見出し画像

刀を美術品として見る人、道具として見る人、研究する人

刀を所持して分かった事の一つが、刀への接し方は人それぞれという事。
刀に美術品としての価値を見出す人もいれば、居合などで使用する道具としての使いやすさに価値を見出す人もいる。
また、刀そのものを研究対象にする事で知見を広げる事に価値を見出す人もいる。
今回私自身の意見をまず書くとすれば、それぞれのフィールドにいる人達同士が同じ価値観で話すのはなかなかに困難で、でもTwitterなどではその前提が隠された状態で皆が意見を飛ばし合うので結構混沌とします。
自分と意見が違う人がいるのは当然なので、人には人の楽しみ方があると割り切りたい所です。

画像3

①刀を美術品として見る人

刀を美術品として見る人です。
刀の刃文や地鉄といった部分を鑑賞する事で美しいと感じます。研ぎも美術鑑賞用の研磨がされているので綺麗に見えます。
美術館で刀を観て綺麗だなぁと感じる人、刀の鑑賞会に参加して刀を鑑賞するのが好きな人はこちらかと思います。
刀剣店などでも感覚値ではありますが、大体50万円以上(2尺3寸位の物で)のものは美術刀剣として売られていると見て良いかと思います。
そして昔のものであればある程、健全で出来が良いものほど重宝され高価になる傾向があります。


②刀を道具として見る人

美術刀剣という見方がされたのは恐らく終戦後であり、刀が使われなくなった時代以降の事です。(詳細はこちら
それ以前は当然ながら鑑賞目的ではなく、あくまで身を護る道具として、または武士の誇りなど、心を預ける物として携えていたはずです。
今でも居合をされている方や、試斬をされている方は刀を選ぶ際に手持ちの良さや扱いやすさを重視して購入されていたりします。値段も居合用であれば50万円以下の物が多いかと思います。
居合刀には美術研磨されていない事が殆どかと思いますので、いわゆる美術刀剣のように鑑賞を楽しむのには向いておらず、鑑賞は二の次になっています。

③刀を研究する人

最後が刀を研究する人です。
こちらの方は①と②の両面を見て話をされる事が多いです。
美術品として見た場合は研ぎ減っていたり、疵があったりするとそれをマイナスに捉える傾向がありますが、それも歴史であり味を感じます。
目的は知の追求であり、それと共に知識もとても豊富。
むしろ疵が適度にあり使用感が感じられるものを好んだりする方もいます。


④行き過ぎると色々な問題も

刀を美術品として見る傾向が強くなりすぎると、どうしても出来の良くない刀や研ぎ減った軽い刀という物がまるで価値が無いかのような扱いを受ける場合もあるようです。
それだけならまだしも、例えば鑑定審査に出して偽銘と判定された際にすぐ銘を消して無銘にし再度鑑定させ上位の刀工に極めて高く売るという事が昭和の時代に特に横行した事もあるようで。
その中には今見れば正真と思われるものもあったと聞きます。
このように美術品としての側面を見るとやはり金銭が絡んでくるのでお金儲けの為に刀が利用され壊されていく事もあり難しい問題に感じます。

また道具として見る人の中にも古い刀を使って試し斬りする人などもいます。中には重要刀剣で試斬する人なども過去にいて、自己満足の為に歴史ある刀そのものを破壊する行為に繋がっている可能性もあります。
買ったのは自分なんだからどうしようがその人の勝手という意見もありますが私は反対です。
長い歴史の中で大切に引き継がれてきたものであり、それを使う必要のない現代において使う理由は個人の満足以外に無いと思っています。
やりたければ現代刀を使えば良いのではと個人的には思いますが、これも刀を美術品として見る側の私の意見でしかないので、反対意見は出る事でしょう。
なのでどちらも行き過ぎた欲の追求は危険を孕んでいる気がします。


⑤終わりに

たまにですが、刀を買いました系のツイートに対して○○はいけないとかあえて言う人がいますが、そういう世界は無くなると良いですね。
また、美術品として刀を見ている人の中でもまた細かく層が分かれている。
人と自分自身の価値観は必ずどこか違うので、第3者は否定的な言葉など掛けずに共感の言葉だけかけていれば良いと思う今日この頃です。

画像4


今回も読んで下さりありがとうございました!
面白かった方はハートマークを押して頂けると嬉しいです^^
記事更新の励みになります。
それでは皆様良き御刀ライフを~!

画像1

↓この記事を書いてる人(刀箱師 中村圭佑)

画像2

「刀とくらす。」をコンセプトに刀を飾る展示ケースを製作販売してます。

いいなと思ったら応援しよう!