カルヴェニ
寝支度を始める段になって、ガラス戸をバンバンと叩く音がした。壊れそうな勢いに俊也は父母と顔を見合わせた。
叩く音が鳴り止まず、急いで扉を開けると、泥だらけの妹が泣きじゃくっていた。妹は友達の家に泊まっているはずだった。俊也が経緯を尋ねると電柱を指さした。
「あぁっ」と母が悲鳴を上げた。
暗がりで何かがこちらを見ていた。体毛がなく、頭だけがやけに大きい。半開きの口の中は照明を受けても真っ黒だ。俊也は尖った耳の形で、それを犬と判断した。
「カルヴェニを飼わないと」
妹がぼそりと呟いた。犬には首輪がなく、名前が分からないはずだ。由来を尋ねても妹は黙ったままだった。
次の日、階下の声で俊也は目を覚ました。様子を窺うと、電話口で母が口論していた。言葉の端々から察するに、相手は叔母のようだ。
昨年、祖父が他界した。俊也は葬式で叔母の存在を初めて知った。黙っていた理由を母に問いただすと「あれは不幸そのもの」と理由にならない理由を言った。
「今日来るの? 嫌よ。お父さんのお骨が真っ黒だったの、忘れてないんだから!」
祖父の骨上げを蒸し返し、母は声を荒げた。火葬場の不備を叔母のせいだと、未だに決めつけている。普段見ない母の剣幕にいたたまれなくなり、俊也は外の空気を吸いに出た。
しばらく歩いていると、大きな樫が見えてきた。昨日泊まった妹の友達の家だ。
門の前には妹がいた。
「何してるんだ」
「カルヴェニを散歩してるの」
妹は門を指さした。扉が半開きになっており、向こう側から、ちゃぐちゃぐと水っぽい音が聞こえてきた。
ためしに犬の名を呼んでみても、返事はない。俊也は仕方なく敷石の続く庭に足を踏み入れた。
庭は手入れが行き届き、色とりどりのバラが咲いていた。窓辺に近づくにつれ、音は大きくなった。
俊也は逡巡した後、中を覗いた。
居間では一家が食卓を囲んでいた。ただ、団欒とはほど遠い。顔を茶碗に突っ込み、一心不乱に米粒を舐めとっていた。
【続く】