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いつつの本気をあわせて(シンケンジャー感想文)

 おはようございます。11月半ばくらいからアマプラで見てた『侍戦隊シンケンジャー』を完走しました。見終わって思ったことを書き連ねていきますよ。
 面白かったです。全部で49話もあるので映画やアニメと違う成長過程を見つめる面白さがあるように思いました。文句ばっか垂れてたやつとか誰にも言えない孤独を背負ってきたやつが、最後に侍として五つの本気を合わせて、最強の敵にぶつかっていく姿は心が揺さぶられました。

 しかも、毎度キャラの掘り下げをするからシンケンジャーの一番好きなのは…って言うのが無いんですよね。みんな好き。
 あと、丈瑠の真実は一年通して放送してきたからこそズシンとくる。流ノ介ら家臣にとっての殿は丈瑠しかいないのと同様、これまで見届けて来た俺たち視聴者にも丈瑠しか殿はいない。もう他人事ではない。この辺の構成がめちゃくちゃ凄いなぁと思いました。正月から爆弾ぶつけすぎでしょ。

 シンケンジャーには長年戦い続けてきた「外道衆」と呼ばれる敵がいる。根城の三途の川をこの世に溢れさせるため、毎週あの手この手で人を苦しませるド外道どもだ。この外道衆の幹部たちは皆、何かに執着している。シタリの生への執着。アクマロの野望への執着。ドウコクの太夫への執着。太夫の愛した人への執着。
 そして十臓の戦いへの執着。
 十臓は、命がけの斬り合いだけが最高の快楽で、そのために妻も手にかけて外道に堕ちた男。その人でもアヤカシでもない男が、一番外道に堕ちている。好敵手とさえ戦えればそれでいい。だからかつて愛した家族で造られた刀であっても、切れ味が良いなら200年振い続ける。
 正義でも悪でも己の価値観を貫くやつはカッコイイ。てっきりアクマロの策にハマってしまうと思ってたのに、刀が直ったら即斬殺で十臓の恐ろしさを思い知らされた。あのシーンは、シンケンジャーの人側、アクマロのアヤカシ側が十臓の意図を理解できない中、薄皮太夫だけが理解しているのが最高でした。
 薄皮太夫とドウコクの関係も大好き。薄皮太夫がついに未練の象徴である三味線を捨てたとき、ドウコクがしっかりと太夫を抱きしめるとこ!!ノワール映画の最後みたいじゃないですか。救いようのない悪人の歪んだ愛の形だ。

 こんな感じでシンケンジャーはかなり楽しめました。特撮機運が高まってきたので今度は仮面ライダーで何か観ようかな。
(おわり)

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