リナ──赤い幻視── #パルプアドベントカレンダー2021
二度目に会った彼女はどう見てもサンタだった。
18時に渋谷駅で待ち合わせをしていた。俺はバイトで10分遅れてハチ公前に着いた。
〈すみません、今着きました。どこにいます?〉
マッチングアプリを開いて〈りな〉の名前をタップし、メッセージを送る。
〈緑の電車の近くです! ここらへん!〉
返信とともに、写真が送られてきた。インカメで撮った写真には、木を背景に絵本で見たままの恰幅のよいサンタが見切れていた。
目印になりそうな人の横に座ったのか。俺はその程度にしか思わなかった。そのサンタが俺に駆け寄ってくるまでは。
「バイトおつかれ〜」
可愛げのある高めの声をサンタが発する。サンタは明らかにサンタの格好をしており、白髭をたくわえ銀縁の眼鏡をかけている。腹は樽のようで、赤い服の生地が張り出している。鼻は高く頬が少し赤い。そのまま北欧映画や炭酸飲料のコマーシャルに出演できそうだった。
「とりあえず夕飯食べませんか」
面と向かってリナじゃないだろとは言えず、俺は何事もなかったようにサンタを誘った。
「じゃあ、リナが前から行きたいとこでもいいですか?」
彼女が先導するように前方を歩きはじめた。スクランブル交差点をサンタが歩いている。季節は12月の中頃。通行人の黒い冬服の間を赤色がてくてくと器用にすり抜ける。不思議な光景だった。
リナに初めて会ったのは二週間前だった。それまでアプリで連絡を取っていたから緊張しないと思っていたけれど、関係なかった。俺の前に現れたのは切りそろえられたストレートの黒髪に、ノーカラーのコートを着こなす彼女だった。アプリでは彼女が撮った猫や小物の写真がアイコンだったため、驚きは大きかった。
陶器のような色白の彼女が待ち合わせていた俺に笑いかけたのを思い出す。チークがアクセントになって笑顔の魅力は何倍にもなっていた。
「リョーヘーさん?」
レストランの机越しにサンタが心配そうに首をかしげている。
店内の間接照明が落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
「考え事ですか?」
「ごめん、バイトのこと」
「もう。リナと会う時くらい忘れていいのに。またあの先輩ですか?」
先輩とはバイト先の店員のことだ。彼はギャンブル癖さえなければ悪い人ではなかった。だが、最近は俺に金をせびる回数が増えていた。
「2000円だけ貸しちゃって……」
「ダメですよ! あの手の輩は図に乗らせるだけです!」
「飯もろくに食えてなさそうだったんで」
「ダメですダメダメ。リナも煮湯を飲まされたんだから」
「煮湯って」
俺は彼女の言い回しに笑った。彼女は文面でもたまに古くさい表現を使っていた。それがなんとも可愛らしかった。
「いいじゃないですか、もう」
サンタは少し頬を膨らませる。
改めて見直すと元の彼女よりも肩幅はがっちりとしており、店内の薄暗さも相まって存在感が異様にある。
だが、他の客はサンタに気づいていないようだ。注文をとった店員も眉一つ動かさなかった。
「ところで」
リナが少しだけ白い髭の口角を上げ、笑った。
「リョーヘーさん、私のこと視えてるんでしょ」
「えっ」
「リナじゃなくてサンタがいるんじゃないですか?」
俺は無言でうなずく。
「やっぱり」
ふぅ、と彼女は息をつく。あっけなくリナはサンタ姿について暴露した。
「なんでそんなことに」
「う〜ん。私もよく分からないんですけど、サンタ因子が発現したみたいなんです」
「はぁ」
「クマノミって魚知ってます? あれって条件によって性別が変化しちゃうんですよ」
「つまり、ある条件が揃ってしまってリナさんもサンタに……?」
「そうみたいです」
彼女は髭を揺らして笑った。それからシャンパンのグラスを少し傾ける。この変化を電車を乗り過ごしてしまった程度にしか受け取っていないようだった。
「因子が発現して分かったんです。サンタってそもそも人目につかないものなんです。リョーヘーさんも周りを見て分かったでしょ? サンタが歩いててもみんな知らんぷり。煙突を登って気づかれないのもサンタが生粋のステルス性能があるからなんです」
分かったような分からないような答えだった。
「だったら俺が視えるのは」
「特異体質としか言いようがないですね……」
リナはとても可愛らしかった。まつ毛の長い目元に、細くしなやかな指。抱きすくめれば壊れてしまいそうな姿は口調とのギャップでより愛おしく感じていた。
今日もまた会えることになった時は部屋で飛び跳ねるほど喜んだ。特異体質。俺の狂喜は四文字の前にあっけなく砕け散った。
リナの元の姿を見たい。俺は元のリナを見る方法があるのか訊きたかった。だが、訊いてしまえば彼女の今を否定し、外面だけしか見ていないのを認めてしまう気がした。
「……今日は、お開きにします?」
顔色を見たのか、彼女が尋ねる。
「いや……、まだ。もう、少し見定めさせて、くれませんか」
俺の言葉はバカみたいにたどたどしかった。
彼女は「見定めるって」と吹き出した。
「俺はまだリナさんのことを何にも知らないです。家のネコが可愛いのはチャットで何度も見たけど……本当にそれぐらい。だから、もう少し一緒にいたい。俺がリナさんのどこに惹かれたのか確かめたい」
リナは伏し目がちにグラスを傾けた。彼女が何を思ったのかは分からなかった。
「これ飲んだら、ちょっと出ません?」
耳を裂くような風の音がする。肌に当たる風は地上のそれとは比べ物にならない。一秒ずつ体温が逃げていくような感覚がした。
俺とリナは渋谷スクランブル交差点を見下ろす46階建てビルの屋上、渋谷スカイに来ていた。
「さむ……」
サンタは息を手に当ててぷるぷると震えていた。
渋谷スカイに来たのは初めてだった。存在自体は知っていたが、一人で見る場所でもないような気がして来たことがなかった。彼女はよく一人で来るらしい。どうしてか訊くと、「一番うるさい場所に一番静かな場所があるって面白くないですか?」と言った。リナらしい答えだった。彼女は「大学の子を全員物理的に見下せますし」とも付け加えた。
「さーむさむさむ……」
「いつも来るんじゃないんですか」
「あんま夜って来たことなかったから。こんなに寒いなんて……うう〜」
俺たちはヘリポートを横切り、夜景を見ようとする。外を隔てる柵は透明だった。うっかり転落しそうで足元がふらつく。
白や橙の光が地平線を作り出している。東京は思ったより広かった。
柵につかまり、下界を見おろす。スクランブル交差点がミニチュアサイズだった。極小の点たちが忙しなく横断歩道を滑っていく。
「あ」
その時、俺は異変に気がついた。ミニチュアを滑る点の中に赤いものが混ざっている。数は少ないが確かにいた。
「あれとあれ……あれもサンタです」
リナが横で言った。
「いくらなんでも多すぎませんか」
「東京は人が多いんだもん。仕方ないですよ」
サンタたちは交差点を渡り、別方向に散っていく。
「……これを見せに?」
「まあ、そうですね。リョーヘーさんが考えるほど大きい変化じゃないって知ってほしかったからかな……はは」
隣のサンタは少し困ったように笑った。因子で変化するのに彼女自身が納得できたのと、他人に受け入れてもらえるかは別なのかもしれない。
俺は彼女の手を握る。節くれだった指の先が冷たい。そのまま自分のコートのポケットに彼女の手をもぐり込ませた。
「……嫌でした?」
「……ううん」
ポケットの中で彼女は手を握り返してきた。自分の耳と頬が熱くなるのを感じる。
俺たちはしばらくスクランブル交差点を見つめていた。何度も信号が赤と青を繰り返す。星が流れるように動く車のヘッドライト。一秒たりとも同じ姿をとどめない。それは今のリナととても似ているように感じた。
ポケットの彼女の手はいつのまにか俺の体温と混ざり合っていた。
それから一週間がたった。
俺は机に向かい、レポートを仕上げにかかる。ディスプレイの時計を見ると〈4:13 12月23日(木)〉とあった。明後日が提出期限の表象文化論のレポートに手をつけたはいいが、キリよく終わらせられずにいた。
バイト先では変化があった。先輩が急にシフトに入らなくなった。金欠でカツカツの彼が週一すら入らないため少し心配だった。
リナとはあの後も頻繁に連絡を取り合っていたが、数日前から連絡が取れなくなっていた。
大きな波が起こる前、潮の異常な引きめいたものを感じた。俺はコーヒーを淹れなおし再びレポートに向かう。
すると、外から物音がした。窓にこつん、と固いものが当たる音がする。
はじめは風で小枝が当たっているのかと思った。集中していると何度も固い音が割り込んでくる。音は規則的にこつこつと続き、諦めて俺はカーテンを開けた。
アパートには樫の木が植えられている。木の高さはアパートの3階に届きそうなほどあり、夏は2階の俺の部屋にちょうどいい日陰をつくってくれた。その木の幹につかまるサンタがいた。こちらにひらひらと手を振っている。
窓を開けると、冷たい風が流れこんだ。
「リナさん……」
「さむいですね。入っても?」
リナはベランダの柵に飛び移り、よじ登った。俺はとりあえず別のマグカップを用意する。
「紅茶とコーヒーがありますけど」
「じゃあ紅茶で!」
俺はティーパックをマグカップに落とし、湯を注ぐ。
「家、よく分かりましたね」
「サンタですから。それくらいはね」
「すごいな……。なんでも出来るんだ」
「嘘。前に家どこらへんですか〜ってチャットで訊きましたよ。そしたらリョーヘーさん高円寺近くって言ってました」
そう言ってリナは笑った。他愛ないやり取りの一つだと思っていたものをリナが覚えていてくれたのが嬉しかった。
「ところで、こんな時間に何しに」
俺はベッドに腰掛けるリナに紅茶を渡して言った。
「リョーヘーさん、トナカイやりませんか?」
「え」
彼女が言うには明後日25日にプレゼントを配るために相棒が必要なのだそうだ。別にソリは引きずらなくてもいいらしい。
「どのくらい配るんです?」
「三万世帯、かな」
「多くないですか?」
「これでも少ない方なんですよ」
彼女は白い髭を揺らしてまた笑った。彼女は本当によく笑う人だった。
「……だめですかね」
俺はリナの目を見て首を振った。
「行けます、やりましょう」
突拍子もない申し出だったが断るつもりはなかった。彼女が愛おしかった。彼女と歩いた渋谷の景色、手の温かさがサンタ姿に閉じ込められているようだった。
「よかった」
マグカップの残りをぐっと飲み干すと、リナが窓を開けた。
樫の木の上を見上げる。いつの間にか二人乗りの赤いソリが夜空に浮いていた。リナが木に飛び移ると、わしわしと登る。俺は慌ててついて行く。木の幹は外気で冷たくなっており、素足のつま先から熱が逃げていった。
ソリの上から差し伸ばしたリナの手をとり、よじ登る。俺が乗ったことでソリが少しだけ沈む。なんの支えもなく自宅前で浮遊しているのに驚きよりも不安を感じた。
「それじゃあ。行きますよ」
「ちなみにどこへ?」
「千葉の倉庫です。プレゼントの品定めと洒落込みましょう!」
サンタ因子を持った配達員が黙々とプレゼントを積んでいるのを想像した。
俺はリナから渡されたネックウォーマーと耳当てを着ける。音もなくソリの高度が上がった。
アパートの窓を閉め忘れた、と気づいた時には空の方が近くなっていた。アパートは無数の下界の灯りに埋もれていた。
「よーう!」
風にまぎれて聞き慣れた声がした。
後ろを振り返るとソリに乗ったサンタがいた。横には女の人を乗せている。知らないサンタだが、声はたしかに聞き覚えがある。
「おい、リョーヘー! 俺だよ!」
「……先輩?」
「これやるよ!」
先輩がソリからこちらに投げてきた。手を開くときらきらと輝く金があった。
「パチンコでぶち当てちまったわ!」
「流石に悪いですよ!」
「サンタはプレあげてナンボだろ、もらってけや!」
ひとしきり笑うと先輩は陽気に酒を呷った。赤ら顔のサンタはご機嫌に俺たちのソリを抜いていった。
「リョーヘーさん、いいなぁ〜!」
リナが横で眉を八の字にしている。
「リナさんも金とか好きなんですか」
「そりゃね。海賊とか山賊みたいでカッコいいし」
「リナさんらしいね」
ソリが夜空を滑っていく。俺は後ろを振り返る。他にもサンタが続いてくる。赤いソリがだんだんと数を増してきた。都内担当のサンタたちが続々と倉庫に駆けつけていく。
「リナたちも行きましょう!!」
そう言ってソリを速める。目には風除けのゴーグルを着けており、飛ばす準備ができていた。
俺はネックウォーマーを目元まで上げた。風圧の強さに目を細める。
不意に可笑しさがこみあげた。
マッチングアプリから始まって、上空でソリで爆走しているのがたまらなく可笑しかった。俺はリナに聞こえるくらい笑った。リナが俺を見て同じくらい笑いだす。
笑い声を街に振りまきながらソリは駆け抜ける。
彼女のトナカイとして仕事ができるか分からない。それでも、いま彼女とプレゼントを配りまわれるというだけで俺の心臓は高鳴っていた。
【了】
こんにちは。電楽サロンです。
こちらは桃之字さんの『パルプアドベントカレンダー2021』に寄せて書きました。
明日はディッグ・Aさんの『マウント・オブ・デコレーション』です。お楽しみに!
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