七宝を用いて刀装具を製作した平田派
所持しているわけではないのですが、七宝を用いた面白い刀装具があるので紹介します。
初めてこのような鐔なり刀装具がある事を知った時は美の探求心というか、そういうものを感じて感動した記憶があります。
金象嵌などの豪華さとはまた別軸の近代的な美しさを個人的に感じます。
尚、近代的と書きましたが比較的新しい技術というわけではなく、七宝自体は飛鳥時代、奈良時代から既にあった事が出土品から分かっています。
海外に目を向ければ紀元前からエジプトやギリシャなどで存在しています。
・七宝で有名な平田道仁
七宝の刀装具と聞いて一番有名なのはなんと言っても「平田道仁」でしょう。
安土桃山時代から江戸初期にかけて活躍した金工で平田派の初代です。
1611年に徳川家康に召し抱えられ、1616年には徳川秀忠から江戸の呉服町に邸宅を与えられました。そして1646年に56歳で生涯を終えたといいます。
その後この道仁の技術は明治時代まで11代続く事になります。
尚、初代から五代までは皆「彦次郎」と名乗った様子。
埋忠明寿の水墨画のような作風、信家の戦国味を感じさせる作風、金家の侘び寂びを感じる作風など、やはり桃山時代は多彩な技術が華開く時代でありとても面白いです。
鐔だけでなく小柄などもあります。
特に富士の絵は沢山作ったようで、作品もまま見る気がします。
なお以下の黒田家の大小拵を見ると、縁などにも平田派の作が使われている事が分かります。七宝の刀装具が付いた拵を殆ど見た事がありませんが、平田派の作はこのような拵に使われていたのかもしれません。
・実に細かい七宝と象嵌技術
平田派の七宝は拡大して見てみるとその細かさに驚かされます。
しかもその小さい象嵌の枠の中で色を変えています。
サイズで言えば恐らく1㎝程度でしょうか。非常に細かい。
そして金象嵌の渦も細かい中でつぶれる事無く上手く象嵌されています。
これからも彫金技術に秀でていた事が伺えます。
・加賀七宝
江戸時代中期、加賀藩では釘隠や引手等の金具類に七宝が多く施されたようです。加賀藩と言えば前田家ですね。
そして1830年~1860年頃になると、平田家の八代春就(はるなり)の弟子である春寛(はるひろ)が加賀の大聖寺に住み活躍しています。
上記鐔は本来無色なはずの雪の結晶に華やかな色を加えるという独特の色彩感覚を織り込んだ作であり、1つのアートとして完成しているようにも感じます。何というか新しい。
このような色の組み合わせは難しそうに見えるが下品にならずにまとめている所に高い技術とセンスを感じずにはいられません。
・尾張七宝
江戸後期の天保頃(1830~1844年)に尾張国の梶常吉が、オランダ船により輸入された七宝の皿を手がかりに、その製法を発見し改良を加えたのが始まりとされているようです。
・終わりに
という事でこのような美しい七宝が施された刀装具もあるので、気になった方は探してみては如何でしょうか。
七宝の鐔を見たときは衝撃も衝撃で、最初は海外の影響を色濃く受けているように感じたので、海外からの輸入品と思ったほどです。
値段はネットを調べてみた所、鐔で35万円、40万円のものがそれぞれ見つかったので、保存や特保で大体そのあたりの値段なのかもしれません。
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↓この記事を書いてる人(刀箱師 中村圭佑)
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