
鮫革が金色の拵は桃山~江戸初期
個人的な見解ではありますが。
柄の鮫革が金色になっているもの(金の板を鮫革状に圧し出して柄に被せる)は勿論大名の拵なわけですが、時代で言えば金を装飾の素材として多用した豪華絢爛な桃山時代の意匠を引いていると考えられ、桃山時代~江戸初期あたりの作なのではないかと考えます。
根拠としては手元にある資料から金の柄の物を手あたり次第に抜粋してみると、そのあたりの時代のものしか見ないからというのが理由です。
なのでこれ以外の時代の物が提示されれば簡単に崩れる意見なわけなので、もし情報あれば頂けると嬉しいです。
①細川幽斎(1534~1610)の金短刀拵
柄部のみならず圧し出した金の板を拵全体に被せた豪華絢爛な短刀拵。
細川幽斎、三斎と父子の御腰物として細川家に伝来。
大阪歴史博物館の「変わり兜×刀装具」会場風景その6。細川家伝来で、細川幽斎・三斎父子の指料だった腰刀。金板を圧し出して細かな模様を表現している。名品。 pic.twitter.com/SwoLcJh2iR
— 小吹隆文 (@kobukitakafumi) November 1, 2013

②細川三斎(1563~1646)の半太刀大小拵
江戸時代初期頃とされる細川家伝来の大小拵で、関ケ原の戦いで用いられたと伝えられ、細川三斎より五男興孝公へ譲られたとされているもの。
こちらも柄部が金打出鮫。
もともと刀装具美術館所蔵であった大小拵ですね。




③前田利家(1538~1599)の大小拵
尾山神社(石川県)に伝わる前田利家が桶狭間の戦いで差したと伝わる大小拵。拵は桶狭間以降の製作とも考えられるとの事。
柄は下地を銅の打出鮫に金箔押にして麻紐で巻いて漆をかけている。


④立花宗茂(1567~1643)の大小拵
短刀の方は出鮫にしており、①で挙げた細川幽斎のものと共通点も見られる。


⑤遠山友政(1566~1620)の大小拵
美濃国苗木城主である遠山友政の指料と伝わる。
製作は慶長年間と見られているとのこと。


⑥毛利家太刀拵と同指添拵
江戸時代初期(1624~1635頃)と見られている拵。
「刀装具御家彫名品集成 著:福士繁雄」より引用。


⑦朱黒笛巻打刀拵
寛文(1661~1673)から元禄(1688~1704)頃とみられている打刀拵。
今回挙げている拵の中では一番時代が若い。


⑧まとめ
今回は手元にある資料から金色の柄のものを選り好みすることなく全て抜粋した。
○○所用と伝わるものは来歴もしっかりしており、時代を検討する上で信憑性が増す事を考えると、①~⑤の年代は「1538~1646年」の間という事になる。
但し1538年などは前田利家は生まれたばかりである事から、早くても+30年位した後と考えれば、金の柄の拵が作られた時代というのは概ね「1568~1646年」辺りとなるような気がしている。
つまり桃山から江戸初期頃となる。
これに所有者不明の⑥、⑦を加えると1704年ごろ、江戸中期まで下がる可能性が出て来る事になる。
以上が今回の調査結果であるが、金の柄を見た際はそれなりに古いと見て良いのではないかと思う次第。
尚現代品も高島屋などで売られていますが、あまりに分かり易いので除外。

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↓この記事を書いてる人(刀箱師 中村圭佑)
