刀も刀装具も何度も見ると面白い
感動する物と面白い物(知的好奇心を満たしてくれるもの)は似て非なるものに感じ、この目貫は感動というよりはどちらかと言えば面白さを感じる目貫だったり。(買う時はいつも感動して買う…かは分かりませんが惹き込まれて買うのでこの差が分かるのは購入した後だったりするのですが…)
この目貫を買った時は完全に画像判断でどういうものかいまいち分からなかったのですが、胸の蛇腹の構造であったり、抜け穴の多さなどから時代が結構上がりそうな目貫にも感じ手を出して見ました。
手元に届き細部を見てみると鱗の造り込みが想像以上に丁寧であり、角や足などには三角鏨も見られ後藤系統の流れを感じさせてくれます。
また所々に金錆が出ているところや、摩耗して鱗が削れて無くなってしまっている箇所でも下地の色が出ておらず、つまり金無垢の特徴も見て取れました。
裏行
しかし龍の構図に目を向けると形式ばった這龍ではなく自由な姿をしています。後藤家で型が決まる前の祐乗の作の線も探るため一応特徴を追ってはみたものの、流石に祐乗とは言い切れない部分もあり違いました。
という事で古金工系か埋忠系あたりを推測してみて自分の中ではギブアップし鑑定へ出したところ、京金工で特保がつきました。
京金工という事でいわゆる埋忠系統の可能性もありそうという視点で見れば大まかな見立ては合っていたと言えるかもしれません。
刀にしても刀装具にしても物を見て作域から作者を推測するのは自身でもとても面白さを感じるところでして、鑑定が付いたから終わりではなく鑑定結果を参考にしながら更にいつの時代の誰の作だろうかと考えをアップデートしていく時間が楽しかったり。
しかし得てしてただ眺めていても何も進展しない事が大半で、大体進展するのはお店や鑑賞会、即売会、ネットサーフィンなどで別の刀装具を色々見て周る中で偶然にも同じような手癖による作を見つけた時だったりします。
刀もそうかもしれない。
なので数を多く見ている人ほどより精度の高い判断が出来るというのは間違いないと思います。
刀の入札鑑定もそうですが、鑑定家になりたいわけでも目指すわけでもありませんが、作域から作者を当てられた時というのは何というか今は亡き作者の発する表現をくみ取れた気がして嬉しくなります。
嬉しいと楽しくなりもっと深みにはまる。この繰り返しなのかもしれませんね。
無銘に答えは無いので結局一生誰の作か正しい事は分かりませんが、どんな物でも何度も見たり周りの別の物と比較すると自分の中に成長を感じられる時があったり、更に時間をかけて更に昇華させることが出来れば他者の意見で落ち込んだりする事もなくなるのでお勧めです。
是非刀や刀装具は買ってから押し入れにしまいっぱなしにするのではなく、適度に何度も見てあげると自分自身の為にもなるかもしれません。
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↓この記事を書いてる人(刀箱師 中村圭佑)
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