古美濃の龍目貫を見て気づいた特徴②
1年半程前に古美濃の龍目貫を見て気づいた点などまとめていました。
この目貫はお気に入りの1つで定期的に鑑賞しているのですが、今日も鑑賞していてふと灯台下暗し的に気づいた(疑問に思った事がある)点があったのでメモ。
この目貫の裏には「根(突起のようなもの)」はなく、いわゆる「無根」と呼ばれるもの。
古美濃目貫や蝦夷目貫には根のない物があり、これはこれで古い物の特徴を示しているように思うのですが、根が無いものをどう柄に固定していたのかを考えると薬煉(くすね。松脂を油で煮て練り混ぜたようなもの)を詰めて接着していたと思われます。
温めると溶けて冷ますと固まるので取外しが可能となるようですが、更に頑丈に固定するには漆で固めるなどの手法が取られるようです。
とはいえ出し目貫として使うよりも柄糸の中に入れ込んでしまう方が耐久性という点では安全な気もします。
出し目貫にしろ、柄糸の中に入れ込んでいるにしろ、拵に付いていたのであれば摩耗が見られるはず。
しかしこの古美濃龍目貫には柄糸で擦れたような跡や何度も握った事でツルツルになっているような箇所が見られない。
彫ったばかりのようにエッジが立っている。
今まで「状態が良い」程度にしかあまり深く考えていなかったものの、約500年もの前の室町時代に作られたとされる目貫がここまで健全な状態で残るというのは考えても見ればあまりに不思議ではないか。
とはいえ現代にここまでの細かな彫を行う事はかなり難しく、到底型物や偽物には思えない。
そういえば思い返してみると金の古美濃目貫は健全な物が多かった記憶がある(赤銅地などの古美濃のものは手に取って見た事があまりないので今は書けない)。
そう思い他の古美濃目貫をさっと調べて見たが、例えば以下の梟目貫も作り立てのような健全さを誇っている。こちらは実際に手に取らせて頂いたが素晴らしく状態が良かった。
以下の古美濃龍なども擦れが見られず状態がとても良い。
以下の秋草図のものも状態がとても良い。
このような感じで金の古美濃目貫を見ていると妙に状態の異常に良い物が多い気がする。
室町時代に作られたものでかつ柔らかい金という素材を用いて拵に付けられていたとしたら、ここまで状態良く残っているものだろうか?
例えば古美濃と同時代とされる後藤家初代の祐乗の金無垢作などは擦れている物も見る気が個人的にはする。
勿論完存に近い状態で残っている物もあるがこうしたものは当時から拵に付けられる事はなかったのかもしれないが、例えば名を上げる前の作などは実用されてた時代もあったのかもしれない。
もしくは名刀を大名が摺り上げたように、名品を日常使いしていた大名はいたはず。
そしてもしかすると後藤家の作が単体で残りやすくなるようになったのは、後藤家が極めをして折り紙を発行しだし、それそのものが価値を明確に持つようになった後なのではないだろうか。
何が言いたいかというと、初代祐乗の時代には金の古美濃目貫は相当格式が高く、後の後藤家の目貫などがそうであったように、基本的には単体で保管されている事が多かったのではないだろうか、というのが私の仮説です。
という事で贈答などにも用いられていたという線がないか調べてみたり、更に古美濃目貫を見る機会があれば表面の状態についても良く観察してみたいと思います。
因みに小柄はなぜか擦れたものが目貫以上に多いような気がしますが、こちらはより実用の面を強く持っていたのでしょうか。
この辺りはまだ良く分かりません。
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↓この記事を書いてる人(刀箱師 中村圭佑)
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