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地雷拳(ロングバージョン2)

 高速道路にエンジンの音が鳴り響く。風が耳元で吹き荒れている。姫華の操るバイクにはカウルがなく、風が直撃してくる。
 出せる限界の速度を出していた。
 真夜中だった。ヘッドライトが行き先を示すように伸びている。
 交通量は少なかった。たまにポツポツと目の前に現れる車を姫華は追い越す。
 マローダーとのカンフーデスマッチの後、山道を出て中央自動車道を走り続けていた。
 今は八王子に入ったあたりか。
「……」
 姫華は痛みに耐えていた。
 ハンドルを握る手が絶え間なく疼く。姉の言によればカンフーロボ達を相手にするため、骨を施術してるのだという。鋼の身体を殴るには相応の準備がいるらしい。
 骨の芯が火で炙られているようだった。
《もうすぐ終わるから》
「早くしてよね」
《わかった》
「……っ!」
 熱した針で手が貫かれる感覚がした。ハンドルを掴む手に力が入る。
「そろそろ教えてくれない」
《なに?》
「……覇金グループってなんなの」
 姫華は別の話題に変えた。
《今あなたの視界に見えてるものよ》
 目の前に軽自動車が走っている。
「車?」
《車ももちろん、覇金の技術で走ってる。それにこの道も。設計したのは覇金グループよ》
「なんでも作ってるんだ。姉は?」
《私はDX推進室で研究をしていた》
「どんな研究なの?」
《脳の研究よ。記憶をデータに書き起こすの》
「カラテチップもその技術を使って出来てるの?」
《そう。私はあらゆる空手家の技術をデータ化してこのチップに埋め込んだ》
「じゃあ、あのカンフーチップも」
《おそらくそうでしょう。けど、人に耐えられるものじゃない。私はカラテチップを人が使うように設計している。カンフーチップは無茶をしてる。身体の修復が出来ない代わりに、秘められた能力を使えるようにしてるんでしょう》
 姫華はマローダーとの戦闘を思い出した。巨拳を降らせるあの能力もカンフーチップによるものだ。あれほどの力を人で使うとなれば、負担は計り知れない。
「これからあんな奴らが何人も?」
《タロットカード通りいるなら……あと10体以上はいるでしょうね》
 姫華は目を回した。気が遠くなる数だ。一体でもあの強さだと思うと、途方もない戦いになる。
 それでも、龍斗のためにはやらなきゃならない。大金で一日で龍斗のナンバーをひっくり返してやるんだ。
 何もできない自分ができるのは彼を輝かすことぐらいしかない。そう思うと、いくらか楽になった。
「ねえ、いい加減、高速降りてドンキ寄ってもいい?」
 ポケットのスマホをチェックしたかった。マローダーの一件以来、電源が切れていたのだ。
《待って。覇金の本社はまだ先だから》
「本社ってどこ」
《港区》
「無理、どっか寄ろう」
 姫華はさっさと高速道路を降りようとしていた。最も近い降り口はどこか目で追っている。
《わかったわかった。でも、今は覇金の本社まで近づいたほうがいい。いつ増援がやってくるか分からない》
 姉がため息をついた。
 子どもが無茶を言っているのを落ち着かせるような態度だ。幼い頃の母親そっくりな素振りだった。姫華はそれが気に入らない。
 「よし、よし」そこで姫華はひとつ思い立った。
「いいよ。原宿までなら行ってあげる」
《なんで急に……》
「目的地まで近いんだから文句ないでしょ。その代わり、あんたの金で心ゆくまでショッピングさせてもらう」
《私のお金で?》
「暗証番号くらい覚えてるでしょ? あたしはこんなボロ布のまま、ターミネーターと殺し合うの? 姉は妹思いだね」
 姫華はどうもやる気が起きないと思っていた。担当へ連絡が取れないこともある。それよりも服装だ。血まみれの病院着ではテンションが上がるわけがない。
《覇金を倒すのが最優先よ》
 姫華は鼻で笑う。
「違うね。派手に着飾って派手にボコすのが最優先なんだ。こんなざまじゃ、担当だって墓参りに来てくれない」
《私そんなこと言ってない》
「あたしが言った」
《……姫華ちゃん、昔から変わんないね》
 小さい頃の呼び方だ。
「ずっと会わなかったくせに。知った風に言わないで」
 姫華は無意識に棘のある声色になっていた。
《お互い知ろうとしなかったのは同じでしょう?》
 姉はなんの気無しに言う。
「は? 何その言い方……」
《本当のことじゃない。私もあなたのことを知ろうとしなかった》
 忘れていた記憶が蘇った。
「あんたさ。小さい頃、あたしのこと嫌いだったでしょ」
《何の話?》
「父さんも母さんも姉のことばっかり可愛がってたじゃん。テストであたしは100点なんか一度もとったことない。賢いねって母さんがケーキ買ってきてくれたのは姉だけだよ」
 姫華は覚えている。
 夜に目が覚めた時だ。トイレに向かおうとしたら、リビングの扉から明かりが漏れていた。扉の隙間から覗き込んだ。母と姉がいた。机の上にはショートケーキが一つ載っていた。
「母さんは内緒だよって言ってた」
《……そう》
「あたしに興味なんてなかったでしょ。当たり前だよね。あんたと違って馬鹿だし。ずっと下に見てたんでしょ」
《それは違う》
 姉の語調が強くなった。
 姫華はアクセルを握り、さらに加速する。耳元で風が騒いでも、姉の声が消えることはない。姫華は黙ったままだった。
《ねえ、聞いて》
 姉が会話を止めた。
《後ろから誰か来てる》
 背後でエンジンが、けたたましく唸った。バックミラーを姫華は見た。
 一瞬だけ追いかけてくるヘッドライトが映った。
 後ろから走ってきたバイクが、姫華と並走した。
 フルフェイスのヘルメットを被り、ライダースーツを着ている。真っ黒のバイザー越しから姫華は視線を感じた。
「よう」
 不思議な感覚だった。風が吹きつけていても声は明瞭に聞こえる。ヘルメットに遮られているのに、大声というわけではない。
《カラテチップに通信してる》
「今からボスが採用面接を始める」
 声色から男だと分かった。
 黒いバイザーが明滅すると、ホログラムが映った。
 胸を開けたスーツ姿の男が映っていた。白い縁の眼鏡をかけた色黒の顔がアップになる。オールバックにした髪は墨汁じみた黒さだ。顔の皺から推測する年齢と比べて髪はいやに黒かった。
《覇金恋一郎……!!》
 姉が声をあげた。
「よくぞマローダーのカンフーを切り抜けたな。さすがは如月博士の妹だ」
「あんたがカンフーロボの王様?」
 恋一郎が笑った。ホワイトニングされた歯が輝く。
「はっはっは。そんな大したものじゃない。……先に映像を見てもらおう」
 ノイズが走って画面が切り替わる。「覇者グループ」の文字が映し出された。
「これは……」
《覇金のプロモーションビデオよ》
 世界地図とあらゆる数字が出てきては消えていく。東京タワーとスカイツリー、高層ビル群がいっぱいに広がった。
 白地の明朝体で「年商30兆」の文字が大きく浮かび上がった。太くみっしりとしたフォントで言葉が続く。
「今のは……」
《『超人たれ』は覇金の企業理念よ》
 最後に、大きな拳が地球を包んだ。カメラが引いて恋一郎が笑みを浮かべている。
「いかがだったかな? 君を我が社に迎え入れたい」
「あたしはあんたの商品をぶっ壊した本人なんだけど」
 前方の車を避けながら、姫華は答えた。
「だからだよ、君。私は実力で採用したいのだ」
 ワックスで髪の毛がぎらついていた。整髪剤の匂いが画面越しからでもしそうだ。
「カラテチップが頭に埋まってる女が、一般社会で金になるのか? 覇金には君の居場所がある! 君も私と世界を手に入れるんだよ」
 野太い声が姫華の頭蓋に響く。画面内の覇金恋一郎は姫華を見た。
「見たところ……飯もろくに食えてないのだろう。若い女っていうのは自分に金かけてなんぼだ。せっかくの見た目なんだ。うちの年収で最高の女になればいい」
「……はぁ」
「ウチに来い。社会を見下ろすのは気持ちがいいぞ」
 この男は自分の中で世界が完結しているらしい。姫華はこのような手合いを何人も見てきた。無意識にため息が出ていた。
「……やだ」
「私と交渉か? 殊勝な心がけだ。報酬かな? それとも年休? 君の交渉力を採点──」
 恋一郎の言葉が止まった。目の前にいる少女の行動を目にしたからだ。
 姫華は中指を立てていた。
「お前から全てを奪えば丸ごと報酬になる」
「……ほう?」
「それに、あんたからはおぢの臭いがする」 
「な"っ」
 姫華の言葉に恋一郎が固まった。一分、いやそれ以上だったかもしれない。恋一郎は何も言わずにホログラムが消えた。
 男はヘルメットを脱ぎ捨てた。
「……交渉、決裂だな」
 ヘルメットの中から機械頭が現れた。
「やっぱりあんたもか」
「俺はHG-10、マクセンティウス。マローダーの撃破、この目で見たぞ。見事だった」
 マクセンティウスの頭は透明な弾丸のようだった。半球状の部分は透明なガラスで覆われており、内側の機械が透けていた。
「あんたもぶっ壊されたいの」
「いい心意気だな」
 懐から取り出したのは車輪の描かれたチップだった。
《運命の輪のカンフーチップ!》
 ガコン、プシュー……
 内部の機械が稼働する。金属の顎が嚥下するように動くと、圧縮された空気が吐き出された。
「いくぜ」
 姫華は頭を後ろに引いた。マクセンティウスの穿掌が空を裂く。
 姫華がマクセンティウスを見ると、目を見開いた。
 マクセンティウスはサーフィンをしているようだった。
 バイク上でしゃがんでいた。両手をハンドルから離してこちらを向いている。
「死ぬなよ」
 吹きつける風をものともしていない。シートに片手をつき、下段蹴りを放った。
「ぐ……」
 姫華はバイクを離すしかなかった。当たってしまえばたちまちバイクの姿勢が崩れて道路の挽肉となってしまう。
「バイクが自立してやがる」
《運命の輪が意味するのは、定められた運命。……おそらく奴のバイクはチップの力で倒れないようになっている》
 マクセンティウスのバイクは速度を上げ、姫華の前にくっついた。
「女。この道はお前の死で舗装されている!」
 マクセンティウスのガトリングじみた高速前蹴りが繰り出される。
 耳元を鉄塊が通過する。一度でも当たれば頭蓋骨が砕けてしまう。恐怖に身を固くしてしまえば終わりだ。前蹴りを姫華は片手で捌き続ける。その間も、マクセンティウスから目を離さなかった。
「チィッ! これヤバいよ。どうすんの!」
《今考えてる》
 マクセンティウスの蹴りがヘッドライトを破壊した。数メートル先まで照らしていた光が消える。橙色のナトリウムランプだけが行き先を示すのみだった。
「高速なんだぞ。わきまえろよ……!」
「鳥が飛んで何が悪いのか。こんなに気持ちよく自分の力を使えるのは久しぶりなんだぜ」
 姫華とマクセンティウスは、二車線を縦横無尽に走る。姫華がスピードを上げれば、マクセンティウスは背後から蹴り技を放つ。
 姫華は防戦一方だった。
「このままやられるタマじゃないのは知っている。そら!」
 乱打を捌いていると、攻撃が止んだ。
《前っ!》
 突然、前方にトラックのテールランプが迫る。背筋が冷たくなった。思いっきりハンドルを傾ける。トラックの荷台が右膝に擦れそうになる。
「あいつの思うままだ……!」
 ETC車誘導の道路標識が過ぎて行く。
《もうすぐ、八王子料金所》
「だから!?」
《出し抜くならそこしかない》
「できるの」
《……多分》
「言い切ってよ」
 マクセンティウスはその間も縦横無尽に道路を走っていた。バイクというより、熟練のサーファーじみた動きだ。二車線を滑るように移動していた。
《動きに惑わされないで》
 八王子、昭島への出口を通り過ぎた。
《料金所に近づけば周りにも車が多い。奴の動きは確実に鈍る》
「多分、奴も同じことを思ってる」
 姉が薄く笑った。先生ができの良い生徒に向ける笑みを思い出した。
《だから、止めを刺しにくる》
 第二出口を通り過ぎた。
 標識には「本線料金所600m」とあった。周りの車の速度が遅くなってきていた。
 前方にいるマクセンティウスは、依然速度を落とさない。
 姫華も同様だった。
「俺たちは似ているのかもしれないな」
「どうだか」
 姫華はさらに速度を上げる。マクセンティウスとの距離が縮まる。容赦ない蹴りが姫華の頭上を通過した。
「死ぬ気だな」
 ETCの紫色の光が近づいてくる。テールランプの群れに突き進んだ。車をかき分けて行く。
 ETCバーが目の前に迫ってきた。
「あんたは生身なんだぜ。死ぬのが怖くないのか」
 マクセンティウスがスピードを緩めた。並走しようとしているのだ。
「怖がるのは飽きたんだよ」
 機械頭を横に振った。呆れているようだ。
「ならばお前の死に時だ」
 バイクの鼻先が並んだ。ETCバーを通過する瞬間だった。マクセンティウスが姫華に振り向いた。必殺の穿掌を姫華に放つ。
「ぬっ!」
 突如としてマクセンティウスの視界に黒い影が躍り出た。反撃に出たか。咄嗟にはたき落とすが、違和感があった。拳にしては軽すぎる手応えだった。はたき落とした物を見て、マクセンティウスは呻いた。
「しまった……!」
 姫華はバイク用ETCを投げつけていたのだ。
 マクセンティウスが取り返すには大きすぎる隙だった。
「狙いはこっちだよ!」
 姫華の蹴りが、マクセンティウスのバイクの後側面を打った。姿勢が崩れ、大きく道から外れた。
 姫華がETCを突き抜ける瞬間、マクセンティウスが一時停車する車にぶつかった。
 背後で派手な衝突音がした。遅れて爆発音が空気をビリビリと震わせる。一拍置いて背中が熱くなった。バックミラーには夜闇の中、赤い炎が燃えていた。
「姉はノーベル賞が取れるよ」
 ETCを投げつけるのは姉のアイデアだった。マクセンティウスは自分のバイク操作に圧倒的な自信を持っていた。だから、姫華の一撃が強く効いた。
 背後から強い殺気が迫ってくる。
 姫華は本能的に頭を下げていた。
ぐぅおおおん……
 黒い塊が姫華の頭上を飛んだ。姫華は息を呑んだ。機械頭の姿はない。
 目の前に現れたのは無人のバイクだった。
《……嘘でしょ》
「何」
《ミラーを見て》
 姫華は唖然とした。夜と炎しか映っていなかったバックミラーには、幾つものヘッドライトが、ぎらついている。
「何あれ……」
 ミラーを凝視する。ヘッドライトを受ける人影があった。逆光だ。姫華は目を凝らす。
 間をおかずに人影が近づいてくる。手本のようなランニングフォームで何かがやってくる。
「マクセンティウス!?」

【続く】

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