鑑定会は刀を公平に観れる場だから好き
刀には鑑定会というものがあります。
刀の茎を隠して刀身のみを見て作者を当てるというゲームのようなものです。姿から時代を、刃文や地鉄の特徴から刀工を推定するので刀の勉強をするにあたり効率的な勉強法という事で定着した勉強法のようです。
一方で現代は鑑定会は緊張する、入札するのが怖い、どうせ当たらないから入札したくない、という人も増えているようで、初めから茎を出して鑑賞する形式を好む方もいらっしゃいます。
確かに入札中は1人大体1分程度鑑賞したら次の人に代わるというルールがあるので、5~10分並んで1分だけ鑑賞、また並びなおして…という事が普通。
人数が多いためとはいえ、非常に飛行率な面も。
限られた時間の中で分からないなりにあの刀工かな?それともこの刀工かな?と色々考え続けて、気がつけば1時間程経っているなんてこともザラにあります。
途中何度か入札してヒントを貰いつつも最終的に同然以上が取れればよいものの、当たらずに解説に入った場合、解説を聞いて分かったつもりになっていても大抵後であれ?今日の1号刀なんだっけ?と忘れてしまう。
(「同然」の意味が分からない方はこちらご覧ください)
つまり何度も悩んでこの刀工なんじゃないか?と、導き出した刀工が不正解にも関わらずさも正解のように記憶に残り続ける事がある。
例えば1号刀の正解が仮に虎徹だったとして、自分自身が時間内に導きだした答えが肥前国忠吉だった場合、後で思い出す時に1号刀の作風って肥前国忠吉だっけ?と勘違いする事がある。(私だけかもしれないが)
しかし初めから茎が見えていて、最初からその作は虎徹なんだと分かっている場合は、持ち時間全てを使って虎徹の作風を捉えようとする事が出来る。虎徹はこんな刃文をしているんだ。こんな地鉄をしているんだ。
時間内ずっと虎徹と思って刀を見る事で、肥前国忠吉と勘違いして覚える事が無くなる。つまり、答えが最初に分かっているメリットというのは記憶違いを起こさない事ではないだろうか。
この差は結構大きいように感じ、私も以前まではどちらかと言えば鑑定会よりも刀の茎が最初から見えている鑑賞会が好みだったわけですが…。
最近は鑑定会も好きです。
当てる云々が楽しいというよりも、唯一刀を公平な目で見られる場というか、銘とか価格、特別重要刀剣などといった肩書とかそういうノイズが入らない場なので好きです。
刀屋さんに行っても値段や刀工銘は否が応でも入ってきます。お店の方が奥から持ってきて下さる時は別ですが。
そこでこの刀好きだなぁという刀がもし見つかればそれは本当に好きという事になりますし、そのような作が買える値段だった時は更に嬉しくなる。
時々刀工銘を聞いても誰か分からないマイナー刀工の作が出る事もあるが、その作に魅入られる事がある。
すると自分だけのお気に入りの刀工を見つけ出したような気持ちになり、幸福度が上がる。
鑑定会は勿論自由参加なので入札に参加しなくても良いのですが、入札しなくても眺めて自分が好きかどうかを見てみるだけでも結構面白いかもしれません。もしかすると自分自身の好みを発見出来る場に変貌するかもしれません。
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それでは皆様良き御刀ライフを~!
入札鑑定用語って難しいですよね。同然や能候、通りなどといったどういう意味かを以下に簡潔にまとめているのでもしよろしければご覧ください。
↓この記事を書いてる人(刀箱師 中村圭佑)