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刀や刀装具を買う時の複雑な感情
今回の大刀剣市でも感じた事だが、良いなと思って後回しにして悩んだ挙句購入しようと思った時に「売約済」という文字を見た時、「くぅ~!逃した…あの時買っておけば良かった」という後悔する感情と、「売れていて安心した…(買わなくて済んだ)」というなぜか安堵感のようなものが同時に訪れる時があり、自分でも不思議だなと感じる時がある。
こうした物は結果として買わなくて良かったのだろうか?
それとも買っておいた方が良かったのだろうか?
結果が変わるわけではないので考えても仕方がないのだが、あの時買っていたとしたらその後どういった気分になっていたのだろうか…と少し気になる。
会場では目の前の物をただ手に入れたいという一心でお金の使い道を極端に狭めた考え方になってしまうが、会場を出るとそこに掛けようとしていたお金で他の物が買えたり、何か別の体験を得るための費用に回す事が出来る事に気付く。(当たり前のことではあるが)
こんな時手持ちのお金は増減しないが、お金の使い道が増えたように感じてなぜかちょっと幸せを感じるのも事実である。
そして、思い切って買うという決断をして物を手に入れた時は、「嬉しい」という気持ちと、「本当に買って良かったのか?」という疑心暗鬼の気持ちで揺れることがある。
これも先と同じ理由からそのように感じるのだろう。
初めから刀や刀装具を買う目的のお金だったのだから「手に入れられて嬉しい」という気持ちだけで直ぐに割り切れれば良いのだが、家に帰って他の刀や刀装具と並べた時に、はて本当に買う必要はあったのだろうか?と心が再び揺れる事もある。
買った以上悩んでも仕方がないのは勿論分かっているし、物を買う事で得られる一時的な幸福感や物を通して得られる知識や情報というものもある。
なのでお金を使った分、それ相応のフィードバックが何かしら得られるわけであるが、この複雑な気持ちの揺れ動きは何ともむず痒い。
これがまた手放す時に買った金額と同等かそれ以上で売れるならこんな気持ちになる事はあまり無いのかもしれないが、大抵は浪費になる。
趣味が浪費なのは致し方ない部分もある。
それで利益を上げたらそれは趣味を通り越して仕事になる。
別にそれが面白そうとか、良いなとかも思わない。
まぁしかし今回書いたような事を感じるのは最初から欲しい物を絞り切れていないが故なのかもしれない。
何年も何十年も探し求めていた物がもし目の前にあれば、購入に躊躇する事などあろうはずも無いのではないだろうか。
昔探し求めていた成木氏の鐔がピンポイントで目の前に現れた時はいくらでも良いから欲しいというのが心情であった。
勿論いくらでも良いというのは比喩であって、実際は現実的な予算がある。
が、無理してでも手に入れたいという心境と言えば良いだろうか。
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という事で、そうした欲しい物を絞って買うのが良いのかもしれないが、大刀剣市などはつい唐突に現れる希少性のある物や変わり出来の物など、目移りしてしまう物が出てきてしまう。
そんな時、如何に冷静に心を保ち冷静な判断が出来るかが問われる。
楽しいが実に恐ろしい場所であるように思う…。
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それでは皆様良き刀ライフを!
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↓この記事を書いてる人(刀箱師 中村圭佑)
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