肥前国忠吉 鑑賞メモ
肥前国忠吉(初代)の初期作から晩年作まで3振と、陸奥守忠吉(3代)1振の重要や特重の名品を手に取り拝見させて頂いたのでメモ。(因みに画像の忠吉短刀は関係ありません。鑑定書ランクは書かなくても良いかと思いましたが名品と書くだけでは主観になり分かりづらいので分かりやすさの指標として書いておきます)
1振目はいわゆる秀岸銘時代の作で肥前国忠吉と五字銘の入った初期銘の作。
中切先でやや浅く反り南北朝頃の太刀を大摺り上げしたような姿をしている。
地鉄は大和物にも似た潤いがあり、肌は区あたりには杢目も見えたが、全体的にザングリしていてまるで堀川物のようであった。
直刃調の小のたれの匂口は小沸が良く付いて明るく冴え、金筋などの働きも見られる。
かなり古色が感じられ、こうした作が無銘の大和物に紛れている可能性はかなり高い気もする。
2振目は慶長18年頃の中年作で忠吉と二字銘に切られた珍しい作で会心作。
地は初期作に比べてかなり精美に詰み刃は締まるも明るく冴え、肥前刀の特徴と言われるようなアンコは一切見られない。
地鉄の色は1振目の初期作に比べると白く感じられ、新刀感が強まっている。
地鉄を除けば総じて「乱れ映りの無い真長」というような印象を抱く。
3振目は寛永に入り武蔵大掾を受領後に忠廣と名乗った晩年作で、亡くなる2、3年前頃の作。
完全な沸出来で華やかな丁子刃。
姿は鎌倉中期頃のような体配をしており、光忠の刃文の特徴でもある蛙小丁子のような刃文も見え焼きが鎬筋に届きそうなほど高く、乱れ映りは見られないものの(得てして焼きの高い作は映りが見え難い事もあり)焼き出しも丁子刃であった事から最初見た際は時代を間違え福岡一文字に見てしまった。
確かに地鉄をよく見ると2振目同様非常に精美な地鉄をしていて良く詰んでいる。
「新刀だよ」と言われた際に全く思い当たる刀工が出ず、石堂?と答えたものの実際に石堂を見せて頂いたところ石堂は匂出来で乱れ映りが現れており全く出来が違う。
その時点でお手上げだったが、その後に1振目を見せて頂き、ああ!肥前刀か!となった次第。
確かに昨年の全国大会で3代目の作で同じような作を見ていた事を思い出す。
4振り目は忠吉ではなく、3代目の陸奥守忠吉の寛文頃の作。
刃中に足や葉といった働きがよく見られ、匂口も帯状に少し太くなっているようにも見える。
地鉄の色で言えば2振目の忠吉の地鉄に近似しているように感じられた。
1振目の初期頃の忠吉のような地鉄はしていない。
という事でとても有難い事に肥前刀の名品を4振並べて1時間ほどじっくり拝見させて頂いたわけであるが、忠吉の作風の変化を追わせて頂き非常に貴重な体験となった。
個人的には1振目のような古色感ある初期頃の作がやはり新古境という感じがしてとても好みであった。
やはり刀は難しい。
一時期、新刀と古刀はだいぶ地鉄の違いがあり見誤ることもほとんどないだろうと感じていた時期もあったが、見れば見るほどやはり新古境の刀匠作というのは分からず難しい。
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それでは皆様良き刀ライフを!
↓この記事を書いてる人(刀箱師 中村圭佑)