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「生贄にならないあなたへ」第六話

前回

 木戸の父母が死んだのは5歳の頃だった。
 どこかの他流派との闘いに敗れたのだという。玄昌は言葉少なく木戸の問いに応じた。
 次の日、玄昌は早朝から家を出た。外が暗くなっても玄昌は帰ってこなかった。両親のように消えたのではないか。そう思いかけた時、玄昌が帰ってきた。木戸は玄昌の姿を見て息を呑んだ。
──玄爺、血だらけだ
──敵の血なり。手当は無用
 玄昌は一人で街の道場を巡り、皆殺しにしてきた。木戸家の敗北は、己の敗北でもあると考えたのだろう。それ以降、この街に道場が建つことはなかった。
 強くなければ木戸の家に居場所はない。玄昌の言葉を朧げに思い出す。
 記憶は飛ぶ。思い出すのは寒風が吹き荒ぶ山の中だ。玄昌の苛烈な修行の中、六指獄を覚えた。
 そこで、木戸は我に返った。
「ふぅうううっ」
 倒れた塚本を前に、玄昌が構える。
 試合まで一週間を切っていた。氷川に告白しては断られ、稽古に向かう生活が続いていた。
 告白をした日の指強しごうは、さらに気合が入った。
 塚本は失神する中で、確実に玄昌の身のこなしを習得し始めていた。幾度目かの失神の後、塚本が再び構えた。
 玄昌と塚本が向かい合う。鏡像を思わせるほど、二人の構えは同じだった。
「じゃっ」
 塚本は腰を捻り、右の三本貫手をくり出す。玄昌に先制をとる胆力を、塚本は手に入れていた。貫手の型も申し分ない。霧島の手下なら今なら難なく倒せるだろう。驚異的な成長に木戸は頷いた。
──素晴らしい
 三本貫手をゆるりと玄昌が払う。
 すぐさま逆の貫手が玄昌の首筋を狙う。
──だが、
「しゃっ」
 玄昌は短く息を吐く。首筋に到達する前に、カウンターの三本貫手が塚本の右脇腹を抉っていた。
「ごは……」
 塚本の喉の奥から声が絞りでた。膝を突き、荒い呼吸を繰り返していた。塚本が立とうとするが立てない。意識に反して、脚は痙攣していた。すでに何度も失神している塚本に体力が残されていないのは誰の目から見ても明らかだった。
「立たせい」
 無感情な声で玄昌が命じる。
 これ以上、やらせれば試合はおろか命すら危うい。木戸は応じなかった。
「立たせい」
 玄昌の声は変わらない。
 木戸は玄昌の前に正座し、頭を下げた。
「今日はおしまいにした方が良いかと……」
 これまで、木戸が玄昌に意見を申し立てることは一切なかった。しかし、今、塚本を守るために咄嗟に頭を下げていた。
「これ以上は、がっ……!」
 木戸の頭に体重がのしかかる。頸椎が悲鳴をあげた。
 木戸の頭を玄昌が踏みつけていた。枯れ木のような足に見合わぬ力が木戸を押さえつけた。
「木戸流に一切の迷いなし」
 玄昌の声は冷たかった。孫が見せた弱さを断じる響きがあった。
 骨の奥から軋む音がした。関節のひとつひとつが剥がれるような感覚がする。長く苦しむように玄昌はゆっくりと力をかけていた。
「先生」
 岩塊で潰されるような痛みの中で、塚本の声がした。
「お願いします」
 圧力が消えた。
 塚本が構えなおしていた。三本貫手を前方に出した木戸流独特の構え。塚本は自分の体格に合わせ、少し重心を下げている。
「……」
 玄昌もまた、沈黙しながら構えた。
 稽古が再開した。二人の間に闘気が流れ込む。
 木戸はその場をどいた。一瞬だったが、玄昌の顔が和らいだ。その表情を木戸は知っている。弟子の成長を喜ぶそれだ。木戸が初めて六指獄の構えを覚えた時に見せた顔だった。
 それは、もう何年も見ていない表情だった。

続く↓

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