偽銘の捉え方について考えさせられる②
このブログを始めてから4年以上が経つが、偽銘については度々書いてきた。
初めて触れたのが2020年の頃であり刀歴でいえば2年目の頃であったが、この時は完全に偽銘の刀は毛嫌いしていた。
理由は人を騙して儲けるという「せこさ」のようなものを刀から感じてしまうからというもので、刀を見る度に刀の出来を純粋な目で見れなくなってしまいそうな気がしてならなかったからである。
2021年の頃(刀趣味3年目)になると更に偽銘嫌いは進行し(自分自身でも当時のブログを読み返すとかなり偽銘を嫌っていた様子が伝わってくる)、どんなに安くても絶対に買いたくない、とまで書いていた。
理由は2020年の時と同じく人間の腹黒さの部分を感じたくないからというもの。
考えが変わったのは2023年(刀趣味5年目)の時で、霜剣堂さんにて偽銘の盛光を拝見させて頂いた時である。
ちょうど脇差フェアなるものが開催されている最中での事でその時の様子は以下に詳細を書いているが、初めて偽銘を見る中で偽銘の刀の中には想像以上に出来が良くそれでいて値段が物凄く安いものがあるという現実を知った。
今まで毛嫌いしていた偽銘の刀は実はまだ一度も見た事がなく、あくまで頭の中だけで一方的に偽銘を毛嫌いしていた事にこの時気付かされた。
結局のところ、高いお金を出して騙されて偽銘を掴むか、正真作よりも安い金額で偽銘を偽銘と知って買うのかは全く異なる事であり、後者であれば問題ないという捉え方に変わった。
勿論正真作が買える人であればわざわざ偽銘を買わずに正真作を買う方が絶対に良いという考えは変わらない。
ただ予算が少ない場合はどうしても選択肢が狭まるわけで、その中で正真作に拘わり研ぎ減ったり錆が付いてボロボロの刀を買うよりも偽銘を候補に入れる事は、刀から腹黒さを感じる以上に実は満足感であったり目を養う力が見に付くのではないか、という話である。
ただこれは偽銘の刀全てが良いわけではなくて出来や状態が良い偽銘に限っての話であり、状態や出来の悪い偽銘はやはり所持して良い事は無いと思う。
と、現状はそんな考えを持っているわけであるが、先日大銘物の刀が日刀保の鑑定で偽銘判定を受けた事で銘を消して再審査に出すか、刀を切断して処分するかを検討しているという所有者の方の話が話題になっていた。
日刀保の審査精度は人がやっている以上100%ではないにしても、審査が始まってから70年以上が経つ事で大銘物は特に資料も多くあるはずで、保留ではなく偽銘と断定するからにはやはり相当な資料を元に判断されていると考えられる。その中で保留となるよりは偽銘としっかり出してくれる方が個人的には有難い。
全て保留になってしまうと鑑定に出す意味が無くなる。
しかし問題は偽銘となったその後で、その状態のまま持つのか、今回のように銘を消して再審査に臨むのか、手放すのか、はたまた切断するのか(これは流石にやりすぎな気がするが…)この辺りは当然所有者判断となる。
偽銘と気持ちを整理して割り切れれば良いが、どういう経緯で入手したかにも左右されるので悩ましい。
手元にある刀も銘を消されて無銘で重要指定を受けたものがあるが、個人的には偽銘でも銘は残しておいて欲しかった。
上の指定を受ける為にそうされてきたという背景は何となく分かる。
分かるが、最近出た埋忠刀譜にそれらしき刀が載っていた事もあり悔やまれる。
研ぎの状況や新たな資料発見により審査内容が変わる可能性もゼロではなく、一時の判断でそれまでの歴史を葬るのは非常に高いリスクを伴うので銘を消すのは慎重に慎重を重ねなければならないと思う。
一歩間違えればただの文化財の破壊になる。
出来れば対応を急がずに現状維持して日刀保に偽銘の理由を聞いたり、資料を集めて正真の可能性や古押形に載った伝来品の可能性が無いかなど研究し続ける事が良さそうに思うが(日刀保の審査も100%ではない為)、明らかな偽銘などは早々に銘を消すというのもまた次の被害者を出さない為には大事な事にも感じ、これはこれで否定出来ない。
この「明らかな偽銘」という判断が結局難しい所で悩まされるのだろうが、少しでも悩んだらとりあえず現状維持が良いと個人的には思う。
そういえば祖父の刀も偽銘だったが良い刀で気に入っている。
ただ祖父は大金をはたいて買っていたかもしれないし祖父が偽銘の事実を知っていたら怒っていたかもしれない。
もしくは当時から偽銘と分かって大切にしていたかもしれない。
いずれにしても私はこの刀の事実や背景については悲しいかな何も知らない。
分かっている事は祖父がこの刀を死ぬ時まで大切にしていたという事だけであるが、そうした先人の意思は変わらぬ形で引き継いでいきたいと思う。
ただそれが何代か続き、偽銘を隠して正真として悪用される時がいずれ来るかもしれない。 銘を消せば何かしら鑑定が付きその問題は解決されるかもしれないし、極めによっては今の状態より大切にされることもあるかもしれない。
かといって今このタイミングで銘を消す事が本当に良いのか、在銘で残ってきたその刀の歴史を一時の判断で終わらせる行為は正しいのか、これは難しい。
私が大金をはたいて買ったわけではないのでこうした事が言えるだけかもしれないが、私が生きてるうちは偽銘である事を伝えて後世に残していきたいと思う。
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それでは皆様良き刀ライフを!
↓この記事を書いてる人(刀箱師 中村圭佑)