、どこまでも伸びていきそうな富士の青いすそ野、樂茶碗の後ろに配された白椿の花びらの線の柔らかさ、白梅の枝のスピード感、松の枝のユーモラスな曲がり方など、どれもこれも、自由闊達、魅力的です。

 対して「四季草花図屏風」(紙本金地着色/屏風/六曲一双)は大作です。展示期間的に見れたのは右側、右隻だけなのですが、金地の屏風に紫陽花、撫子、芙蓉、白萩、薄、百合、女郎花、葉鶏頭、燕子花が順々に配されます。まずはなんと言っても画面右にある紫陽花です。北欧デザインと言われても信じるかわいらしい造形の花が、スタンプのように群生します。水色の鮮やかさともども、とても魅力的です。

 少し離れてみると、屏風の右から左へと、ポンポンと色が移っていくのも鮮やかです。金地を背景に、右から紫陽花の水色、芙蓉のピンク、桔梗の青、百合のピンク、葉鶏頭の赤、燕子花の青と、それぞれが強い着色で、金地によく映えています。

酒井道一(1845-1913)

 道一は雨華庵の四代目で、山本光一の弟でもあります。展示数も多く、目を引く作品も多いです。

「白牡丹図」(絹本着色/掛軸/一幅)は、薄墨で描かれた岩の奥で、大きな白牡丹が二輪花開いています。牡丹の葉の、ところどころ濃い緑とたらし込みの濃い墨のなかを、金で描かれる葉脈が美しいです。ただ、この作品においては白牡丹は添え物で、この絵の力点は、牡丹の前に配されている岩でしょう。本当に、うすい、うすい薄墨で描かれる岩、その下部に、たらし込みの濃厚な墨がにじみます。このにじみ、広がりのための絵であると言ってしまいましょう。

「蓮華草図」(絹本着色/掛軸/一幅)は、画面手前から中段にかけて、かわいらしい蓮華草の花と葉がおどっています。小さい緑の葉が地面近くに広がって、すっと立つ細い茎、その上で、これまた小さい赤白の花が環状に咲いている姿は、まさにおどるといった感じです。画面奥に行くにしたがって葉は見えなくなり、やがて花も見えなくなります。自然花と葉の群生にともない、ポンポンポンと画面を一足跳びに飛んでいく視線の移動も、「おどる」と言いたくなる一因かもしれません。

「藤に牡丹図」(絹本着色/掛軸/一幅)は、画面左から中央上部にかけて藤が枝を伸ばし、画面上部で、鈴を鳴らすように三房の花を咲かせています。その藤の花の下で、画面中央、薄桃色の牡丹が一輪、大輪の花を咲かせ、やや左上では濃い桃色をしたつぼみが、咲く順番を待っています。牡丹の大輪には黒い翅の蝶がとまって、蜜を吸っています。やや淡い色彩で描かれるなか、つぼみの濃い桃色と、牡丹にとまった蝶の黒い翅とが、画面をしっかり締めています。

 牡丹の花の大輪、花びら中心部の濃い桃色、黒い蝶など、渡辺省亭の「牡丹に蝶図」を思わせるなあと思っていたら、隣に展示してあった「花鳥図寄合書」(絹本着色/掛軸/一幅)では、合作している幾人かの画家の名前に渡辺省亭もあったりして、二人には交流があって、お互い参考にするところもあったのかもしれない、なんて思いました。

酒井抱祝(1878-1956)

 酒井抱祝は道一の弟子で、雨華庵の五代目になります。今まで挙げてきた人たちの絵は、ほかの場所でなにかしら見たことがあったのですが、抱祝の絵を見るのは初めてなように思います。

「朝桜図」(絹本着色/掛軸/一幅)は、一本の桜の細い幹が、緩やかに曲線を描きながら画面上部に伸びていき、朝の光を浴びてか、枝に咲き乱れる白い花がまぶしいくらいに輝いています。枝先には、赤みを帯びているつぼみがいくつかちらほら。画面手前では、まだ暗闇が影落とすなか、また別の桜が花開いています。細い枝、ゆるやかな曲線はあまり見たことがなかったですが、解説によれば「このたおやかな樹形は抱祝の特色の一つ」と。なるほど。

「亀図色紙」(絹本着色/色紙/一枚)は本展覧会の取りを飾る位置に展示されている、と言っていいと思いますが、いやなんだか、展覧会の印象をすべて持って行かれてしまいました。甲羅に頭を隠した亀の姿が正面から描かれますが、甲羅の五角形の形、のぞく顔のちょっと悪そうなこと、ぐいっと出そうな前足二本など、とってもユーモラスです。色紙中央にこれだけ描いている、というのもおかしみがあります。

 解説によれば、酒井抱一が江島神社の奥津宮拝殿天井に描いた「八方睨みの亀」と、ほぼ同じ図柄だとか。以前、やはり細見美術館で、正面から見た金魚を描いた神坂雪佳の作品を見ましたが、その発想の源は、江戸琳派の祖・抱一からいただいたものなのかもしれません。

#江戸琳派 #雨華庵 #細見美術館 #日本美術

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