獅子王
鵺(ぬえ)退治の功績によって源頼政が鳥羽天皇より賜ったとされている太刀「獅子王」。
私も優美な拵えと鎌倉時代の武用の拵えが好きで、好みの刀の一つです。
今回はこの獅子王について調べてみました。
①獅子王の伝来
鳥羽天皇→源頼政→斎村政広→徳川家康→土岐頼次→土岐頼近→東久世通禧→明治天皇
(※土岐頼次までは「日本刀大百科事典」を参考、それ以降は「e国宝」を参考)
「日本刀大百科事典」によると、一条天皇(980年~1011年)の時に造らせたもので、源頼政が鵺退治の功績によって鳥羽天皇から賜ったと言われています。
その後は但馬国竹田城主の斎村政広が源頼政の後裔で同家に伝わっていたものの、関ヶ原の合戦の際に因州鳥取の城下を焼き払った罪により、徳川家康から自殺を命じられます。
獅子王はそこで家康により没収され、のちに拝謁に来た土岐頼次が源頼政の子孫という事で家康から土岐頼次に与えられました。
明治15年には土岐頼近から東久世通禧を通じて明治天皇に献上。
獅子王の号の由来については分かってはいませんが、ある鞘には獅子の螺鈿があるとも言われており(この鞘は現存していません)、これがもしかすると獅子王の由来になっていたのかもしれません。
②獅子王の特徴
まずはこれぞ平安時代という腰反りで細身な優美な姿。
鎬が高く鎬地が柾目になっていることから大和伝の刀と推測されるとのこと。
(画像出典:e国宝 太刀 無銘(号獅子王)黒漆太刀)
ハバキ上あたりから白け映りのような棒映りのような映りが立っているのが分かります。
匂い口はかなり締まっています。
現在は作風から大和伝と見られているようですが、「日本刀大百科事典」には作者は豊後定秀(豊後国行平の師)とも、備前実成(備前友成の父)とも言われていると記載がありました。
映りの雰囲気や匂い口の締まり具合から確かにそちらの可能性もありそうな気もしますが、果たして…。
因みに茎の形は刀身に対して最後逆方向に反るなど面白い形をしています。
(画像出典:e国宝 太刀 無銘(号獅子王)黒漆太刀)
これは先日珠玉の名品展に出展されていた以下の新藤五国光の太刀の茎形状とも似ていて興味深い。
(画像出典:目の眼2021年11月号)
鑢目の入り方なんかも古さが感じられて面白いですね。
(画像出典:e国宝 太刀 無銘(号獅子王)黒漆太刀)
③貴重な鎌倉時代の黒漆太刀拵
柄から鞘、金具まで全て黒漆塗してあり、鞘には青糸の渡巻が施されています。元は柄部分にも糸が巻かれていたと考えらえているようです。
製作年代は鎌倉末期と考えられているようで、このような太刀拵は絵巻などにも多く登場し武家の常用太刀として使われていた事が伺えます。
(画像出典:e国宝 太刀 無銘(号獅子王)黒漆太刀)
(画像出典:e国宝 太刀 無銘(号獅子王)黒漆太刀)
④終わりに
2019年11月~2020年2月まで獅子王がトーハクで展示されていましたが、現在は展示予定は特に公開されていません。
以前公開された時は優美な姿と太刀拵ばかり見ていたので、今度は刀身に現れた映りや鎬に現れるという柾目、鑢目など細かい部分にも注目して見てみようと思います。
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