見出し画像

もしも起立性調節障害にならなかったら。

 もしもあの時こうしていれば。
そんなことを考えたことがありますか?
きっとある人の方が多いんじゃないかなぁ。

 もしもあの時、女子校じゃなくて共学に進んでいたら。もしもあの時、もっと真面目に勉強していたら。もしもあの時、起立性調節障害にならなかったら……。そうしたら、いまとは違う自分になれたのかな?

 高校生の頃から何度も考えたことがある、もしもの話。
それを大好きな学園もののお話を読んでいて思い出しました。もしもあの時違う選択をしていたら、物語の中の生徒のようにキラキラした学園生活をおくれたのかな、と。

 過去は悔やんでも変わらない。それを、この数年で特に身にしみて感じています。
 それでも、考えてしまう。
もしもあの頃が──わたしの青春が鮮やかな色をしていたらどんなだったのだろう、と。

 あの頃のわたしは、地味で暗くて、友だちはいたけれどその友だちとうまくいかないこともあって。勉強よりも絵やゲームやTwitterが好きでそっちに熱中していて。……それは今も変わらないか。
学校が嫌いで、休みがちで、そのせいで親ともうまくいっていなくて。
 中学生のある日、突然朝起きることができなくなって、それで……。

 そこからは、中学2年の梅雨の、泣きながら死にたいと思った日の繰り返し。色があったはずの学園生活は、モノクロになってしまって、心の中のコップは水が溢れていて、心と身体には傷がたくさんできていて。笑うことよりも泣くことが多かった、そんな数年間。
 一緒にいたかった人たちとはいられなくなって、いつもどこかしらが痛くて、いつも何かを責められていた。そんな日常。

 今の状態でまたやり直せたらと思うけれど、やり直したくてもやり直せないのが現実で。それが当たり前で。


 いろんなことを思い出して心と頭がぐちゃぐちゃになってきたので無理やり締めます。
今日はここまで。

 お互い、後悔しないように生きたいね。

 最後に遺書を書いた時の話は今は非公開にしてしまったけれど、需要があれば戻します。まぁないだろうけど。

 いつか、それでも良かったって思える日が来るのかなぁ?
今はまだわからないです。わからないことがたくさん。

 今日も読んでくれてどうもありがとうございます。それではまた明日。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?