BOBCUT〈4〉
〈illustrated by おばあちゃん5歳〉
「うう......」男が始めに呼び起こしたのは、友達の家に行った小学校の記憶だった。薬局に並んでいたラベンダーの芳香剤の匂いが鼻をくすぐり、白を基調とした部屋の机には戦隊もののシール跡が残っていた。
「幻蔵よ、計画は進んでいるか。」
声のする方に目を向けると、金色のボブカット男と、黒装束の男が話していた。それは異様な光景だった。ボブカット男の机の周りには同様にボブカットにしたマネキンたちが囲んでいる。周囲の生活感にそぐわぬ不気味な書斎だ。
「滞りなく」黒装束は頷く。
「生産はどれほど進んでいる。」
「月末には全区民に行き渡るかと。」
「よい、工場は任せる。期待に応えられるな?」
「はい、奪徳さま.......」
奪徳、と呼ばれたボブカット男と目が合った時だった。
ばちん、と破裂音がした。続く頬への痛み。男の視界に星が明滅する。その痛みは目の前に立つ小柄な少女によるものと遅れて気が付いた。そして、自分が演説中の奇襲に失敗し、無様に生け捕りにされたことも。「ガァッ!グゥッ」両膝の皮膚がえぐられる痛みが全身を駆け巡る。少女は恐ろしいことに二本指――シッペによって鞭めいた痛みを引き起こしているのだった。
「やめろ、権蔵」
幻蔵の一言が蛮行を制す。しかし、権蔵と呼ばれた少女の拷問はさらに苛烈を増す!右肩!左肩!両脇腹!
「グゥウゥウウウッッ!」
男は耐え切れず苦悶を漏らす。この状況でも悲鳴を上げないのは男の勇猛さ故なのか。幻蔵は男から権蔵を引きはがした。
「また殺すつもりか!」幻蔵の制止を振り切ろうとする権蔵の動きが止まった。幻蔵の叱咤が届いたのではない。奪徳の指が鳴ったからだった。
「もうよい。」
静観していた奪徳がやにわに立ち上がると、旧友にでも会うように男に近づいた。
「私の部下がすまないことをしたね。すぐにでも解放しよう。」
「分かっててやらせてるんだろう。なにが望みだ。」
「少し、テストに付き合ってはくれないか。」
「テスト?」
「ウィッグの着け心地を聴きたいんだよ。」
そう言い奪徳はマネキンからマリンブルーのボブカットを剥ぐと、男の鼻先に近づけた。
「クソくらえだ。」
「いいかい。K区を治めるためにはコイツの完成が必要なのさ。そのために悪いが君の脳も使わせてくれ。」
「ふざけるな!おい!」
男の抵抗も、権蔵の怪力の前ではなにもかも無駄だった。奪徳の手でマリンブルーの王冠が被せられると間もなく男はだらりと電池が切れたように動かなくなった。
そののち
5
4
3
2
1
......
発電所の電気が一気に入ったみたいに顔をあげた男の顔は満面の笑みを湛えていた。
「大化元年秋七月丁卯朔戊辰、知識がその、立息長足日廣額、あふれるというか、天皇女間人皇女、爲皇后、底辺×高さ÷2!なんだこの万能感!知識が頭に染み渡る……!サイコー……!ボブカットサイコーだよ!!半径×半径×3.14!我輩は猫である!3分の4πr三乗!!ボブカットは…ボブカットは…熱い、熱い熱い熱い熱い熱い熱い!!!早く取ってくれ!!いぎっ早く!!あがががごごごが」
突然痙攣すると、男はそれっきり動かなかった。部屋には髪の焼ける異臭だけが彼の断末魔のように残されていた。
「彼らも懲りないな、外からやってきて改良ができるのは嬉しいが。……それは片しておいてくれ。」
「奪徳様」
「なんだ幻蔵。」
「お言葉ですが天にましますルイーズ様はこのような実験を許すでしょうか……。犠牲が必要とはいえもう50人になります。」
「民を救う行いを誰が咎めるというのだ。我々はボブカットを絶対にしなければならない。」
「しかし」
「幻蔵よ。貴様と権蔵の滅びかけた拳法を救ったのは……分かっているな。」
「ッ……。はい。」
「余計なことを考えるな。席を外せ。」
奪徳は椅子に腰掛けると、背を向けた。それはこれ以上話しかけるのを許さない合図だ。奪徳の視線の先には黒髪のマネキンが置かれている。極彩色のボブカットに囲まれた中ただ一つの黒髪は、幻蔵の眼には幼虫の食事のように部屋を食んでいるように映った。
奪徳が見つめる先の未来は、幻蔵と同じものなのか。はたまた漆黒の未来が待ち受けているのか果たして……。
一方その頃。登校中のチエは今世紀最大のピンチを迎えていた。
「ソイツを頼んだぞォ!ネーちゃん!」
フラッパー達に引きずられていく男がチエに託したのは一つの紙袋。中には一冊の雑誌が納められていた。
(続く)