見出し画像

地雷拳(ロングバージョン22)

承前

 とにかく腹が減っていた。これまでにない飢餓感が姫華を突き動かしていた。
 遊園地の一件の後から何も食べていなかった。まず服を一式新調した。ネイルサロンにも行った。そして、やりたかったブリーチもした。
 完璧な自分になったら時刻は夜だった。ファミレスにつくなり、姫華はメニューを注文した。
 明日の晩までにできる準備をしておくつもりだった。消耗しつくした体を回復させるためには胃を満たすことが必要だ。
 配膳ロボットが、向かいの家族連れに向かった後、こちらにやってくる。運んできたのは、季節の丸ごとメロンパフェだ。姫華はパフェをテーブルに置き、すかさず三日月形のメロンにかじりついた。
 姫華のテーブルにはステーキの鉄板5枚、家族用サラダボウル4個がすでに空いていた。パフェは今で5杯目だ。爆発的な代謝は姫華を底なしの胃袋に変えていた。
「こんなに食べられるようになってるなら色々食べとけばよかった。もっと早く教えてよ」
《怒涛の日々だったからね》
 姫華はグラスをさかさまにしてパフェを流し込む。溶けたバニラアイスで柔らかくなったコーンフレークを咀嚼する。
「......ところでニンジャチップってなに?」
《それを知るには、カンフーチップとカラテチップの構造を知っておくべき。二つは似て非なるものなの》
「どっちも力を得るなら、同じなんじゃ?」
《その点ではね。でも、対象がちがう。そもそも、カラテチップは人体に向けて出来ているの》
 姉は姫華の手を動かして、紙ナプキンにさらさらと計算式を書いた。奇妙な図形と記号が乱れ飛んだ。
《詳しく言うならこう》
「いやいやいやいや」
《つまり、カラテチップは内的な力を増幅させるけど、カンフーチップは外からの情報で力を増幅させるってこと》
「筋力をつけて殴るのと、武器でもって殴るの違いみたいな?」
《似たようなものだね。カンフーチップは一時的に超人的な力を手に入れられる。でも、カラテチップは対象を内部から書き換えることで、身体能力を高められる。爆発力なら前者、成長力なら後者が上》
「カンフーチップの使い手がロボなのも情報の洪水に耐えられるからか」
 姫華は空想の姉に向けてパフェのスプーンを差し出した。
 姉は肯定して続けた。
《だけど、Club Skyで船越呂円はカンフーチップを使っていた。すでにカンフーチップを人体で使う方法を編み出しているんでしょう》
「それは恋一郎の言っていたニンジャチップが関係している?」
《......間違いないでしょうね。ニンジャチップはカラテチップとカンフーチップの融合で完成する。内と外の力を同時に引き上げれば、最強の戦士になれる》
「じゃあ、あいつが手に入れたらヤバいんじゃ」
《世界の企業番付は一夜で変わる。覇金恋一郎が一強の時代……ワールド・カンフー・ニュー・エラがやってくる》
 姫華は烏龍茶を飲み干す。
「とにかくヤバいのは分かった。でも、あんな大企業なら、すぐに完成させそうだけど」
《……ニンジャチップは理論上の話。作ればどちらかの力が上回り、必ず失敗する。実際は、カンフーチップとカラテチップの微妙なバランスを調整するのに10年はかかる》
「祈るしかないね」
 姫華は目を閉じ、背もたれに寄りかかった。
 脳裏によぎるのは覇金恋一郎だ。あの一瞬、拳を交わしただけでも、美空に並ぶ猛者だと分かった。単なる腕力とタフネスでも他を寄せつけない。どう倒すか、何度も考えてしまう。いまだに勝ち目は見当たらない。恋一郎がチップを完成させてさらに強くなったら……。
「あの」
 聴き慣れない声に姫華は目を開く。
 いつのまにか向かいの席にいた少女が姫華のテーブルの近くにやってきた。歳は7歳くらいか。少女の背後には妹が隠れていた。
「なんで笑ってるんですか?」
「あー……」
 自分の顔が勝手にへらへらしていたのに気がついた。
《すぐ顔に出るんだから》
 姉の野次を無視して、尋ねてきた少女に言った。
「そりゃ……、いいことがあったからね」
「いいこと?」
 姫華は立ち上がった。
「お気に入りのスカートを見つけられたり、鏡に映った今日のメイク最高って自分を少し許せたりしたってこと」
 きっと全然伝わっていない。それでも、姫華の口から言葉が流れ出た。
「1ミリでも自分を許せたなら、それは最高の日なんだよ。あんたにもある?」
 少女はぽかんと口をあけていたが、すぐに笑みを浮かべた。
「わかんない」
「あんたはどう?」
 少女の後ろに隠れていた妹は、首を振った。姉を慕っているのだろう。妹は少女のワンピースの裾をぎゅっと掴んでいた。およそ普段目にすることのない姫華の格好を見て警戒しているのだろう。
 自分たちにはついぞ訪れなかった景色だった。
「あげるよ」
 そう言って姫華は首にかけていたネックレスを妹の手のひらに置いた。シルバーの惑星がきらりと光った。
 妹は意図を測りかねるように、姫華を見返した。
「たくさん良いことが起こるお守り。いい子にしてな」
 でなきゃ、あたしみたいになるよ、とは言わないようにした。
 代わりに姫華は、妹の頭をわしわしと撫でて店を後にした。
《姫華ちゃんみたいになることはないでしょ》
「うるさいな」
《あの子は妹の頭撃たなそうだし》
「姉は気づかないかもだけど、撃つのは姉くらいなんだよ」 
 姫華は笑った。
《......もう怒ってないの?》
「こうして話して暇にならないのは結構楽しいよ。もしかして......、こうしたかったから?」
 姫華は覇金に弓を引く以外にも理由があるように思えた。どうしてか姉がうつむいているのが想像できた。
《......話したかったから》
「え?」
《姫華ちゃんともう一度話したかったから》
「ハハッ、不器用すぎでしょ」
 自分が想像している姉はもっと完璧に見えていた。それが今では少しだけ手が届く存在になったように思えた。
《......引いた?》
「いいや」
 姉が胸をなでおろしたようにため息をついた。
「普通にキモいとは思うけど」
《もう!》
 また姫華の笑い声が夜のビル街に響いた。目の前には月を背負った覇金のビルがそびえたっていた。

 覇金の修練所は異様な空気に包まれていた。
 部屋には瘤川教授、そして残されたカンフーロボたちが顔を突き合わせている。
 死のカンフーチップ使いが倒されたことは、ハガネシリーズの作者である瘤川教授にとって衝撃だった。そして、逸脱者の処刑者がいなくなったことは、カンフーロボたちにとっても少なからず影響があった。
 下剋上。
 表立って言わないが、覇金恋一郎の野心を持ったハガネシリーズは、瘤川教授への忠誠心は氷が溶けていくように変形していた。
「ビルの警備は整ったか」
 瘤川教授は、警備担当のカンフーロボ、アンフィスに尋ねた。スーツ姿のアンフィスは二つの頭がひとつの身体に乗っている。
「表門、裏口、屋上に至るまで兵士を配置いたしました。さらに製薬部門から阿僧祇MkⅡを10体手配しました」
 右の頭が恭しく答えた。
「建物の設計図は見たか。覇金ビルの地下は配管も入り組んでいるぞ」
「ヒヒ、安心してくだせぇ。防衛部門より電磁タレット、空中機雷を用意させやした」
 アンフィスの左頭が不遜に答えた。
「ところで……。室長はどこにいるんです?」
「お前の知ったところではない」
 アンフィスの質問を、瘤川は退けた。
「こんな時にいないようじゃあ……困りますなぁ?」
 そう言ってアンフィスの左頭は笑った。瘤川教授もまた笑った。
「ハハハ」
 瘤川教授の地面につきそうな程伸びた袖が波打った。
 一瞬の出来事だった。
 袖は鋭い斬撃となって、アンフィスの両頭を寸断した。
 ハガネシリーズの間に緊張が走った。
「そのような口ぶりでは、情報漏洩も危惧せねばならん。警備担当は私が引き継ぐ。お前たち異論はないな」
 瘤川教授はハガネシリーズたちを見た。
「お前たちが寝首を掻こうとしているのは分かっている。恋一郎殿は言わぬがな、今は我が社にとって最大の危機である。この危機を乗り越えてから、いくらでも私のポストを狙うがいい。いつでも相手してやる。散れ!」
 瘤川教授が鋭く言い放つ。ハガネシリーズたちが持ち場に戻ろうとした時だった。
 ビルの警報装置が鳴った。遅れてビル全体が揺れた。
「しょっ......正面玄関が突破されました!」
 緊急放送が流れた。
 ついに来たか。瘤川教授は目を見開いた。だが、次に続く放送に耳を疑った。
「大量のホストが攻めてきましたッ!」
「何!?」
 衝撃の波状攻撃は続く。
「アアアアアア!!!!」
 カンフーロボのノイズ交じりの声が修練室に響き渡った。
 瘤川教授は目を疑った。カンフーロボの背後の空間が歪み、裂けていた。鉄の身体からネイルのついた拳が突き出ている。
 瘤川教授には見覚えがあった。あの空間の歪みは、ポモドーロが処刑場所に素早く移動できるように瘤川教授が作ったポータルだ。ポモドーロが死んだ今、持っている者は奴以外にいなかった。
 白い髪は幽鬼を思わせる。黒いフリルと十字架のシルバーアクセサリーは死を冒涜している。カンフーロボの眼光が消える。色素の薄いアッシュブルーの瞳がこちらをのぞき込んでいた。
「如月姫華......!」
「お久しぶり」
 忌まわしい覇金の仇敵。その声には在りし日の如月博士の面影を覚えた。それも一瞬に過ぎない。今は瘤川教授には地獄から現れた使者に他ならないのだ。機械頭が危険な光を帯びた。

【続く】


いいなと思ったら応援しよう!

電楽サロン
ここに送られたお金は全て電楽のビスコ代として利用させていただきます。