小説【 楽園 】

人が足を踏み入れない山奥には今も小人が住んでいる。体長20cm。狩猟採集で暮らし我々人間を「巨人」と呼んで怖れていた。そしてある日、森の中で小人の男女が出会う。

―――***―――

そのペットショップは売れずに大きくなった犬や猫を山中に捨てた。

   ***

店のある街から車で2時間の山奥、街灯もなければ舗装もされてない山道に今夜連れてこられたのはゴールデンレトリバーのメス。生後7ヶ月。よく食べる子犬だったが丸一日なにも与えられず、腹をすかしてクーンクーンと鼻を鳴らした。ケージを出されると店員の男の足にまとわりつく。男がそこらにドッグフードを撒くと夢中で食べた。そのあいだに男は切り返しておいた店のワゴンに戻り、乗車すると発進。犬を置き去りにする。気づいた犬は追いかけたが車は速く、赤いライトはどんどん離れて見えなくなった。

   ***

そこからさらに山奥は人の入ったことがない深い森で小人が住んでいた。背丈は大人で20センチほど。草木の繊維で編んだ服や靴を身につけ狩猟採集で暮らしている。食べ物は木の実や山菜、キノコ、自分たちより小さなカエルやトカゲなどの小動物、小魚や貝類。鳥の卵も盗む。道具は木製や石製、獲物の骨も利用した。さらに土器。木の実の殻も器になる。狩りや採集には数人のグループで出かけ、動物相手の狩りには男だけ、それ以外の採集は女たちで行き護衛の男がひとりつく。

今日の山菜採りについた護衛はホロンという青年だった。石製の鉈を振り草むらを進む。ついていく娘は3人。彼女たちの持つ鉈は小ぶりで採集専用。ホロンの持つ鉈は大きく武器になる。それぞれが周囲を警戒して歩いた。森には小人より大きな動物がたくさんいて肉食なら小人を捕食するし虫さえ危険な種類が多い。

「着いた」とホロンが言って急ぐ。山菜が群生した場所で娘たちは笑顔になる。「ちょうど採り時」「これはみんなよろこぶな」「そっちは残そう。まだ早いしここらで十分」と選んで刈り取る。

「シッ」とホロンが会話を制した。その声で緊張し、娘たちは手をとめる。周囲を見る。森は静かで鳥の声も聞こえない。それが異常と言えば異常だった。風にそよぐ草木の音しかしない。

ガサッと音がしてホロンが振り向くと娘たちのむこうの草むらに狸が現われた。目が合う。体長は50センチほど。小人の倍以上大きく娘たちは固まり動けない。狸の目だけが動く。ホロンはゆっくり娘たちの前に進み「わかってるな」

娘たちは刈り取った山菜を静かに放す。

狸が娘たちに襲いかかった。

「逃げろ!」とホロンは鉈を振る。

狸はひるみ娘たちは散り散りになりホロンは狸と対峙する。鉈を構え目をそらさない。娘たちが逃げる時間を稼がないと。しかし狸が飛びかかる。ホロンは横っ飛びに転がりすぐ起きて逃げた。落葉と苔の地面を走り草と石のあいだを縫う。迫る狸の目の前で曲がり穴に飛び込んだ。狸は鼻を突っ込み歯を剥くが狭くて入れない。手を入れて掻き出そうとするのをホロンはよけてさらに潜る。そのとき穴の奥に気配がした。見ると蛇。登ってくる。飛び込んだ時ににおいで蛇の巣穴とわかったが最悪の挟み撃ち。蛇は二股に割れた舌を出して迫る。ホロンは鉈を狸の手に突き立てた。狸は穴から手を引くと振り回し、ホロンは飛ばされ草むらに転がる。振り向くと穴から飛び出した蛇が狸と相打ち。絡み合って離れたあと睨み合う。ホロンは娘たちを探しに走った。娘たちは刈った山菜をまとめていて、

「急げ」とホロンは手伝い「行け行け」とせかして最後尾を行く。蛇と狸はまだ睨み合っている。

   ***

ホロンたちの住みかは森の中にそびえる崖のふもとにある。岩場の隙間に入ると突き当りの石がゴロンと転がり入口があいた。ホロンは娘たちを先に入れて周囲を見まわし最後に入る。出入口の開け閉めは子供たちの仕事で楕円の石を3人がかりで転がし、閉めると岩の隙間から見張って次の仲間が来るのを待つ。

「おかえり」とホロンに声をかけたのはワルチという少年だった。「どうだった?」

「ああ、ひどい目に遭った」とホロンは上着を脱ぐ。小人は外出する時いつも迷彩の上着を着た。

「ひどい目?」とワルチはついて来る。

「おかえり」と奥から来たのはゼナー。ホロンと同い年の青年で親友、そしてワルチの兄だった。

「ああ、聞いてくれ。命からがらだ。なんとか逃げて」

「うん――」とゼナーは住みかの奥を見る。住みかは自然の洞穴を利用したもので洞穴の高さは50センチ、広さは20平方メートルほど。その中に木で作られた箱状の部屋が30以上あって50人近くの小人が住んでいる。洞穴の中心は集会用のスペースでその方向に動きがあった。

「どうした?」とホロンが聞くと、

「エッジモがやられた」とゼナーは首を振る。

「鳥に?」エッジモは鳥の卵を盗むグループにいた。

「セヤームが見張りに付いてたが」

セヤームも同じグループの一員で親鳥のいない巣の見張りをしていたが音もなく飛来されて気づかず、「逃げろ!」と鉈を振ったが羽ばたきで飛ばされ、エッジモはくちばしで胸を突かれ即死。巣から真っ逆さまに落ち、

「遺体は?」とホロンが聞くと、

「いや」とゼナーは首を振る。「逃げるのに精一杯だったと」

「あそこらじゃ明日の朝にはないぞ」

鳥の巣がある窪地は小動物や虫が多く、小人の遺体などはすぐ食べられる。

「諦めろって命令だ。これ以上犠牲が出たら――」とゼナーはまた奥を見る。

集会用のスペースでは族長の指示で弔いの準備が進められていた。火を焚き香をくべ酒を交わし悲嘆にくれる。そこにはエッジモの母がすでに座り泣き崩れていた。その娘が来てひざまずき母親を抱いて泣く。エッジモの妹でホロンと共に山菜を採りに行ったひとりだった。母娘と離れた隅にセヤームが膝をかかえ座っている。

   ***

「これも森の神が決めたこと。さだめ」

儀式が始まると族長は火の前に座り、そばの遺族に語りかけた。

「エッジモの命、体を欲しがったんだ。彼の魂は森に溶け込み、神と共に永遠に生きる。我々のこれからを見守ってくれるだろう。決して寂しくはない。いつも共にある」

ホロンは儀式を抜け出した。ゼナーはそれを追って探す。住みかは出入口のほかにもう1つ外に出る場所があった。岩の隙間の通路、換気用にもなっているその坂をしばらく登ると崖の途中に出る。見張り台だった。森が見下ろせるほか山々を見渡せる。さらに遠くの地平線には人間の街の光。ホロンはそれを見張り台に座って見ていた。

「ここか」とゼナーが声をかけると、

「ああ」とホロンは振り向く。

「変わりは?」

「ない。いつも通り」とホロンはまた街を見る。「安定してる。どんな火を使ってるのか」

「うん」とゼナーはうなずいて横に座る。

小人たちは電気を知らなかった。まぶしく光るものはなんらかの火と考えていた。

「羽ばたかない鳥」とホロンが空を見上げる。上空を点滅するライトが通過する。飛行機のエンジン音が小さく聞こえる。「雲を引いてるかな」

「見えない」とゼナーは首を振る。

飛行機は街の方に飛んで行く。飛行機は『羽ばたかない鳥』と呼ばれ、蛍のように夜は光るものと考えられていた。

「巨人はいつも争ってると言うが――」ホロンは再び街を見てため息をつく。「そうは見えない」

小人は我々人間を『巨人』と呼ぶ。巨人は巨人同士でいつも争っている、というのが昔からの言い伝えだった。近づけば巻き込まれる、だから近づくな、というのが小人たちの掟だった。

「でも野蛮なんだ」とゼナーは言い聞かす。「森を伐り、山を削り」

「大地を潰して縄張りを広げ?」とホロンが引き取ると、

「ああ」とゼナーは苦笑する。

「そんな凶暴な種族さえ森は征服できない」とホロンは小人の教えを続ける。「偉大な森の神は侵入を拒み、我々を守る」

「そうだ」

「その神がなぜあんな残酷なことを」

死んだエッジモはホロンとゼナーの友人だった。当然悲しかったがエッジモの母と妹はさらに深く悲しみ見ていられなかった。母は族長の慰めの言葉など耳に入らず茫然自失。若い頃にやはり狩りで夫を亡くし、ふたりの子供がすべてだったが今日息子を亡くした。残ったエッジモの妹は泣き疲れた顔でうつむき、それでも気丈に母の背中をさすり続けた。セヤームはうなだれて隅に座り動かなかった。

「このままふたりが結婚できるか?」

セヤームとエッジモの妹は婚約していた。秋には婚礼を控えていた。

「兄を亡くした妹と、その死の責任を感じてる男と」

「すべては神が決めたこと。そう信じれば乗り越えられる」とゼナーはうなずく。「試練だよ。我々を鍛えるため」

「いらない試練だ」とホロンは首を振る。

「そんなこと言うな」

「見てられない」

ホロンは怒りを感じた。これが神の決めたこと、さだめなら神はあんまりだ。ひどすぎる。

「うん――」とゼナーは目を伏せる。同じ怒り、疑念はあった。この見張り台から街を眺めるたび疑念は膨らむ。

   ***

小説【楽園】を含む短編集は10月5日に発売しました。続きは以下の画像からどうぞ。

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