歴史上一番切れる刀
「日本刀はどのくらい切れるのか」これは多くの方が気にされる内容です。
上手い人が切れば体を真っ二つにするくらいの切れ味はあります。
下手な人でも腕の1本くらいは簡単に斬れるでしょう。
ではその中に置いて歴史上一番切れた刀はどのくらい切れたのでしょうか。
今回は歴史上一番切れた刀を紹介します。
因みににっかり青江などは石灯篭を斬った伝説などがありますが、あれは逸話ですのであくまでちゃんとした記録が残り現存しているものの中から選びました。
①歴史上一番切れた刀はこれ
(画像転載元:https://www.mokuzai-tonya.jp/05bunen/zuisou/2004/10nihontou.html)
その名も「七つ胴落とし兼房」
(他にも同じく七つ胴の備前基光や岡田長門重孝の脇差、信濃守信吉の刀などもあるらしいですが、出展元が不明であった為、省きます。)
泰平の世となって戦が無くなった江戸時代、試し切りを行う事で刀の切れ味を調べていました。
試し斬りの方法は以下のように土の山(土檀)の上に罪人の死体(罪が重い場合は生きたまま)をのせ、刀を振り下ろすというものです。
(画像転載元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A9%A6%E3%81%97%E6%96%AC%E3%82%8A)
その数々の記録の中で一番切れた刀がこの兼房です。
七つ胴と書いているように、七つの胴体を重ね、上から切った時に全て切れたと…。
凄まじい切れ味です。
②7つもの胴体を一度にどう切った?
ここで一つの疑問が生まれます。
そもそも7つの胴体を重ねると一人30㎝としても2.1mになります。
刀を振り下ろすにしても高さ的に無理があります。
どうやって切ったのでしょうか?
これが行われたのは1681年の事。
斬り手の中西十郎兵衛如光が梯子に登り、7体積み上げられた死体に飛び降りるように切り付けたとの事。
つまり高い所からジャンプして斬ったと。
それで7つの胴体が全て2つに切り離されました。
(下の梯子は大げさですがこんな感じでしょうか)
(画像転載元:http://wonderfulkanazawa.web.fc2.com/k_kagatobi03.htm)
③その後この兼房はどこへ行った?
第九銀行の頭取で愛刀家の堀部直臣氏が所有していましたが、東京の刀屋である網屋に買われ、後に熊本の愛刀家の川端正脩氏が持つことになります。戦後は同家を出たらしく、現在では行方不明(個人蔵)です。
但し2004年に日刀保の重要刀剣審査に合格しているという情報も。
きっとコレクターの方が今も大切に秘蔵している事でしょう。
(※2021/6/26追記 なんとこの兼房の展示報告がありました!)
(2022.2.17追記)
更に更に!
なんと盛光堂さんのYoutubeチャンネルで七ツ胴落兼房が登場していました!
現在は和敬堂さんにあるようですね。
④終わりに
7つ胴といかないまでも3つ胴、4つ胴の刀は沢山あります。
つまりそれだけの胴を一度に切り離す位の切れ味があるという事。
刀を手に取る時は必要以上に怖がる必要はないものの、殺傷力がある事に変わりはありません。
丁重に扱うようにしましょう。
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