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古刀で健全な刀を持った時の感覚

慶長新刀より前の刀(大体西暦1600年より前の刀)を古刀と言います。
450年以上も経っているとその間に数多の戦や災害を経ているので研ぎ減って刀身が薄くなっているのが当たり前。
それ故に鑑賞会や刀剣店などでショーウィンドウに陳列された刀の殆どは手に持った時に軽いので古刀は軽く扱いやすいという印象を持ちやすいです。
少し前まで私もそんな印象をまさに持っていたのですが。

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そんな感覚でいると、稀に古刀で現代刀のように超健全な刀を見た時に違和感を感じます。
当然ずっしりと重いので無意識に新刀以降の写し物だろうと考えてしまっているのか、地鉄の様子や刃中の細かい変化などを見落としてしまう。(恐らく単に個人的に古刀の方が興味ある為、新刀は見ているようでちゃんと見ていないのだと思います)
結果新しい物と決めつけて刀を見てしまう。


そして茎を見て混乱。
生ぶで在銘だったりする。

古刀と知った上で見るとさっき見ていた刀身が急に味わい深く見えてくる。
白っぽいと思っていた地鉄は少し青っぽく見えてくるし、沸の粒が細かく見え匂い口が柔らかく見えはじめてくる。
実に都合の良い目をしていると感じる。

そしてこのような刀を1度見た後は刀が更に分からなくなる。
今までは重ければ新刀以降と単純に考えていたのが、重いだけでは判断が出来なくなるからかもしれない。

そこで最近注意して見るようにし始めたのは、沸の粒の大きさと地景の入り方や潤い、映りなど地鉄の見え方。
古い刀は沸の粒がとにかく小さい。
地鉄については表現が難しいが、なんとなく古そうというあの感覚。

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(写真:相州行光)

自信があるわけではなく、この見方が正しいかも分からない。
ただ例えば清磨なんかで言えば地鉄は潤いがあり古く見えますが、沸の粒が大きく力強いので古刀ではなさそうと判断出来ます。

こんな風に書くと玄人の方からすれば何こいつ分かったような事言ってんだと思うかもしれませんが。
でも取りあえず今現在の自分自身の刀の見方は記録しておこうと思います。

とにかく古刀で健全な刀に遭遇すると悩み混乱するはず。
また時代を間違えたという自分自身の見えて無さを反省します。
刀は難しいです。

が、それ以上にそのような貴重な刀剣を拝見出来た感動と喜びの方が上回るのでやはり刀は楽しいです。


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それでは皆様良き御刀ライフを~!

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