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刀を見て感動が薄れたその先は…

刀を毎日手に取って鑑賞しているせいか、刀を初めて持った時のドキドキというか緊張感がもはや殆ど無い。
緊張感を持って刀を持つべきという理屈は分かるのだが、これがなかなかに難しい。
一方で初めて手に取る刀への楽しみや期待は相変わらずというか以前にも増してある。

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(画像は私の友人の一文字則房)

そういえば今まで行ってきた刀屋さん見学会などを思い返してみれば、初めて刀を持った人を見ると手が震える人も多い。
刀を鑑賞する時は袱紗を左手に持ち、そこに刀身を乗せる訳だが、刀身を乗せている手が小刻みに震えている。
なんなら昔自分も震えていた。
あの時の感覚は今ではなかなか思い出せないが、武器としての鋭利さに対する緊張(手を切らないかという緊張)と、長い歴史を経た凄く貴重なものを手に持っている事、この刀に傷を付けてはいけないという緊張、の二面から主に手が震えていたように思う。
加えて暫く鑑賞していると普段使わない筋肉を使うからか、疲れてプルプルすることもあった。

今は刀を所持している事もあり当時に比べると刀に触れる機会というのはとても増えている。
疲れで腕が震えることもあるにはあるがそれは4~5時間位鑑賞した時のことであり普段はあまりない。

相変わらず刀鑑賞は凄く楽しいし新しい発見や感動もあるが、あの当時の緊張感や感動というのは今思えばとても特殊かつ貴重なもので、今思い出そうにもなかなか難しい。
昔は刀ならどれも感動していたが今はそうでもないし、今する感動の種類は当時のそれとは少し違う。

いずれ今手元にある刀を見ても感動しなくなる時が来るかもしれない。
どんなに初めは美しいと感動した景色もそこに住んで毎日見ていると感動が減るように、感動はいずれ薄れて最後には無くなるものなのだと思う。
そう考えると少し寂しい。
でも毎日見た景色というのが知らない内にかけがえのない思い出になっているように、何十年とその刀と添い遂げると感動が別のものに変わっていき、それが愛着というか良さになるのかもしれない。
これはまだ私は経験した事が無いので分からない。

とにかく今改めて思うのは、感動はいずれ薄れるものとして今見て感じた感動というのを今しっかり噛みしめなくてはと思う。
そして出来ればこの感覚を忘れないようにしたい。

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名刀を沢山コレクションして国宝クラスの名刀を所持した人(いわゆる刀趣味を突き詰めた人)はその先に一体どんな感動体験をしているのだろう?
やはり感動出来る回数はかなり減るのだろうか?
もしそうであれば少し悲しいかもしれない。

それとも知見を深める事で刀の良い点を見つける事が以前にも増して出来るようになり感動する事も増えるのだろうか?
これは今の私には知る由も無いが、この記事を見ているコレクターの方、今度お会いした時にでも是非教えてください。

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