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埋忠明寿鐔の雷文と日光東照宮の勅額
埋忠明寿の鐔にはまま雷文と呼ばれるナルト模様のような象嵌の入った物があります。
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この雷文は現在日常生活でも偶に見かけます。
そう、ラーメンの器ですね。
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尚この雷文の意味について調べてみると、Wikiに以下の様に書いてありました。
雷紋は、直線がつぎつぎと曲折していく幾何学的模様で、中国では3千年以上の昔から青銅器陶器、漆器、金工、木彫、建築などに用いられている。
稲妻紋ともいう。組み合わせたり、重ねたり、電光をなかにはさんだりして用いられることもある。
万物、田畑を潤す雷雨を表す紋様のため、豊作、吉祥の象徴と考えられている。(引用元:雷紋 Wikipedia)
雷文は豊作や吉祥の象徴、つまり縁起の良い模様のようです。
ところで昨日「黒田家文書 福岡市博物館」を読んでいたところ埋忠明寿が日光東照宮の勅額を製作したという記載を見つけました。
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黒田長政が日光東照宮に大鳥居とそこに掲げる勅額を寄進したとのこと。
そしてその勅額は埋忠明寿による作であると思われるとのこと。
そこで日光東照宮の勅額を調べてみると、まさにそこには明寿鐔に見るような雷文が四角く配されていました。(尚、この陽明門は2017年に大規模修繕工事がされているので当時のままの状態ではないと思います)
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このように埋忠明寿はやはり雷文を施した作が多く、更に深掘りしていく事で明寿の作風や繋がりについて何か知れそうな気もしてきました。
他にも黒田家文書には黒田長政や、その子の黒田忠之と埋忠明寿の手紙が掲載されており明寿の職人としての人柄います。
例えば以下は黒田長政が明寿に作らせたメガネを修理させるよう依頼した手紙。
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また以下は長政の長男で二代藩主の忠之が明寿に日光一文字の拵(へし切とそっくりな拵)の製作を依頼した手紙。
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そして、拵を受け取る際に明寿に対して使者を仕立てた様子が分かる手紙などもありました。
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明寿と同じ時代に生きた大名とのやり取りから明寿の職人としての人物像がうっすら伝わってきます。
埋忠明寿は刀を作り、ハバキを作り、鐔も作って、メガネも作っていたと。
そして拵のコーディネーターであったのでしょう。
実に面白い人物で、そして美に溢れた人物で各大名から求められた存在だったのかもしれません。
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それでは皆様良き御刀ライフを~!
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↓この記事を書いてる人(刀箱師 中村圭佑)
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