綺麗を正とする評価軸では見えてこないであろう対極にある世界
人が使った物は中古とされ価値が落ちるのが一般的であるが、使い込まれ過ぎるとそれがかえって深い味わいとなる。
使っている机は新しい木で艶々しているが…
以下の使い込まれた板はどこか味わいがある。
同じく鐔にしても、艶やかなものはそれはそれで綺麗ではあるが。
使い込まれるとどこか味わいが増す。
綺麗な状態、完品な状態を「正」とする評価軸では決して見えてこないであろう対極にある世界。
しかし使い込まれていてもある時期に雑な保存がされると朽ちてしまう。
使われずに長く保管されてきた物、長い間使いながら大切にされてきて残ってきた物、忘れ放置され朽ちてボロボロになった物、全て似ているようで違う。
名刀が使われずに長く保管されてきた状態の良い綺麗な物、とするのであれば、研ぎ減った刀は長い間使いながら大切にされてきて残ってきた物、とでも言えるだろうか。忘れ放置され朽ちた物は上古刀などの状態がイメージに近いだろうか。
そういえば昨日即売会で見た20万ちょっとの充分刀としての役目を果たした…もう限界と言わんばかりの現役を退いた疲れ果てたベテラン臭のする刀が地味に頭から離れない。
ペラペラで刀身の表面は研ぎでボコボコ歪んでいて茎も綺麗ではない。
しかしその割に綺麗に研がれていた。
表面がボコボコしていたのは研ぎが下手なのではなく、恐らくなるべく残せるところは残した結果なのだと思う。
一番凹の部分に合わせて全体を研ぐと刃文が無くなったりなど不都合があったからなのだろう。
そうした所に極力大切にしようという思いが垣間見えた気がする。刀身には疲れ映りと思われるものの他に乱れ映りも見え、鎌倉期頃の物にも個人的には思えた。分からないが。
なぜか頭から離れない理由は手元に暫く置いてみたら分かる事もあるだろうか。
最終日まで残っていたら迎えに行こうか悩んでいる所。
人間も良い年の取り方をした人と、そうでない年の取り方をした人。
実に顔の皺に良く現れている気がするが、「モノ」もそうなのかもしれないですね。
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それでは皆様良き刀ライフを!
↓この記事を書いてる人(刀箱師 中村圭佑)
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