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物を所有する意味を考える

鑑賞会やお店に行き刀や刀装具を眺めるだけに留めるか、それとも実際に買うまでいくか。
物を買うとお金は減り、それでいて場所は取る。
所有する意味について定期的に考える事があるが、最近もまた考える時期にきた。
そうこう考えている内に欲しい物に出会い、買おうと考えてしまうのが抗えぬ虚しい性なのであるが…。

もし刀に嵌ってから一度も買わなかったとしたらどうなっていただろうか。
そのまま心の中の刀への炎は徐々に消えていたのだろうか。
「一度も買わない」は大げさなので仮に1振だけ買って後は何も買わずに鑑賞するだけを何年も楽しんでいたとしたらどのような気持ちなっていたのだろうか。
買えるお金があったとしたらきっと我慢出来ずに何か買ってしまうのだろう。

しかし漠然と買うのか買わないのかだけ考えていても良く分からないので、以下の条件で自分自身がどちらを選ぶか考えてみる。

刀剣店に物凄く気に入った刀なり刀装具があって金額は全財産の10%程度だったと仮定する。
それは買わずとも1年に2回だけ30分ほど毎年見れるが、ある日売れてしまった場合、以降は一生見れないとする。
写真は詳細に撮る事が許され、後で画像を見直したり資料を調べて勉強も出来るものとする。

この条件下で買うか買わないか。
私の場合恐らく買う。
10%なら余程気に入った物は手元で好きな時に楽しみたいと思いそうである。
しかし一方で物はずっと見ていたらいつか見慣れて飽きることはないだろうか、という気持ちも拭えない。1年に2回、買わずに見れる機会があるのであればそれを楽しみにお金を使わず他の事にお金を使うという選択肢もありなのでは無いのだろうか。

今の私にはどちらが良いかよく分からない。
自分自身の性格上は買った方が調べものをしたり勉強するのは間違いない。
それに買わずに同じものを定期的に見せて頂くのは気持ち的にもはばかれ、実際はなかなかに困難であろう。
結局そういう負い目を感じながら鑑賞させて頂くのであれば、買ってしまっていつ見れなくなるかもしれないと心配する事なく気に入った品を清々しい気持ちで楽しめる方を選んだ方が幸せなのかもしれない。

所有する意味について言葉で上手く説明できないが、こういう事を考えているとなぜ自分自身が買うという選択肢を取るのか少し分かってくるような気がする。
つまるところ誰かの時間を奪い見せて頂くという負い目やいつ無くなるかもという心配なく、清々しい気持ちで鑑賞してゆっくりそのものを鑑賞して歴史など調べたりしたいのだ。
これが恐らく私が物を所有する意味なのではないだろうか、と自己分析してみて分かった。

因みに物の価格が全財産の80%だったらどうだろうか。
私は恐らく買わない。
やはり生活に支障が出る可能性がある場合は手を出せない。
では30%だったら?
生活は出来そうだが高い。
そこまで出して所有する意味とは?
きっと負い目や心配なく清々しい気持ちで鑑賞してゆっくりそのものについて調べたい欲と金額を天秤にかけて購入を判断しているのだろう。

なんだかよく分からない文章になってしまったが、つまりそれだけ迷走しているのかもしれない。

この鐔で獅子が牡丹を見ている表情は、私が刀や刀装具を見ている時の気持ちを表しているような気がしてふと親近感を持ってしまった。


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↓この記事を書いてる人(刀箱師 中村圭佑)

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