ヴィジル〈2〉
冷たい空気が辺りにたちこめていた。日差しが差し込む。優しい光だった。レンは窓辺で椅子に座っていた。
紅葉が窓から見える。葉は街道に落ち、赤と黄色で彩っている。
またこの景色だ。幼少期から見慣れたこの景色を夢で見た。
レンは秋が嫌いだった。木枯らしの吹く街は嫌でも孤独を強める。室内を見回す。白を基調としたシンプルな家具たちは動かない。
父親も母親もいない部屋はがらんとしていた。無音はもういらなかった。
「レン」
ふと、声がした。背後から呼びかけられる。レンが振り返ると、室内の装飾が消えてなくなった。
「レン」
柔らかな声だった。レンの意識が呼び戻される。
騒音が身体を揺さぶった。けたたましい電子音楽が耳を打つ。金属の擦れるようなスネアが脳の血流を早める。
視界が暗い。照明が赤く照らされており、左眼が見えなくなっていた。レンは仰向けに倒れていた。頭上には牢が吊るされている。牢には人がいる。興味深そうにレンを見下ろしていた。
これも夢だろうか。
レンがそう思っていると、見知った顔が浮かんだ。ウルフカットの女。ひなだった。
「起きて」
彼女の言葉がおわらない内に、内臓に衝撃を受ける。
腹を踏まれていた。レンは痛みに顔を顰める。腹を踏む足は異形だった。鱗に覆われ、鋭い爪を三本生やしている。レンが足を退けさせようとするが、重機に踏みつけられているように動かない。
「よこせ……」
レンを踏みつける獣が言った。黄色い目玉が三つ輝いている。爬虫類を思わせる滑らかな黄緑色の肌は鱗に包まれている。
足に力が入る。爪が腹筋を引き裂こうとする。
「臭うぞ。お前の中に虫がいる。俺は薬屋だから分かるんだ」
目玉が半回転してレンを見下ろす。
みぢみぢと耳障りな音がした。腹に焼けた刃物を押しつけているようだった。内臓が裏返りそうな感覚がする。
「私とエッチするんでしょ?」
ひなの声がする。レンは彼女との情事を想像した。辿り着けなかった夢は、美化され、理想化されていた。
下腹部が熱くなる。レンは右拳で押さえつけていた脚を掴む。立ち上がるのと同時に、無造作に投げた。爬虫類の魔物は地面をバウンドし、対面のフェンスに激突した。
歓声が上がる。その時初めてレンは観客がいることに気づいた。
「やるね」
レンの背後にある牢で、ひなは笑った。
「ひなさん。怪我は……」
ひなが後ろを指さす。
後頭部に衝撃を受ける。魔物が首をひねる。手には黄ばんだ巨大な骨を持っていた。
「殺して! ユラ!」
爬虫類の背後の牢で、女が叫んだ。
ユラと呼ばれた爬虫類は骨を振り下ろす。レンの肩を打つ。
「君と私で大金持ちになるって言ったでしょう? これはそのための殺し合い。ヴィジルは裏垢男子に殺し合わせる闘技場だよ」
振り下ろされる骨を避けながら、ひなの言葉を聞いた。
「生き残るためには」
「私が欲しいんでしょ?」
レンは朧げに勘づいた。ひなへの欲を滾らせる。それがレンの破壊衝動の源になっている。
「欲しければ」
「殺して奪う」
ひなの言葉を引き取る。レンは骨の横なぎを腕で受け止め、爬虫類の顔面を掴む。力を入れると手の中で頭蓋が軋むのがわかった。
「ぬっ……」
骨を持つ方とは逆の手が、レンの傷ついた腹にめり込む。傷口を広げ、内側を抉ろうとする。
レンの力が緩んだところで、魔物は一歩退いた。レンの腹から血が滴る。
「これだよこれぇ。虫だ」
血塗れの魔物の指に、ヒルのような生き物が身をくねらせていた。
【続く】
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